第314話 小佐々家はブラック企業?あー!もう面倒くせえ!(純久)

「あーもうめんどくさかってな! いきおいか! くそんごた陳情! おいのしごとは陳情の処理じゃなかぞ!!」


(あーもう面倒くせえな! ものすげーな。くそみたいな量の陳情! 俺の仕事は陳情の処理じゃねえぞ!)


 純正と同じく彼杵(そのぎ)出身の純久は、『ど』のつく長崎(彼杵)弁で愚痴っている。そう、現代も戦国時代もおなじなのです。


『拝啓 弾正大弼様


 おい純正、いい加減にしろよ! いくら殿といっても、丸投げしすぎだ! それに俺の仕事は京都大使館の大使だ。信長公との窓口だったり、公家や幕府の幕閣、そして近隣の諸勢力との調整なんだよ。


 陳情じゃねえよ! 治部少丞なの。弾正大弼と検非違使別当はお前だろう!


 陳情を受けるのは、おれじゃねえ。なんかなし崩し的に長官は俺みたいになっているけど、弾正の疏(さかん)でも検非違使の志(さかん)でもいいからなんとかして常駐させてくれ。


 いいかげんブラックすぎるぞ。 敬具 治部少丞純久』


 ■当日深夜


 純久は机の上に積み上げられた書類に囲まれながら、ろうそくの灯りで作業をしている。


「また新しい調停か……いったいいつになったら、平和になるのだろう」


 そうつぶやくと純久は立ち上がり、以前純正に教えてもらった『すとれっち』をしている。手ぬぐいを両手に持ち、頭の上に上げて左右に体を曲げる。


 それが終わると後ろ手に手ぬぐいを持ち、体を前屈させると同時に両手を背中の上に上げる。


(うぐぐぐぐ)


 心の声が漏れる。


「殿、うわ! 何を!? いえ、ごほん。夜遅くまでお働きになって。お疲れにございましょう。そろそろお休みになられては?」


 以前職務で行った近江国坂田郡石田村の、世話になった土豪の息子である。名を佐吉という。父親の石田正継と意気投合し、優秀な近習がいないと愚痴ったら、是非にと勧められたのだ。


