第122話 塩田津の湊を制すものは肥前を制す
龍造寺陣中 鍋島直茂
「殿、策がございます。」
「なんだ?」
また、酒を飲んでおられる。
「殿、陣中にござる。酒はお控えくだされ。」
「何を申すか直茂、ゆるりゆるり、と申したのはそなたではないか。それにこの戦、どうまかり間違っても負けはせぬ。そうも申したぞ。」
「そうは申しておりませぬ。焦る必要はない、という事です。それと、戦に絶対はありませぬが、絶対に近づけるよう、いくつもの策を練っている、と言ったまでの事。油断はなりませぬ。」
「わかったわかった。それでどうした?」
赤ら顔で殿が私に尋ねる。
「は、策が全てはまりましたゆえ、そろそろかと。」
うむ、と殿はうなずく。
「まず大前提として、兵力はわが方が有利ですが、地の利は敵にあります。これを覆すには敵を移動させる他ありません。」
「敵を山から引きずり下ろし、平地にて決戦するのです。」
「しかし、下りてくるか?」
「普通は下りてこないでしょう。定石として小高い丘の上や山頂に布陣するのは、守りやすく攻めがたいためです。さらにこたびは、われわれが圧倒的な兵力で勝っております。」
「ですから山を下りる時は、下りざるを得ない時か、もしくは下りれば勝機がある場合です。」
「有馬・大村の三方からの西郷包囲、五島宇久の北上に旧平戸の反乱、そして最後は波多の伊万里領侵攻。兵士の士気は下がり、弾正大弼の心中穏やかならぬ事、間違いござらぬ。」
確かにそうだな、という風に殿はうなずく。
「まず、われらは軍を二つにわけ、一隊は私が指揮をいたします。殿は本隊を指揮して本陣にてお待ち下さい。夜陰に乗じて山の裏手より忍び寄り、撹乱してまいります。不意を突かれた敵は防戦一方にて、混乱するのは必定。」
「このままでは負ける、とやぶれかぶれの突撃命令を出し、本陣に向けて山から下り攻めかかってくるでしょう。」
「そこを待ち構えた殿と私で、挟み撃ちにして殲滅いたします。また、様子を見ていた有馬・大村も攻めかかるでしょう。そうなれば、勝ちは間違いござりませぬ。」
「下りて来ぬ場合は?」
「その時はその時です。もともと我軍が有利なのですから、撹乱は失敗として、引き上げるのみ。敵も深追いはせぬでしょう。いや、できませぬ。そしてまた、作戦の練り直しです。いずれにしても長期戦は我らに有利。敵は早期決戦がしたいはずなのです。時間がたてばたつほど、敵は後方から崩れまする。」
「なるほど。わかった。待ちの戦は性に合わんが、致し方あるまい。そちの作戦でいこう。」
「それともう一つ」
「なんじゃ、まだあるのか?」
本陣待機となった隆信は、焦りや不満を隠そうとはしない。
「殿は、敵が山を下り終えるまで、絶対に動いてはなりませぬぞ。山を登って敵と一戦交えようなどと、考えてはいけません。仮に城に火の手が上がったとしても、です。大将はどっしりと構えておいてください。」
「言われんでもわかっておるわ。」
殿の機嫌がさらに悪くなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平井経治 陣中
「平井どの、ついにこんな日がきてしまいましたね。」
神代長良は、親である勝利の死後、家督をついですぐに、居城である三瀬城を隆信に落とされている。まさか自分が龍造寺陣営の一員として加わるなど、考えもしなかったのだろう。
「なんじゃ、勝利どののせがれか。」
歴戦の強者である平井経治は言う。
「せがれはやめてくだされ。今は家督もついで、わしが当主なのですから。」
「ははははは。そうであったな。すまぬすまぬ。」
「平井どのはこのいくさ、どうみますか?」
「どう、とは?」
「勝てるかどうか、という事です。」
(長良も勝利どのの血をひいて戦上手だが、やはり気になるのはそこか。)
経治は思った。
「どうもこうも、こちらは一万、有馬の兵を入れれば一万三千。敵は五千。三倍近くの兵力差。普通に考えればこちらの勝ちは疑いようがないのう。」
兵法の定石を、言う。
「普通に考えれば、ですか?」
「左様。戦とはさまざまなものが絡み合って決まるもの。『故に、これを経(はか)るに五事を以ってし、これを校(くら)ぶるに、計を以ってして、その情を索(そと)む。一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。』とある。」
「要するに、大義名分と時期、そして地の利と将の器、最後に軍の良し悪しですね。」
「まあ大義名分は(あるわけない)、あれだな、うん。時期は良い。大友の騒乱にあわせておる。地の利は到着が遅かったのでこうなっておるが、絶対的に不利ではない。将の器は、戦ったお主がよくわかっておろう。軍はいわずもがな、だ。」
「大義がなくてもわれらは負けた。今回は、まずいところがあるとすれば、あるとすれば・・・軍の良し悪しであろうか、な。」
わしは続ける。
そうだな、と前置きをおいて、
「わが軍は『一将功成りて万骨枯る』が言い得て妙じゃ。特にわれら外様は目も当てられん。それに、つづく戦で、まさに『苛政は虎よりも猛し』じゃ。何事も、足下をしっかり固めておらぬとな。」
???という顔を長利はしているが、
「長利どの、そなたも本当はわかっている事であろう?何をなすべきか。」
平井経治は静かに微笑みをたたえて黙った。
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