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「もし良かったら、マノン嬢の誕生会に僕をトネール伯爵令嬢の同伴者として参加させてくれないかな」

 アルベリックは唐突にマノンに向かって頼み込んできた。

「――――――は?」

 どうやってこの場からアルベリックを追い払うかを考えている最中だったマノンは、腹の底から響くような声を上げ、思いっきり不快な表情を作って聞き返した。

 この場でこれだけ王族に対する不敬な態度をとってもマノンが咎められないのは、彼女がジルベール王子の婚約者だからではない。フェール公爵家がこの王国でそれだけの権力を持っているからだ。

 もちろん、アルベリックはこれくらいで目くじらを立てるような性格ではないが。

 昨今、ガヴィニエス王家の威光は弱まっている。

 テルドール王国は歴史ある国だが、ガヴィニエス王家は国内の貴族たちが多方面で権力や財力を持つようになるにつれて少しずつ衰退ている。

 それでも王国としてそれなりの体面を保てているのは、有力貴族たちが一応は王家に忠誠を誓っているからだ。国王は自分の子供たちを国内の有力貴族たちと結婚させ、縁戚関係を作ることで、王家との繋がりを意識させている。王の配偶者も国内の貴族から娶り、国内の地盤固めに必死だ。

 第五王子をフェール公爵家に婿入りさせるのも、万が一フェール公爵家がテルドール王国から独立したとしても親類という形が保てるからだ。フェール公爵家を継ぐのはマノンではなく、今年で十二歳になる長男だが、万が一長男がフェール公爵家を継げないことになれば、長子であるマノンが継ぐことになる。そして、さらにはジルベールとの間に生まれた子供がその後を継ぐことになるので、ガヴィニエス王家とフェール公爵家は血縁関係が成立する。

 フェール公爵はなにか気に入らないことがあるたびに「独立する」と騒ぐが、家臣たちから「独立するとなると、公国の政治はすべて閣下がすることになるんですよ」「外交も閣下がすべて対応することになるんですよ」「いままでは面倒だからと全部王家に丸投げしていたものを、閣下がすべてやらなければならないんですよ」と政治がどれだけ面倒かということを懇々と諭されて「君主は面倒だから、やっぱり独立するのはやめる」の一言を渋々口にするのだ。

 ちなみに、十日前も似たようなやりとりが父と家臣たちの間で繰り広げられていたのを、マノンは父の執務室で見ている。

 家臣たちがマノンに助けを求めるような視線を送ってきたため、「領地の西の砦の修復に国庫からの補助が貰えなくなりますね」と父に告げたところ「砦の修復費用をせしめるまでは独立するのはやめる」との返事だった。独立すると言い出したきっかけは、国王から王家の紋章の薔薇の色と公爵家の紋章の薔薇の色がほとんど同じだから、公爵家の薔薇の色を変えてはどうか、と提案されたことらしい。国王は常につまらない一言でフェール公爵との関係に波風を立てる名人だ。

 そんな父親に似たのか、アルベリック王子もやたらと些細なことから波風を立てる。

「わたくし、アルベリック殿下を誕生日にお招きした覚えはございません」

 過去の経験上、やんわりと断ると相手が適当な理由を付けてなんとか招待されたことにしようとするので、マノンはきっぱりと断った。

「うん。でも、トネール伯爵令嬢の同伴者なら、トネール伯爵令嬢宛ての招待状で参加できるだろう?」

(……できるけど、できないようにすることもできるわよ。まだリリアーヌには招待状を出していないから、招待状にはリリアーヌとピエリック・フルミリエの名前を書いて参加できる人を限定するとか、リリアーヌとレオ殿の名前を書くとか、リリアーヌだけしか参加しないようにするとか。そもそも、なんだってこの放蕩王子はわたくしの誕生会に無理矢理でも参加しようとするの? ジルベール様がいらっしゃることはほぼ間違いないのに)

 アルベリックは特にジルベールと仲が良くない。

 ジルベールは園遊会や夜会でアルベリックが話しかけてくるだけで、不愉快そうに顔をしかめるのだ。弟の方が兄を苦手としている状況だ。

(ジルベール様に嫌がらせをされたいのかしら。もしそうなら、絶対に当日会場に入れないようにうちの優秀な使用人たちに命じておくのだけど)

 いまのところは毒にも薬にもならないと言われている第三王子のアルベリックを追い返したところで、フェール公爵家と王家との関係が悪くなることはない。

「殿下がいらっしゃるというのであれば、トネール伯爵令嬢の同伴ではなく、殿下に招待状をお送りしますが」

「その必要はないよ。僕は、トネール伯爵令嬢と一緒に行きたいんだ」

 ひらひらと手を振ってアルベリックはマノンの提案を断る。

(それはつまり……リリアーヌに興味を持ったということかしら)

 マノンが軽く眉をひそめると同時に、レオも顔をしかめる。彼もマノンと同じ心配をしているようだ。

(リリアーヌは確かに可愛いし、押しが強い男には流されそうなところがあるし、身分のこともあるから、殿下が同伴すると言ったら断れないわよね)

 リリアーヌがピエリックと婚約を解消するのであれば、彼女にふさわしい新たな婚約者を紹介することをマノンは考えていた。

 ただ、アルベリックはとてもリリアーヌにふさわしいとは言えない。

 ピエリック以上に問題がある相手だ。

「まさかアルベリック殿下がリリアーヌ嬢に興味を持つとは……気が強い令嬢が好みだと思っていたのに……フェール公爵令嬢ならご自身で手酷く断ることもできるからと放置しておいたのに……」

 レオがちっと舌打ちしながらぶつぶつと呟いている。

(ちょっと、心の声がだだ漏れよ。あと、わたくしは別にアルベリック殿下の興味の対象ではないわよ。ジルベール様と婚約しているからちょっかいを出されているだけよ)

 マノンとレオの間には、アルベリックに対する認識に大きな差があった。

「わたくしの友人を殿下にお預けするのは心許ない――」

 こうなったらはっきりと拒絶するしかない、とマノンが口を開いたときだった。

「きゃ…………ひっ!」

 なぜかリリアーヌが驚きの声と悲鳴を上げる。

(なに?)