 その佐吉が、今日は夜番でお茶を運んできてくれた。


「休む暇があれば、休んでいるよ。しかし調停が一つでも遅れれば、うお、うまい! 畿内がまた火の海となるかもしれん」


 純久はぜんぶ一気に飲み干し、もう一杯頼んだ。


「しかし、体を壊しては元も子もありません。少しでも力になりたいのですが」。


(うまい。温度もちょうどいい)。


「ありがたい。では、もう一杯頼む。終わったらこれを……(書類の束を指さす)」


「こちらですね」

 と、佐吉はお茶を渡した後で言い、処理を始めた。


 三杯目のお茶は熱く、量も少なかったが、ふうふうを息を吹きながら飲み干した。


「うまかった。ありがとう」。

「お役に立ててなによりです」


 そう言って佐吉は処理の終わった書類を純久に返した。


「なに? もう終わったのか」

「はい、殿が毎日処理されているのを見ていましたので、それにならって処理しました」


(まじか~。なんだこいつ。出来過ぎだろ)。



 ■翌日


 うわ!? なんじゃこりゃ! と純久が思ったのも無理はない。十人ほどの商人が並んで待っていたのである。


 近習に用件を聞くと、堺の商人だけではなく、自分のところも優遇してほしいとの陳情のようだ。


 やれやれ、と純久は思った。純久の仕事は外交であり、内政ではない。各地の商人の陳情を聞いたところで、本来の仕事の役にはたたない。


 仕方がないから、一応面通しだけはする。陳情も……内容によってはできない事もないが、本業が外交なので、小佐々家と関係のない事はやっても意味があまりない。


 名刺がないので、集まった全員の名前を聞く。やはりお願い事だから、進呈品が山のように集まる。現代で言えば完全に賄賂だが、この時代の感覚はどうなのだろうか。


 越後屋兵太郎(へいたろう)は越前の国敦賀の商人。蝦夷国との交易を主としている。鉄砲も商う。


 組屋源四郎は若狭国小浜の商人。小浜湊の廻船問屋の筆頭。米買いからルソンとの交易も行う。


 大脇(塩屋)伝内は美濃国稲葉山の商人。屋号の通り塩の売買で巨利を得ている。


 玉越(たまき)三十郎は尾張国清洲の具足商人だが、信長の怒りをかって追放。京に本拠を移した。


 楠見善左衛門尉(くすみぜんざえもんのじょう)は三河の廻船問屋筆頭。


 角屋元秀は伊勢国松阪の廻船問屋。大湊発祥で、駿河国清水湊を本拠とした廻船業者。


 田中清六は近江国の鷹商人。鷹商として奥羽に往来し、中央政権と奥羽諸大名との取次人として活動。


 上林竹庵(かんばやしたけあん)は山城国宇治の茶商、製茶業に携わる。官途は越前守。通称又市。


 末吉利方(すえよしとしかた)摂津国平野の商人。「平野屋」。廻船業。


 蘇我理右衛門(そがりえもん)河内国五條の商人。銅精錬、銅細工。「南蛮吹き」を完成。


 かっぷくのいい五十前後の男もいれば、二十代後半の精悍な顔つきの男もいる。


「皆さんの要望は、おおよそ書状にて聞いています。ですが全てをこちらで受けたり、処理をする事はできかねます。ひとまずはどうぞ」。


 と言って応接の間へ向かう。


 小佐々純久(従六位上治部少丞)は、あまり自分の官職にこだわりはなかったのだが、商人にとっては目上の人のようだ。それとも小佐々家だからだろうか。


 まず、組屋源四郎に聞いてみる。若狭の商人だ。


「具体的には小佐々領の産物、琉球や南蛮の品を、直接取り引きさせてほしいという事ですね」


 全員がうなずく。うれしい悲鳴だが、俺の仕事ではない、と思う純久。


「なるほど、ではそれがしの一存では決めかねますので、殿に書状を送っておきます」

 と話を終わらせようとしたが、ふと思い出したように聞いたのだ。


「そうだ組屋とやら、廻船問屋と言うことは、若狭の海から北へいって、蝦夷や奥羽と交易しているのだろう?」


「はい、その通りです」

 と組屋は答える。


「あの、昆布の値段なんとかならんのかね」


 昆布だしの味噌汁が、大好きなのだ。


「あはははは、値段の方は応相談ですが、そのような事しなくとも、治部少丞様でしたら好きなだけ……」


「ああ、いや、そういう事ではないんだ、忘れてくれ」


「構いませぬ。何でもお申し付けください。あとは、私どもも少し困った事がありまして」


 要望、という事ではないようだが、何か含みのある言い方だ。


「どうしたんだ? なにか問題でもあるのか」


「いえ、問題という事ではないのですが、私どもは国をまたいで商いをしているのですが、丹後の商人が殿様の苛政に苦しんでいるようなのです」


 そう組屋は話すと、越後屋の顔を見る。


「それは私も聞きました。取り立てが厳しいのでやっていけない。店を畳んで別の国に行こうか、とも言っておりました」


 越後屋兵太郎はうなずきながら同意した。


「そんなにひどいのか? 確か、一色、左京大夫様か?」


 はい、と二人は首を縦にふる。


「そうか、ん?」


 純久は、なにかに気づいた。


「角屋、と申したな」

「はい」

 と角屋元秀は短く返事した。


「今、駿河はどのような感じだ」


「はい、されば、平穏とは言い難いですな。五月に今川様が遠江の掛川城をお開きになってから、徳川と北条、そして今川で武田を追い払ったら、駿河はまた今川様が治める話でしたが、未だなされておりませぬ」


「うむ」


「理右衛門よ、河内国はどうだ」


「そうですな。今のところは平穏、と言ったところでしょうか。織田様が公方様を奉じて上洛されてからは、北を三好左京大夫様、南を畠山様が治めておられます。畠山様は紀伊も治められてますが、紀伊の南はあまり行き届いていないようです。しかし、ぶっそうだという事はありませぬ」


 これは……と純久は思った。今まで周辺国の情報収集のために人をやっていたが、やはり旅人が知る情報と、そこで生きている商人がもたらす情報は、質が違う。


 これは、小佐々がこの先中央で生きていくために、必要なつきあいじゃないか? そう純久は思ったのだ。もちろん今まで通り人をやって探らせる。情報の精査をするのは必要だ。


 純久は純正に、主要な商人への優遇措置と、その代わり、まずは情報収集という役目を負わせる事を条件に、検討するように伝える事にした。


 商人たちもまた、小佐々家の優遇を受けることで、商売に活路を見出すことができるであろう。こうして純久は、商人たちとの信頼関係を築きながら、小佐々家の外交官として活躍することになる。

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