第十九話
______あれは、何年前だっただろうか。
まだ私が兄者に刀の稽古をつけてもらっていたある日、稽古終わりに兄者が仕事をすると聞いた私は、なんとなく着いていくことにした。理由はもう覚えていないが、兄者が私を背に乗せながら、大きく重い袋を抱えてこの鍾乳洞に運んでいた。さすがの兄者も死体と子ども1人を一度に運ぶのがしんどかったのか、休み休み飛んでいたのを覚えている。
その日は、数少ない晴れた日だった。
兄者は鍾乳洞の中腹辺りで、袋を捨てた。ちょうど、私と四郎が落ち会った辺りだろうか。兄者の口から袋の中身は聞かされなかったが、目を盗んで私は転がっていた別の袋の中身を見た。
驚きはしなかった。
普段、依頼で妖を殺して慣れていたことと、人間への愛着がなかったことから、同じ人間の死体を見つけたところで何とも思わなかった。とはいえ、見てはいけない物を見てしまった自覚はあった。
本来ならば、私を含めて人間が別の世へ渡ることは許されていない。それなのに、ここにいないはずの人間が死体となって捨てられているのだから、触れてはいけないのだと子どもながらにすぐに理解した。
『秋花、終わったよ。ついてきてくれてありがとう』
『ん』
『せっかく来たし、今日は晴れてるから少し散歩しようか』
兄者に手を引かれ、死体の垣根を越えて奥へと進んだ。そして連れてこられたのが、今私達がいるこの場所だった。
『あ』
ずっと暗かった洞窟だったが、この場所だけは、天井の岩の隙間から陽の光が漏れて少し明るかった。周りが暗い分、射し込んだ光の線は輝き、まるで氷がついた寒暁の蜘蛛の糸みたいだ。その細い光が当たる下には、今はもう凍ってなくなってしまった青く澄んだ小さな地底湖があり、差し込んだ光が湖に自然な水玉模様を描いていた。
天井は水面が反射し、水面の波の影が靡いており、なんとも心落ち着かせる不思議な空間だった。
その光景に目を惹かれた私は、もっと近くで見たいと走り出した。
しかし情けないことに、目の前の光景に夢中になっていた私は、突出した小さな岩があって足場が悪かったことを忘れ、足を引っ掛けてしまい、盛大に転んでしまった。受け身を取りきれずに、途中で変に態勢を変えてしまったために、頭の側頭部を岩で切ってしまった。
『秋花! 大丈夫か!?』
『ん』
『「ん」じゃなくて、頭から血が出てるから!!』
あの時の兄者の焦りようは、滑稽だった。後に3針を縫う大怪我だったが、怪我に慣れていた私は、痛みに悶えるよりも焦る兄者を見て楽しんでいた。
『足場悪いし暗いんだから、急に走っては危ないだろう? 傷見せて!』
髪が生えてる部分からの出血だったので、傷口の位置を確認するために、兄者は自分の着物を割いて下ろしていた私の髪を邪魔にならないように纏めた。
『これは縫わないと。あーあ、せっかく菫に内緒で来たのに大目玉だ』
『全部私のせいにすればいい』
『秋花は俺がそんな非道な事をする天狗だと!?』
『菫に怒られたくないならそうすればいい。私は怒られ慣れてるから怖くない』
今まで、不都合が起きれば何もかも私のせいにされてきたから、それが当たり前だと思って、兄者にもそう提案した。
例え私のせいだとしても、菫はただ怒るだけで変に叩いたりしないから、怖いと思ったことなど一度もなかった。それなのに、兄者は菫に怒られるのを怖がって、子どもの私よりもビビっていたのが不思議だった。
『秋花』
『何』
『ずっと、秋花に言いたかったことを今言ってもいい?』
私の怪我の手当てをしながら、兄者は改まって言った。
『秋花って、いつも楽な方にばかり逃げようとするよね』
『そ?』
『うん。嫌な事とか辛い事があると楽しようとして自己犠牲に走るよね。多分、そっちの方が安心するんでしょ? 誰も信用できないから』
自覚はない。だが真実はどうであれ、兄者が言うのなら、きっとそうなのだろうぐらいにしか思わなかった。
『その癖治した方が良いよー。試練を分け合うことができない者は、良いことも分け合えない。守り守られて生きるから、誰しも一人前に生きていられるんだ』
『兄者も?』
そう私が聞き返すと、処置をする兄者の手が止まった。
ふと兄者の方に顔を向けると、彼は何も答えない代わりに、私に優しい笑顔を向けた。
『秋花は、守ることの意味は分かるかい?』
『誰かを死なないようにすること』
『私も、ずっとそう思っていたよ。壊れないように大切にすることで、守れていると思っていた』
『違うの?』
『守るって言うのは、嘘を吐かなくても良いようにすることだ』
『なんで?』
『何かに自由を脅かされた時、誰しも防衛本能で嘘を吐く。延いては、守ることは自由を奪われないようにすること。そのために必要なことはなんだと思う?』
『実力』
『自分自身だよ。誰かを守る行為は、自分が生きる前提の上に成り立っている。だ・か・ら!』
______『誰かを守るためにはまず、自分を守らないと』
これが、ここでの私の思い出。
そして、菫から正式に兄者との空の旅を禁止された発端の出来事だった。
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