獅子の行方 3 *

 急に泣き止んだアフロディアは、ぺたんと座り込んだままではあったが、上体をまっすぐに起こし、膝に両手を置いていた。


 泣き腫らした目を前方に向け、神妙な声になって、言う。


「いいのだ、その娘の言う通りだ。


 確かに私は、わからずやでわがままだった。


 そうだ、そうなんだ。


 まわりは敵だらけで、この家でやっと隠れさせてもらっている、そんな状況なのに……」


 兄王への強い心配と、恋人であるティリオンにはつい甘える気持ちがあって、駄々をこねてしまったアフロディア。


 けれども、第三者からの容赦ない指摘を受けて、頭から水をかぶせられたように冷静になれたのだった。


 アフロディアは再び、レジナのほうに顔を向けた。


「そなた、レジナ、とかいうのだったな。


 すまぬ。随分と迷惑をかけてしまったようだ。許して欲しい」


 われを取り戻すと驚くほど素直に……しかも頭を下げてきちんとあやまる若いスパルタ王女に、レジナのほうがたじたじとなる。


 背を反らせて腕組みをすると、悔し紛れにそっぽを向いて言った。


「ふ、ふんっ。そういうことは、あたしより先にティリオンに言うんだねっ」


 アフロディアは、ティリオンにも黄金の頭を下げた。


「ティリオン、すまぬ。私が悪かった。


 どうかしていた、許して欲しい」


 素直にあやまるアフロディアの姿に、ふと、かつて非を認めて自分に頭を下げたクレオンブロトス王の面影おもかげを見ながら、ティリオンは首を振った。


「いいえ、姫。


 私のほうこそ手荒なことをしてしまって、すみません。


 申し訳ありませんでした」


 アフロディアは頭を上げ、弱々しく微笑んだ。


「いいのだ。あれくらいしてもらわないと、私は止まらない。


 兄上さまが生きて、逃げのびられたと聞いて、頭に血がのぼってしまっていたからな。


 兄上さまは強いお方だ。たすけに行くのがすこしくらい遅れても、兄上さまならきっと待っていてくださる。


 あのひどいお怪我で、兄上さまのお命があったという事だけでも、今は喜ばなければいけないのに」


 落ち着いたとはいえ、いまやアフロディアは、兄王が生きている、と完全に信じてしまっていた。


 そんな彼女の言葉は、さきほどアフロディアを思わず叩いて、自分のほうが大きな精神的ダメージを受けたティリオンをいっそう追い詰めることになっていた。


 先刻の、ダリウスとフォイビダスの密談を聞いても、ティリオンは、クレオンブロトス王が生きているとは思えなかった。


 なぜならあの時、彼は直接、医師の目でクレオンブロトス王の傷をた。


 そして、間もなく訪れるであろう王の死を、確信した。


 確信したから、早く逃げろ、自分の最期さいごを妹に見せるな、という王の言葉に従って、王をその場に置き去りにし、アフロディア姫だけを強引に連れ去ったのだから。


 (いかに鍛え抜いた体のスパルタ人といえど、あれだけの重傷で生きていられるものだろうか?


 私は、たて違いをしたのだろうか?)


 ティリオンの頭に、クレオンブロトス王の傷だらけの体が再現され、医師としての分析が始まる。


 致命傷は数ヵ所にのぼっていた。


 特に腹の刺し傷がひどかった。


 だが、かつて届かぬと思ったスパルタ人クラディウスの剛腕の矢は届き、彼自身の背に突き刺さった、という事実もあった。


 スパルタ人の驚異的な体力・回復力を、自分はまだよくわかっていないのではないか、という疑いが、ティリオンの頭から離れなくなってしまったのである。


 (もし、たて違いをしたのだとしたら、私はまた一つ、大変な過ちをしてしまったことになる!)



――――――――――――――――*



人物紹介


● アフロディア姫(15歳)……ふたつの王家のあるスパルタ王国の、アギス王家の王女。ティリオンの恋人。

 『レウクトラの戦い』で、スパルタは敗戦。逃亡中。


【※二王制軍事国家スパルタには、アギス王家とエウリュポン王家のふたつがあります】


● ティリオン(19歳)……アテナイの将軍長アテナイ・ストラデゴスの息子。優秀な医師でもある美貌の青年。複雑な過去を持っている。


 スパルタ王女アフロディア姫と恋に落ち、『レウクトラの戦い』でスパルタが敗戦したため、姫を連れて逃げている。


● レジナ(16歳)……テバイポリスの奴隷村に住む、赤毛の少女。

 ティリオンに一目惚れをし、危険を冒してかくまうことになった。


● ソリム(10歳)……レジナの弟。おとなしくて気が弱いが、頭はいい。

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