第二十話


「気づいちゃったんだけどさぁ、こうして2人でちゃんと話すのは初めてだよね?」


 焚き火に薪を焚べながら、四郎はすこし照れ臭そうに言った。洞窟内の気温が下がり始め、秋花は手を当ててそれに温まっている。


「四郎兄は今まで何を……って、聞くまでもないですね」


 四郎に視線を向けず、燃え盛る火を見つめ続けながら秋花は独り言のように言った。


「僧正坊に追放された者達を集めて、彼を失脚に追い込む機会をずっと待っていたんだ。僧正坊には恨みしかないからね~。僧正坊が腰を抜かす姿を何度妄想して笑っていたことか」

「どうして今年なのですか?」

「反逆には秋花達の協力が不可欠だったから。仕掛けるなら、秋花が百足討伐に来る最後の年にと」


 秋花達の最初の管理者は四郎。

 契約の際、菫は秋花が18になる年までの契約と時限を付けた。それを彼は覚えていたのだ。


「我々よりも神に協力を得た方が確実だったのでは? 少なくとも僧正坊に不満を持つ者は多いはず」

「そうじゃない」


四郎は食い気味に否定した。


「私が彼らを集めた主目的は、僧正坊の失脚に非ず」

「では何を?」

「我々の目的は、僧正坊の両手足となる烏水の制圧」

「……それはつまり、私に兄者を殺せと?」


 怪訝そうな顔で、秋花は四郎に確認した。

 飄々としている四郎だが、彼女の表情の変化に少し焦りが見えた。言葉を慎重に選びながら、四郎は秋花の説得を続けた。


「秋花も分かっているはずだ。今まだ僧正坊が実権を握っているのは、烏水という右腕があるからこそ。烏水がいなければ間違いなく僧正坊の時代は終止符を迎える」

「であれば交渉する相手を間違えてはいませんか? 兄者とて僧正坊の立場が良くないことは理解しています」

「烏水は例え僧正坊が神議の面前で神を殺めたとて、あの老害に忠義を示す」

「それは結香さんが人質に取られているからですか?」


 秋花が結香の名を出すと、四郎は言葉を詰まらせた。そして、言葉が出て来ないのとは裏腹に、四郎の口角が上がり、笑みを浮かべながら語る。


「フン。結香、結香か……。あの女はもう、烏水にとってなんの役にも立たない」


 笑顔を浮かべながら彼女を「役に立たない」と切り捨てる四郎の目は、虚だった。


「……やはり、もう死んでいるのですか?」

「これを見てくれ」


 そう言って、四郎は岩陰に隠していた古い木箱を秋花に差し出した。蓋を開けて中身を確認すると、そこに入っていたのは大量の古い手紙だった。


「これは?」

「烏水からの手紙だ。中見ていいよ」


 促されるがままに、適当に一枚の手紙を手に取り、中身を開ける。そこに書かれていたのは……



_______『結香へ』



 それは間違いなく、烏水が妹の結香に充てた手紙だった。


「これは、どういうことですか?」

「烏水と結香が交わした10年分の文通の手紙の一部。基、その結香は私だ」


 四郎の話によると、結香が奴隷部屋に入った10年来、彼が結香の代わりに烏水と手紙のやりとりをしていたと言う。


「異能の力を持った私を御殿から追放しても尚、僧正坊が私を生かしている理由がそれだ。烏水を繋ぐ為に、結香になりすます為だけに私は殺されなかった。異能を発揮できない、力も劣る出来損ないの天狗1人が野に放たれたところで、何もできないと思ったんだろうね」

「何故、四郎兄が結香さんの代わりになったのですか?」

「当時、私は僧正坊の側付きとして、跡目の修行をしていたんだけど……最初から私に僧正坊を譲るつもりがなかった彼が、修行を笠に私に与えた仕事があの奴隷部屋の管理だった。理由はたったそれだけ。私が当時の管理者だったから。烏水だって、もしかしたらとうの昔から勘付いていたかもね」