 アルベリックを注視していたマノンは、慌ててリリアーヌに視線を向けた。

「――こんなところでなにをしているんだ」

 突然どこからともなく現れた近衛隊の隊服に身を包んだ男が、リリアーヌの腕を掴んでいる。

「……兄さん」

 レオが大きく目を見開いて、相手を見つめる。

 赤毛に焦げ茶色の瞳の男は、髪と目の色こそレオとよく似ているが雰囲気がまったく異なっていた。

 日頃は冷静沈着なレオとは対照的に、落ち着きのない性格が顔に出ている。

(え? ピエリック・フルミリエ?)

 さすがのマノンも驚きのあまり言葉を失う。

「ピエリック様……?」

 リリアーヌもこのような場所で会うとは思ってもみなかったのだろう。目を丸くしてピエリック・フルミリエを見上げている。

「どうしてこちらに……」

「それは俺の方が聞きたい」

 ピエリックはリリアーヌ嬢の腕を引っ張って無理矢理椅子から立たせる。

 近衛隊の隊服姿ということは勤務中のはずだが、仕事を抜け出してきたことを気にしている様子はない。

「来い」

 リリアーヌが口を開く前にピエリックは相手を連れ出そうとする。

 その横暴な態度にマノンは憤った。

 自分に挨拶をしないのはまだ大目に見るとして、一応は王子であるアルベリックに頭を下げることもせず、リリアーヌしか見ていないというのは近衛隊隊士失格だ。

 そもそも、リリアーヌを物のように扱う態度がマノンは許しがたかった。

 ピエリックはなにに苛立っているのか、敵を見つけたような目つきでマノンを睨み付ける。

「あなた、どなたかしら?」

 わざとらしくマノンが扇を広げて口元を隠しながら尋ねる。

「二度とリリアーヌを唆すな。この、悪女が」

 マノンを睨んだピエリックが、吐き捨てるようにマノンに向かって告げる。

「わぁ、命知らずだな」

 アルベリックが感嘆の声を上げる。フェール公爵令嬢に罵詈雑言を放ってただでは済まないことは王族だって知っている常識だ。

 もちろん、マノンは罵倒されて嫋やかに泣き崩れるようなおしとやかな令嬢ではない。

 現に、マノンの額にはぴきぴきと青筋が二本も浮き出ている。

「に、兄さん。こちらの令嬢はフェール公爵令嬢で……」

 レオがすかさずマノンの素姓を明かす。

 知らないはずはないだろうが、なにやら気が立っているようなのでもしかしたら気づいていないのかもしれないと思ったようだ。

「知ってる。ジルベール殿下をたぶらかした悪女だ。今度はリリアーヌを利用するつもりだろう」

 憎々しげにマノンを睨んでピエリックが言い放つ。

(短絡的かつ直情型。正しい状況判断ができず、下品極まりない男。しかもわたくしを悪女呼ばわりするような愚か者。リリアーヌにはふさわしくないわ。この男――――潰してやりましょう)

 きっとピエリックを睨み返しながらマノンは瞬時に心の中で決断した。

 やられたら遠慮なくやり返すのがフェール公爵家の流儀だ。

「レオ殿」

 横暴な兄の態度に頭を抱えているレオに、マノンは声をかける。

「は、はい。あの、兄が大変失礼なことを申しまして……」

 我に返ったレオは、慌ててマノンに視線を向けた。

「こういうことは、ジルベール様に報告して対処をお願いするのが本筋なのでしょうけれど、公務で大変お忙しいジルベール様のお手をわずらわせるのはやはり良くないと思うの」

「お、おっしゃるとおりです」

 ジルベールに報告すればピエリックは近衛隊の職務を放棄してリリアーヌに狼藉を働こうとした上、マノンを罵倒したことになる。それではピエリックは複数の罪に問われることになり、ミヌレ伯爵家としてはかなり都合が悪いという打算がレオの中で働いたようだ。

「殿下に報告すれば、大変お怒りになると思われます」

「侍従の君も叱られるだろうね」

 レオの言葉に、アルベリックが付け加える。どうやらアルベリックはさっさと傍観を決め込むことにしたようだ。

「私のことはどのように処分をされてもかまわないのですが、殿下はフェール公爵令嬢に対してあのような物言いをした兄を許しはしないでしょう……」

「じゃあ、わたくしが私情でやり返しても文句はないわね?」

 勝ち誇ったようにマノンはレオに確認した。

「やり返す? はっ! フェール公爵の娘が悪女って噂は正しかったようだな」

 ピエリックが鼻で笑ったので、マノンは扇を円卓の上に置くと、両手を握って拳を作った。

「とりあえず、とっても腹が立ったのでまずは一発殴っておくことにするわ」

 よし、とマノンが振り上げたときだった。

 ピエリックの顔が蒼白になり、なぜか彼はさっとリリアーヌの腕から手を離した。

(え?)

 マノンが首を傾げるより先にリリアーヌが驚いた様子で口元を両手で押さえる。

 その瞬間、ピエリックの身体は四阿の外の芝生の向こうの植え込みまで吹っ飛んだ。

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