回答 「稲荷 コンの場合」
「イヤだよ。これがないと生活できないんだ。だからもう少し貸してくれない?」
隣で歩く男の子が、上目遣いにこちらを見ながら言う。
わたしはその視線に目を合わせることなく、住宅の建ち並ぶ道をまっすぐ見て歩きながら、もう一度催促した。
「ダメだ。もう契約期間は過ぎている。今すぐ返してもらう」
「えぇー。ところでさ、なんでおねーさん、晴れてるのに傘さしてるの?」
右手に持つ真っ赤な傘を指差しながら、男の子は訊いた。
「これは日傘だ。明るい場所は好きじゃない。それより話をそらすな。借りているものを返せ」
わたしは前を向きながら、目だけを男の子に向けた。
最も目を引くのは、黄金色の短髪だ。さらさらと風に揺れる様は、動物の毛皮に似ている。まだ小学生高学年くらいの体格で、金色の瞳はくりっとしてあどけない。
男の子は桃色に染まった唇を尖らせて、わたしを
「だって、この力、すごく良いんだよ。貸してくれたおかげで、怪我をした母さんの薬も手に入ったし、お腹を空かせた弟や妹にだって、うまいものを食べさせてあげられるんだから」
その言葉を聞いて、わたしは眉を寄せて男の子を
「力は金にならないはずだ。どうやって薬や食べ物を工面した」
嫌な予感が脳裏によぎる。
男の子はきょとんと首を傾げたあと、得意げに笑みを浮かべた。
「心配しなくていいよ。悪い事はしてないから。ただ、ちょっと力の使い方を工夫すれば、いろんなことができるってわかってね。それで路上パフォーマンスをしたら、通りがかりの人がたくさんお金をくれるんだよ」
なるほど。悪事を働いていないことには安堵しつつ、別の嫌な予感が当たってしまった。単純に貸した力を使っていればいいものの、この男の子には力を操る能力があるようだ。だったらなおさら、余計なことを考えないうちに、返してもらわないとな。
「じゃあ、おねーさん。ぼくと勝負しようよ」
話しているうちに、住宅地を抜け、草木が茂る神社までやってきた。管理する者はいないのか、ボロボロの
「ぼくに勝てたら、返してあげるよ」
男の子が社の前まで駆けていき、くるりとこちらへ振り返る。いつのまにか、頭の上には黄金色の耳が生え、背中にも太筆のような黄金色の尻尾が揺れている。不敵に笑う表情は、自信がある証拠だ。
「……仕方ないな」
周囲は林に覆われていて、日差しは入ってこない。わたしは真っ赤な日傘を畳み、そこらへんに投げ捨てた。
「この力を使えば、みんな『すごいね』って言ってくれて、お金をくれるんだ。だから絶対に手放したくないよ!」
男の子の周りに、紫色をした五つの炎が現れる。なにも知らなければ、手品の類いだと思われるだろう。
男の子は片腕を前へ伸ばした。五つの炎が、回転しながらわたしに向かって突っ込んでくる。
見るだけならば幻想的な代物。だが、今は他人を傷つけるための
「まったく。自信というより過信だ。力の使い方がわかってない」
肌を焦がす熱が、目の前に迫る。
炎の先にいる男の子は無邪気に笑い、次の瞬間、目を丸く見開いて固まった。
「あ、あれ?」
紫の炎は、わたしがさきほどまでいた場所で回ったまま。
わたしは背から生やした朱色の翼を羽ばたかせ、頭上高くへ飛んでいた。
男の子の周りを、紅蓮の炎が取り囲む。焦ったように辺りを見回し、ハッと頭上を見るが、もう遅い。
「炎とは、こう使うものだ」
翡翠を焼いて生まれ変わったこの身に、烈火が渦巻く。翼を羽ばたかせ、炎をまとったまま一直線に男の子めがけて急降下する。
「う、うわぁぁああああああーーーっ!?」
悲鳴を呑み込む業火。
炎が男の子を貫く、直前、わたしは翼を一打ちさせた。男の子の目の前で、身体が止まる。羽ばたいた風が、燃えさかる炎を一瞬で消し去る。目をつぶってビクビクと震える
「いたっ!?」
男の子は大袈裟にのけぞり、尻もちをつく。
辺りは静けさを取り戻した薄暗い神社の境内に戻る。焼けた跡など、どこにも残っていない。
「勝負はついた。今すぐ力を返してもらう。利子もつけてな」
「えぇっ!? 利子って?」
「金か、それに見合うものだ」
「そんなのないよ!?」
「路上パフォーマンスで稼いだと言っていただろう」
「そんなの、薬と食べ物を買うのに全部使っちゃったよー!」
男の子は涙目になりながら、わたしを見上げる。
古びた社の縁の下から、ひょっこりと獣の耳が飛び出した。涙を拭う男の子の周りに、二匹の子狐と足に包帯を巻いた親狐がやってくる。
「お願いだから、人に化ける力を取らないで! せめて弟と妹が独り立ちするまでさ! この力が必要なんだよ!」
男の子が涙を流しながら懇願する。
まったく。確かにいい子なんだが……それだけに厄介な相手だ。
わたしは大袈裟にため息を吐き、心を鬼にして言い放つ。
「ダメだ。力は返してもらう。お前ごとな」
「えっ?」
男の子と、その周りにいる狐たちが、きょとんと首を傾げた。
「化ける力を手放したくないのなら、わたしたちの店で働いてもらう。お前が店のものになれば、化ける力を返したことになる。利子は、お前の労働力だ」
「つまり、おねーさんのお店で働けば、人に化けたままでいられるってこと?」
「そうだ」
頷いた瞬間、男の子の顔がパァッと明るくなっていく。背中にある尻尾が、嬉しそうに左右に揺れ動いている。
「やった! ありがとう、おねーさん!」
男の子は無邪気に笑い、家族の狐たちとはしゃぎまわる。
本来、わたしたちが貸したのは、『化ける力』だけだ。狐火を出せるようになったのは、『彼自身の力』。そんな才能を持つ者を、上役は放っておかないだろう。
「キタキツネ――人の名を、
顧客情報はもちろん頭の中にある。跳ね回る男の子の名を呼び、わたしは手を差し伸べた。
コンはこちらへ振り向き、「そういえば」と無垢な眼差しを向ける。
「おねーさんの名前って?」
「アカショウビン――人の名を、
背に生えた朱色の翼を揺らしながら、わたしは真紅に彩られた唇を弓なりに曲げた。
「ようこそ、
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