『私としてはもう吹っ切れてはいるんだけどね』

ふと、烏水がそう言っていた光景が脳裏に浮かぶ。諦めたように呟いた烏水を見て、もう踏ん切りが着いたのだと秋花は思っていた。

 実情はその逆。手紙の相手が妹じゃないと分かっていながら、10年以上も手紙を書き綴ったのは、妹の死を受け入れたくない気持ちの現れなのではないか。もしくは……


「それでも現状は変わらなかった。だから烏水にとって、もう結香の存在は脅迫にも救いにもならないんだ」

「結論は?」

「ん?」

「兄者が僧正坊に忠誠を誓う理由は、何と考えますか?」


 結香という可能性が消えた以上、考えられるのはただ一つ。秋花は、それを分かった上で四郎に投げかけた。


「恐らく、僧正坊の呪術によるものなんじゃないかな? でなければ、あいつが僧正坊を前にして正気でいられるはずがないさ」

「僧正坊が文通を続けさせる理由は?」

「過去に僧正坊を裏切ったんだ。烏水が無償で自分に忠義を誓うより、結香を人質に取られていると思わせる方が周囲を納得させやすい」


 ここで、昔、僧正坊が酒に酔った勢いで得意げに話していたことを思い出した。

 異能を解放するには限界がある、と。


『歴代の単細胞共らは自らの力を過信し、事あるごとに異能に頼ってきた。そのバカ共の所業のお陰で、無知共が勘違いを起こし、異能を使わずとも勝手に思いどおりに動いてくれる。限界はあれど、使い用を工夫すれば効率的にバカ共は動かすことができる』


 当時の秋花は、性根の悪さが自身の異能に助けられていることに気づいていないバカだと思っていたが、彼のどうでもいい話を聞いたことが今ここで報われていることに感謝した。

 四郎の予測も強ち間違いではないが、大元の理由は、慕われる兄者の立場を利用した異能のセーブだろう。兄者が僧正坊に従えば、不本意ながらも付いていく者は少なくない。恐らくは、彼らに対して無駄に異能を解放しないための一策だ。


「いつからだったんでしょうか」

「結香が奴隷部屋に入った直後じゃない? 僧正坊の異能は、奴の体液を体内に摂取させることで呪立する。でも彼の場合、異能の力が強い分、呪詛をかける際に要する体液の量が尋常じゃない。厄介な能力だけど、そう簡単に行える代物じゃない」


 僧正坊が限界があると言ったのは、間違いなくこの事だ。


「それなら奴隷部屋の女達が服従していない理由に合点が行きます」

「百足の発端も同じ原理だろうね。体液は妖力の塊。元々器を持たない人間の娘なら、性交渉時の少量の体液だけでもその身に余る妖力に充てられてしまう。それに身体が無理に適応しようとして、可哀想にあのような異形となってしまったんだろう。それと、面白い事が一つ」

「何ですか?」

「調べて分かった事なんだけど、実は摂取量によって、百足になるまでの時間に差があるんだ」

「!。なるほど……四郎兄達がどうやって芽々の監視を掻い潜って百足を中に引き入れたのか、漸く分かりました。あの奴隷部屋の中で、量を調節してタイムラグを生じさせていたのですね」

「そう。因みに秋花が面を付けて対策をしていたように、彼女達が人間に一番喰らいつく理由は分かるかい?」

「さあ?」

「助けてくれるって思ったんだろうね。同じ匂いがする安心感から、同族に助けを必死に求めていたんじゃないかな。それを踏まえて、私が秋花に頼みたいことはただ一つ。……どうか、烏水の目を醒ましてあげてほしい」


 そう言って四郎は、厳かに頭を下げた。


「彼はこれからの天狗の世には間違いなく必要で、利用価値が高い。彼が自分を取り戻せるよう、結香の影を重ねる秋花に、私は全てを賭けたい」


 額を地面にビッタリと付けて懇願する四郎を、秋花は静観した。


 ここで二つ返事で四郎の頼みに頷くわけにはいかなかった。

 情で動いてハッピーエンドになるほど、弱肉強食の世界は甘くない。況して、僧正坊への反逆に加担したとして、神がどちら側に転ぶかは分からない。僧正坊に貸しを作るか、それとも追い討ちをかけてくれるのか、将又どちらも潰しにかかるか。もし、僧正坊に味方をするのであれば、秋花達は皆殺しになることはほぼ確定であり、仲介した天野も巻き添えを食らうに違いない。

 そのリスクを考えるのであれば、僧正坊に加担し、四郎達を潰してしまうのが立ち回りとしては安全である。

 いくら間違っていても、いくら正しいことを言っても、敢えて間違った選択肢を選ばなければいけないことだってある。


 不要な選択など存在しない。


「……私は」

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