12、突然の結婚申し込み

「つ、疲れた……! 緊張して動かない胃に紅茶が効いたわ」


 私は与えられた部屋のソファに座って、おなかをさすっていた。


「では胃に優しいハーブティーでもれましょう」


 微妙に舌足らずな話し方で子供っぽい声を響かせたのは、私の侍女として国王夫妻が付けてくれた侍女エマだった。これでも子爵令嬢らしいが、低身長と童顔のせいで幼い印象が拭えない。


 夜には私をもてなすための晩餐会を開いて下さるらしい。付け焼き刃のマナーがバレバレだわ! だがそんな理由で辞退することもできない。『馬車旅で疲れたろう、部屋を用意させたから休みなさい』と言って下さった国王様は、いつくしむような笑みを浮かべていらっしゃった。


 ちなみにアルド様は、廊下をはさんで斜め向かいの部屋に案内されていた。


「ハーブティーでーっす! ミロスラーヴァ様、王妃様によく似ていらっしゃってお綺麗! 私、ミロスラーヴァ様にお仕えできるの嬉しいです!」


「まだこの王宮で暮らすと決まったわけではないわ」


 うっかり暗い声を出しちゃった。エマは、こてんと首を傾け、


「やっぱりお育ちになったコルトー王国がお好きなんですか?」


「好きというか―― 王宮で従事していた仕事が好きだったの」


 正確には教会の仕事も、短期間だけ働いたギルドの仕事も楽しんでいた。学んだことを生かして、いかに効率よく仕事をこなすか――そこに生きがいを感じていたのだ。私は王女として新しい生きがいを見つけられるだろうか?


「お仕事がお好きなんでしたら、ナティアン王国で働けばいいじゃないですかぁ」


 エマは事もなげに言う。


「きっとこの王宮でも国王陛下の執務をお手伝いされたり、ご結婚後は公爵領経営に手腕を発揮されたり、きっとミロスラーヴァ様ならご活躍されますよ!」


「そうね……」


 エマの描いた未来が実現できるなら、私は願ったり叶ったりのはず。


 それなのに、この胸のわだかまりは何?


「アルド様のもとで働かなくても、よいはずよね」


 ぽつんと口に出した一言を、エマは耳ざとく拾った。


「ミロスラーヴァ様とアルド・ハインミュラー卿は、将来を約束されている仲なんですか?」


 声をひそめて、とんでもないことを言い出した。


「ち、違うわよ! ただ仕事の上での関係というか――」


 首から上が熱くなる。どうした、私!


「もったいないですぅ、あんなうるわしの貴公子に愛されているのに!」


「愛されてなんかいないわ。認めてくれているとは思うけれど」


 目をそらしてハーブティーの香りを楽しむ私を、エマはまじまじと見つめた。


「本気でおっしゃってます? ミロスラーヴァ様、鈍感って言われません?」


 それから慌てて両手で口をふさいだ。


「あ、口がすべっちゃった! お許しくださいですぅ」


 そういえばアルド様も似たようなことをおっしゃっていたわね。――男と女のことに関しては、その叡智が全く発揮されない、でしたっけ? そのあと何ておっしゃっていたかしら。


 ――僕は聡明な女性が好きなんだよ――


 あれは誰のこと?


 アルド様の気持ちが分からない。


 自分の気持ちも分からない。


 ああもう、心がもやもやするわ! こういうときはどんなマクロを組んだら、すっきり片付けられるの?


