第38話 俺が役立たずの従者と呼ばれていた頃 2


「……またそれか」

「気になるじゃないか。突然治ったの? 目の前で? 何かなかった? 例えば、光がふわ~っと輝いたりとか」


 役立たずの従者なりに、俺は彼女に質問を重ねた。

 どうせはぐられかされるだろうなってことはわかってる。ただ、彼女が何らかの重要な手掛かりを掴んでいることは間違いないだろうし、そもそもの目的はギルバート様の完治の原因を探ることだったから、ここはしつこく食い下がるしかない。


 本当はもっとゆっくり親睦を深めたかったけれど、そんな時間もない。

 彼女と話しができるのも、今日で最後だ。……最後、か。そう考えると、何か寂しいな。


 こんなに俺に突っかかってくる子は初めてだし、何でこんなに嫌われてんのかはわからないけど、何を言っても遠慮なくぽんぽん返してくれるところは楽しいとも思っていたのに。


「知らない。気づいたら治ってた。それだけだってば」

「そんなことってあるかなあ? 普通」

「さあ? あるんじゃない?」


 エイデン侯爵は、手掛かり一つ得られないことに落胆している様子だった。

 壮絶な病が一夜で治る。まさに聖女の力によるものだとしか、説明できないような奇跡だ。

 グレイス様の代で、聖女の力は途絶えてしまったかに思えた。

 だけどもしかしたら、俺たちの知らないどこかで、あの力は今も脈々と受け継がれているかもしれない。現に、奇跡としか言いようのないことが起きている。


「聖女様の力ってのは聞いたことがある? すごい力なんだよ。グレイス様は、たった一夜で街の人々を――――」

「それで死んだんでしょうが、馬鹿らしい」


 途端、ラビは酷く苛々した様子で煙草の火をもみ消した。


「役立たずの聖女だ。力を途絶えさせた大馬鹿者。そうでしょ」

「違う」

「違わないくせに。グレイス・エイデンは誰からも嫌われた人間だった。愛されなかった。それを今更になって、素晴らしいだなんだと心にもないこと言って持ち上げて――――」

「違う。彼女は愛されてた。旦那様も、使用人の皆も、街の人も――――」

「いいや違うね! 一人もいなかった! 皆から嫌われた、歴代最低の聖女様。可哀想に、あの子が力を途絶えさせた所為で非難されたんでしょ? 恨まれた? 憎まれた? 役立たずの聖女の尻拭いは大変だったね」

