番外編 踏み台令嬢の妹・5


 王の中には愛する踊り子に会いたいという気持ちと、悪魔と交渉する事への抵抗があった。

 王は悪魔に「時間がほしい」と言った。悪魔は「今でなければもう蘇生できない」と返した。


 「そうか、ならば――――諦めよう」と苦悶の末に王は悪魔に剣を突きつける。


 焦った悪魔は踊り子を目の前に出現させた。


 しかし――優しい笑みと愛の言葉を紡いだ踊り子が幻であると気づいた王はそのまま悪魔を斬り殺した。

 幻の踊り子の表情は歪み、断末魔を上げた後、霞となって消える。そこで初めて王の心が傷んだ。


 悪魔が見せた、見た事のない優しい笑みこそ、彼女が愛する者に向ける本当の笑顔だったのだろう。

 王はあの隠し部屋で踊り子と過ごせて幸せだった頃を思い返した。踊り子はいつも何処か悲しげだった。


 それは自分が彼女の自由を奪ってしまったからだと、王はずっと思い込んでいた。 

 だが――本当にそうだったのだろうか?


 確かめる相手は、懺悔する相手は、もう眼の前にいない。何処にいるのかも分からない。


 悪魔の言う通り、死んでいるかも知れない。もしかしたら生きているかも知れない。

 どちらでもいい。何の力を借りてでもいいい。


 もう一度だけ、彼女に会いたい――王の虚ろな心に再び、熱が宿った。



 王は息子が成人するなり王位を継がせた後、他国を渡り、大陸を渡り――十数年の後、再び国に戻ってきた。

 その日は建国記念のパレードの前日であった。


 十数年の旅の間に妻は病で亡くなり、息子夫婦と娘夫婦はそれぞれ2人の子どもに恵まれていた。

 不思議そうに自分を見上げる孫娘と腕にすっぽりと収まった孫に対して、王は感心も愛情も抱けなかった。

 それを酷く申し訳ないと思う気持ちはあるのに。


 子どもの頃から尽くしてくれた家臣からは「ここに留まってほしい」と願われ、護衛を務めてくれた友からは「大切なものを見失うな」と諭された。

 

 分かっている。私はまだ望まれている。ここにいれば温かな愛と尊敬の中で過ごせる事も分かっている。


 両親が、妻が、子が、孫が、家臣が、友が、民が皆、私に自分の愛を受け入れろと言っている。

 彼らが持っている愛はとても素晴らしいものだ。それは私にも分かっている。分かっているからこそもう、ここにはいられない。


 私は、彼女の愛さえあればそれで良かった。彼女と紡いで行きたかった。

 皆が持つその愛を、私は彼女と共に育みたかった。


 しかし、蓋を開けてみればそこには私の愛しか無かった。

 そして息子も、娘も、孫も、孫娘も、誰も彼女の血を引いてはいない。


 2つの絶望が過ぎる度に、悪魔が作り出した踊り子の笑みが頭を浮かぶ度に王の心は魔に蝕まれていた。

 悪魔を斬り殺した時から少しずつ、どす黒い何かが心を侵食していく。


 それでも王が長年心を自我を保ち続けられる理由は、二つ――かつて愛した民達への未練と、踊り子への想い。


 例え悪魔の力を借りてでも、『会って』侘びる事が出来たなら――


 どうしてこうなってしまったのか――親愛なる者達に引き裂かれ、禁忌に触れても実らせる事が出来ぬ愛ならば、いっそ出会わずにいたかった。


 何が間違っていたのか。何が違っていれば私は彼女と添い遂げる事が出来たのか――


 ああ、私が私で居続けられる間に。人としての心を持っていられている間にせめて子ども達の迷惑にならぬよう、この国の民が犠牲にならないように遠ざかる事だけが、私が王として、親として返せるたった一つの愛だ。


 大切な者達に裏切られてすっかり色褪せてもなお朽ちる事のないこの愛を未練と共に手放した今、いつ魔に身を落としてもおかしくない状況で、王は城の隠し部屋に残っていた踊り子の髪の毛と、他国で手に入れた多くの知識を持って、再びその国から立ち去った。




 ラストの、王が遠く離れた城下町で行われているパレードから背を向けて立ち去った一文を読む頃にはもうハンカチが涙に浸っていた。


 ひたすらに悲しい愛の物語――この悲しい物語を私に読ませた後、プラムさんは何を伝えたいのだろう?

 震える手でもう一つの封筒を開けると、いつもとは違う、少し荒目の長文が綴られていた。


 <リウシュ嬢。僕にもう少し力があれば、強引に君を助ける事が出来たら、今も君と図書室で好きな本や作家について語っていられたかも知れない。そう思うと非力な自分を嘆かずにいられない>


 重い自責の言葉に胸がぎゅうっと締め付けられる。

 プラムさんは非力なんかじゃない。陰口から庇ってくれた事、私と本の話をしてくれた事、お姉ちゃんの悪評を気にせずに私と接してくれる事――全部全部、嬉しかった。


<せめて図書室の中でだけは穏やかな一時を作ってあげられれば――それは僕の自己満足に過ぎなかったんじゃないかと、日々考えてしまう。この物語の王子のように、僕も君の気持ちを決めつけていたのではないかと後悔している。もっと君に寄り添っていれば良かったと、何かしてあげられる事はなかっただろうかと>


 自己満足だなんて、そんな事絶対にない。

 あの物凄くドロドロした学校の中で、図書室で色んな本を読む事とプラムさんと話せる時間だけが唯一私を救ってくれた。


 <リウシュ嬢、場所を追われたばかりか家族まで失った君が今、どれだけ辛く苦しい中にいるのか、僕は想像する事しかできない。だけど、君が少しでも楽になれるならどんな事でも力になりたい>


 ほら――今だって、こんな絶望の中にいる私をプラムさんは助けようとしてくれている。


<学校に居場所がなくて、もし家にも居場所がないようなら、いつでも僕の所に来てほしい。僕は家を継げないけれど君を食べさせていく事くらいは出来るから。お姉さんが死んだばかりの君にこんな事を言うのは失礼だと分かっているけれど――僕は、君に踊り子のように消えてほしくない。君に生きていて欲しい>


 温かい涙がボロボロとこぼれ落ちる。先程の本の寂しい涙とは真逆の、温かい涙が。

 咄嗟に起き上がって便箋を取り出し、ペンを握る。頭の中で色んな言葉がごちゃごちゃに混ざりながら何枚か失敗しながら感謝の気持ちを込めて綴った手紙――


(この手紙は……自分の手で渡したい)


 お父様が戻ってきたら、言わなくちゃ。

 お姉ちゃんが死んですぐに復学なんて、色々言う人もいるだろうけど――私を心配してくれる人を、これ以上心配させたくない。



 そして、数日後――イサ・アマヴェルから戻ってきたお父様が暗い顔で幌馬車から降りてきて、寝たきりのお母様以外の皆で棺を家の中まで運んだ。


 既に杭打ちされた棺はズシりと重く、顔を覗く窓もない。

 最後にお姉ちゃんの顔も見れないなんて、お母様大丈夫かな――と思いながらも、棺の前で無言で立ち尽くすお父様に、一つ息をついて話を切り出す。


「お父様……私、学校に戻ろうと思う」

『……駄目だ』

「……お父様?」


 念話なんて、滅多に使わないのに――真剣な表情のお父様から続けて送られた念話に私は驚愕した。


『サリーチェは生きてる。暗殺者に狙われているからとソール侯が保護している。全てが解決するまで、お前をあの学校に戻らせる訳にはいかない』


 そこから一節の間に――事態は大きく変わっていった。


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