「ミロスラーヴァ様、お顔真っ赤です。心が落ち着くハーブティーをお淹れしましょうか?」


 エマの声が遠くに聞こえる。


 私は気付いてしまった。


「わっ、ミロスラーヴァ様、どこへ行かれるんですか!?」


 突然立ち上がった私に、エマがあたふたしている。


「私は孤児院育ちよ! もたもたしているなんてしょうに合わないわ!」


「ええっ!?」


 エマを部屋に残して、廊下へ出る。


「わっ――」


 思わず声を上げそうになった。ちょうどはす向かいの扉が開いて、アルド様が姿を現したからだ。


「ミラ――、いやミロスラーヴァ王女、どこへいらっしゃるのですか?」


「アルド様こそ……。あの、私のことはミラでよくてよ」


「ありがとう。僕だけの特別な呼び名を許してくれて」


 人懐っこい笑みを浮かべるアルド様。コルトー王国のみんなにもミラと呼んでもらうつもりだったのに、こんな可愛い反応されたら困るじゃない。


「ミラ王女、あなたにお願いしたいことがあって参った」

「アルド様、あなたにお願いしたい――」


 同時に口を開いてしまって、私は途中で言葉を飲み込んだ。


「ミラ王女からどうぞ。レディファーストですよ」


 彼はいたずらっぽく笑った。


「ありがとうございます」


 礼を言ってから、私はまっすぐ彼を見つめた。


「私は今後もコルトー王国で、アルド様の専属秘書を続けたいのです。父上と母上を説得するため力を貸していただけませんか?」


「もちろんです。が、あなたには秘書と言わず、もっと色々な可能性があるかと――」


「そうだとしても、です!」


 少しだけ声が大きくなってしまった。私は自分でびっくりしながら、小声で先を続けた。


「コルトー王国で――そう、コルトーの王都で働きたいのです」


 あなたのそばで、とは言えなかった。


「とても嬉しい申し出だ。実は陛下もそれをお望みなんだよ」


「コルトー国王陛下が、ですか?」


 切ない気持ちを置き去りにして、私の頭は仕事モードに切り替わった。


「うむ。ミラ王女の出自が明らかになったことで議論がストップしてしまったが、陛下は君を神官長代理に据えたがっていたんだ」


 思いがけない話に私は息を呑んだ。


「王都民の間に、悪い神官長が清らかな聖女ミランダをいじめていたという話が広がっていることは話しただろう?」


 私はいじめられるほど弱くもないんだけど、と思いつつ、反論せずにうなずいた。


「権力を振りかざしていた神官長が王家の血筋だったことから、聖女信仰がコルトー王家への忠誠心を損なうかも知れないと、陛下は恐れている」


 民衆のうわさや感情は、時に思いもかけぬ方向に膨らんでゆくものだから、陛下が危機感を抱くのもうなずける。


「そこで王都民に人気のある私を王命で、神官長代理とする――」


 王家はあくまで聖女側というパフォーマンスか。


「まあ陛下個人としては、君の教会改革案をいたく気に入ってしまってね、ぜひミランダ嬢に改革後の教会を任せたい、というわけさ」


「ちょっとしたメモだったのに」


 私は片手でこめかみを押さえた。


「あの箇条書きをそのまま陛下に見せたのが失敗だった」


 アルド様は苦笑した。


「えっ!?」


 そのまま見せたですって!? と詰め寄りたいのをなんとか抑える。王女教育のたまものかしら?


「ミランダ嬢には、聖女教会トップの座なんて役不足だと、進言したんだけれどね」


 いや~、買いかぶりすぎです、アルド様。突然、両国の架け橋なんて重大な任務を任されるより、勝手知ったる聖女教会で交渉事に慣れておくのは、適切なステップアップになるはずだわ。


「それで、アルド様が私にされたいお願いとは?」


 私は気になっていることを尋ねた。


「僕は――」


 彼の端正な顔に一瞬、緊張がよぎった。


「立ち話もなんですからハーブティーを飲みながらお話ししませんか?」


 侍女のエマに心が落ち着くハーブティーでも淹れてもらいましょう。


 私が与えられた部屋に招き入れると、エマがニマニマして待っていた。まさか廊下に追い出すわけにもいかないし、偉い人ってプライバシーがないわよね。


「この方にもお茶をお願い。さっき言っていた気持ちが落ち着くお茶でしたっけ?」


「はいはい、ただいま!」


 少しだけエマを遠ざけて、アルド様にソファを勧める。腰を下ろした彼は姿勢を正した。


「このお願いはもちろん国王陛下夫妻の了解を得る必要があるし、わがコルトー国王にも伺いを立てねばならない。だけどまず最初に、僕はあなたの気持ちを知りたいのだ」


 真摯な碧い瞳で見つめられて、胸の鼓動が高鳴る。国王陛下と話していたときとは全く違う華やかな気持ちなのに、早鐘のように打つのは変わらない。


「あなたが否と言うなら、僕は身を引くつもりだ」


 私だって同じ気持ちよ。アルド様が私の雇用契約を延長するつもりがないとおっしゃるなら、固執するつもりはなかったわ。


 アルド様はソファから立ち上がると突然、私の足元にひざまずいた。


「ミラ王女、あなたに結婚を申し込みたい」




 ─ * ─



次回『国王夫妻を説得しよう!』

ミランダはどんな作戦を立てて挑むのか?

両親の反応は?

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