「!?」


 突如吹き荒れる突風に、その場にいた全員が、髪や衣服を煽られながら、何事かと周囲を見回す。


「な、なんだ!?」

「二人とも、危ないッ!」

「きゃっ!?」


 動揺する二人の仲間に、勇者が両腕を広げて覆い被さり、地面に伏せる。

 直後、三人の頭上を、折れた大木の幹が飛んでいった。


 風は渦を巻き、木々を薙ぎ倒し、吹き飛ばしていった。


 やがて大風が収まった頃には、森の真ん中にぽっかりと、剥き出しの地面の円が出来上がった。

 その中心には――


「なるほど……貴様らが今世の勇者たちか」


 座り込んで呆然としているギギラを背にして、長身の男が立っていた。


 がっしりと逞しい体格を包むのは、鋼の甲冑と、深い青(魔族にとって血の色)に染め上げられたマント。

 米神に渦を巻くようにして生えた、羊に似た太い二本のツノ。背中の中程まで伸びる銀の長髪。肌は褐色を通り越して黒く、切れ長の双眸に金の瞳が妖しくきらめいている。

 男は一切の武器を帯びておらず、何も身構えずに泰然と佇んでいた。


「な……なんなの、あいつ? 伝わってくる魔力が、ギギラの比じゃないわ!」

「只者じゃなさそうだ……」


 アレクと共に起き上がったエリィとロビンが、突然新たに現れた魔族を睨みつける。

 一方、アレクは不吉な予感に顔を強張らせていた。それは、勇者の宿命から来る直感とでも言うべきか――


「我が名はゼオギア。配下の者が世話になったようだな」


 地の底から響くような低い声がそう名乗った途端、勇者一行は愕然として言葉を失った。




 ――第45代魔王・ゼオギア。


 魔界において世襲制はなく、魔王が指名した者、或いは魔王を倒した者が、年齢も種族も身分も関係なく次代の魔王となる。

 ゼオギアは王座について百年にも満たなかったが、早くも歴代最高の魔王に名を連ねるだろうと、魔界全体から目されていた。

 その実力は、無論、人間界にも名を轟かせており――


「う、嘘……」

「魔王がどうして、こんなところに……」


 エリィとロビンは愕然としたまま、声を震わせた。


 今回の人間と魔族の闘争は、長年に渡り門の最も近くで防衛線を張っていた強国が、半日かからず軍を壊滅させられ、軍門に下ったことから始まっている。

 ――魔界軍の侵攻ではない。魔王たったひとりの手によって。


 いきなり出現した強大すぎる敵を前に、二人はほとんど絶望し、戦意を失いかけていた。杖と弓さえ取り落としそうになっている。


 しかし、勇者だけは、構えた剣を決して下ろさず、二人を庇うように前へ出た。


「……二人は逃げて。僕がここで食い止める」

「は……!? な、何言ってるのよアレク、無茶よ!」

「そうだ、ここは退くべきだ……逃げられるかどうかは別にしても――」


 二人の制止に、勇者は首を横に振る。

 そして振り返り、微笑んだ。


「僕は勇者なんだ。みんなを守らなくちゃ」


 その微笑みと言葉は、二人の心に再び闘志を灯すのに充分だった。


「ッ……馬鹿っ! 馬鹿アレク! そんなこと言われたら」


 エリィは声を荒げながらも、強気な笑みを取り戻し、杖を両手で握り直した。


「勇者一行の魔法使いとして、アタシだって 退けないじゃないの!」


 ロビンも、新たな矢を弓につがえる。


「……まあ、考えてみれば、いずれ倒すことになる相手だ。なら、早い方が得策、か」


 呟く声は冷静だが、その目には闘志が燃えていた。


 自分と同じく踏みとどまることを選択した二人の仲間に、勇者は頼もしげに笑みを深めた。次いで、苦しげに眉を寄せた。


「エリィ、ロビン……ごめんね」

「謝るな、アレク。これが俺たちの使命だろう?」

「そうよ。ごめんなんて言ってる暇があったら、魔王を倒してみせなさい、馬鹿勇者!」

「……あぁ、そうだね。いこう、みんな――!」


 奮い立った三人は、もはや臆することなく魔王と対峙した。


 その三人に向かって、すっ、と魔王が片腕をあげる。

 何気ないそんな動作にさえ、勇者たちに緊張が走る。


「逸るな、血気盛んな若者たちよ」


 魔王は、武器を向けるでも、魔術を発動させるでもなく、ただ掌を彼らに向けた。

 その口元には、うっすらと微笑すら浮かんでいた。まるで、やんちゃな子どもたちを宥める時のような。


「今、ことを構える気はない。我に楯突く勇者の面構えを、ふと見ておきたくなっただけだ。お前たちの実力、こうして対峙しただけでよくわかった――まだだ。我と戦うには、まだまだ未熟……」


 静かに語りかけた後、手を下ろした魔王は、勇者たちに背を向けた。群青色のマントが翻る。

 その後ろ姿はまるきり無防備で、斬りかかる隙は充分すぎるほど。

 しかし、勇者たちの誰も、そうはしなかった。

 できなかった。無防備でいても、隙だらけでいても、得体の知れない気配が魔王から立ち上っていた。


「もっとだ、もっと強くなるがいい。我を楽しませることのできる、真の勇者となった時――」


 どこからともなく黒い霧が立ち込め、魔王と斥候の姿を覆い隠していく――


「その時、いずれまた合間見えよう」


 魔王の声だけが、朗々と響いた。


 そして、霧が晴れた時には、魔王とその配下の姿はどこにもなく、勇者一行は立ち尽くすばかりだった――

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