「違う」


 顔色は変わらないけれど、もしかしたら彼女は酔っているのかもしれない。

 彼女の言葉はいつになく激しく、俺もだんだんと冷静でいられなくなった。


「彼女は素晴らしい聖女様だった。歴代最高の聖女様だ」

「あ~はいはい。本当はそんなこと思ってもないくせに」

「思ってる」

「思ってない」

「……君に、俺たちの気持ちがわかる訳ないだろ」


 俺が思わず零した言葉に、彼女はふっと疲れたような笑みを浮かべた。


「わかるわ、誰よりも。貴方の気持ちは、手に取るように」


 歌うような言葉だった。その時一瞬……グレイス様の面影が重なった。

 彼女が喋っているような錯覚を覚えて言葉を失ったその時――――



「チャールズ、美しいご令嬢を困らせるんじゃない」



 エイデン侯爵が、背後から俺の肩を叩いた。


「ギルバート君の未来の伴侶だ。失礼のないように」

「……申し訳ありません」

「うちの従者が失礼しました。ご気分を害してしまったようで」


 小さく頭を下げた侯爵に、ラビは肩を竦め、顔を逸らした。


「……別に」


 今日会った時は別人みたいに猫を被っていたのに、もう被るのも面倒臭くなったのか、顔は曇ったままだ。

 そんな彼女に、エイデン侯爵は「グラスが空いてますね、こちらはどうですか。美味しいですよ」とカクテルを勧めた。


「……どうも」

「ベリー味だとか。この地方のものは本当に美味しいですね、驚きました」

「…………あたしも、詳しくはないですけど」


 エイデン侯爵の登場に、さすがのラビも少しばかり大人しくなった。

 彼女はカクテルをじっと見つめた後、「訂正はしませんから」と口を開いた。


「貴方は偽善者です」

「偽善者?」

「娘を、愛してなんていなかったくせに」


 違う。思わず身を乗り出して否定しそうになって、侯爵に止められた。

 面と向かってこんな酷いことを言われたのに、侯爵は穏やかな表情をラビに向けた。


「同じことを何度も言われました。お前が愛情をかけてやらなかったからだ、ほったらかしにしていたんだろう、その所為で、国の宝は永遠に失われてしまった、と」

「…………」

「その通りだ。君たちの言うことは正しい。娘が生きていたならば、同じことを言っていただろう。……私は、あの子と向き合うことからずっと逃げていた」

「…………」

「怖かった。あの子が苦しむところを見ていられなかった。優しい子だった。私がいると、いつも気を遣って元気なフリをする。私がいない方がゆっくり休めるのではないかと、そう思うようになってからは、それを理由に逃げるようになった。……父親失格だ」


 その時、ラビは初めて顔を上げて侯爵を見つめた。


 眉間には相変わらず皺が寄っていたが、青い瞳はどこか潤んでいるようにも見える。何かを信じようとしているような、何かに縋り付こうとしているような……。


 わからない。ラビが今何を考えているのか、俺にはわからなかった。


 そもそも行動の読めない子だ。どうして俺や侯爵に突っかかるのか、信じようとしてくれないのか、貴族を嫌うのにどうして完璧な貴族を演じることができるのか。どうして……



 どうして時折、グレイス様の影がチラつくのか。



「……愛してた?」



 小さな、迷子のような声で、ラビは侯爵に尋ねた。


 僅かに肩が震えている。――――――なぜだろう。こんなことグレイス様以外に思ったことはないのに、その不安げな表情を見ていると、傍に駆け寄って「大丈夫だよ」と抱き締めてやりたくなる。何とかしてその不安を溶かしてやりたくなる。



 彼女は、グレイス様じゃない。

 何も知らない、ただの年下の女の子なのに。

 



「愛していますよ。今も、心から」





 迷いなく侯爵が返した、その直後――――……




「エイデン侯爵、こちらにおられましたか」




 パーティーの参加者の一人が、和やかに話しかけてきた。

 痩せた初老の男性。確か、アッシュ子爵と言ったか。

 侯爵とは今まで何度か手紙をやり取りしていたはずだが、実際に顔を合わせたのはこの滞在が初めてだった。


「いやぁ、素晴らしいパーティーですな、まさか最後にこんなサプライズがあるとは。確か、侯爵閣下のお嬢様が発案されたとか」

「ええ、突然の誘いにご参加いただきありがとうございます」

「可愛らしいお嬢様だ。まさか養女を迎えていたなんて知りませんでしたよ」


 二人が話し始めて、俺とラビはそっとその場を離れようとした。

 彼女は打って変わってどことなく穏やかな表情で、何か憑きものでも取れたような、そんな顔をしていた。


 ほっと安心して、今こそギルバート様の病気について聞いてみるべきだろうかと思った時だった。



「ぐッ…………!?」

「――――――残念ですよ、侯爵」



 呻き声が聞こえた気がして振り返ると、エイデン侯爵の体が、ぐらりと揺れたところだった。

 ぽたぽたと、真っ赤な血が床を塗らしている。



 ……何だ? 何が起きている?



 突然のことに、一瞬頭が働かなかった。ただ咄嗟に体が動いて、気づいたら子爵を突き飛ばしていた。その手からナイフが落ち、血の跡を引きながらカラカラと床を滑っていく。



「ラビ!! 侯爵を……――――!!」



 子爵を組み伏せ、俺は力の限り叫んだ。


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