第143話 同人誌を売ろう①
夏休みもいよいよ終盤に差し掛かろうとしていたある日の夜。
俺はいつものように風呂を終えてベッドの上でダラダラしていた。
ヴヴヴ。
スマホが震える。
それがメッセージの着信を知らせる通知だということはバイブの種類で分かった。
『明日ひま?』
秋名からのメッセージ。
内容はそれだけ。
この手の誘い方が一番厄介なんだよな。
暇かどうかは置いておいて、その暇な時間を割くに値する内容かどうかが重要なんだよ。
まず内容を言えよ。
そう指摘すればたいてい『内容言ったら断るだろ?』みたいなこと言ってくる。
じゃあ誘うんじゃねえよ。
なんてことはもちろん思ってはおらず、誘っていただけるだけで嬉しく思う俺であった。
『要件は?』
とはいえ、面倒事はごめんなので内容の把握はしっかりとしておく。
『ちょっと手伝ってほしいことがあってさ。ホントは陽菜乃にお願いしてたんだけど、なんか風邪引いちゃったみたいでさ』
秋名が陽菜乃にお願いをするということはそこまでの面倒事ではないのだろうか。
いや、逆に気心知れた友達だからこそってこともあるか。
『そのお願いってのは?』
すぐに既読はついたけれど、返事がきたのはそれから五分ほど経ってからだった。
『えっとね――』
*
別に漫画だのアニメだのといった、いわゆるオタクコンテンツを知らないわけではない。
ただ、その筋に詳しい人たちに比べると知っているというにはあまりにも無知だ。
だから、同人誌という言葉を聞いたときもピンとは来なかったし説明された今でもふわっとしか理解していない。
「おいっすー」
指定された駅の改札前で待っていると、そんな挨拶とともに秋名が現れた。
水色の半袖シャツに短パン。それに白のキャップを被っている。いつもと違う点と言えば、背負っているリュックが異様に大きいことくらいか。
夏なので厚着する気にはならないが、あそこまでの短パンは穿けない。
俺は白シャツにジーンズと相変わらずなオーソドックススタイルである。
「おお」
たたた、とこちらに駆け寄ってくる秋名に軽く手を挙げて返す。
「悪いね。付き合ってもらって」
「いや、別にいいよ。どうせ暇だったし。飯奢ってくれるんだろ?」
今日付き合う代わりに飯を奢ってくれるというので、じゃあまあ暇だし行ってみるかって感じだった。
「それくらいするよ」
「もう行くのか?」
「いや、あと一人呼んでるの」
今日のメンバーについて特に触れてこなかったので、てっきり二人なんだと思ってた。
しかし、陽菜乃が体調不良で来れない以上秋名が誘った人物はおおよそ予想できる。
俺を誘っておいて、その他に俺の知らないやつを誘うようなことはしないはずだ。
なんというか、ちゃんと引くべきラインは引いているというか。気を遣うべきところは弁えてるというか。
そうなると、考えうる候補は二人だけ。
「おまたせ……って、なんで隆之くん!?」
俺たちのもとに駆け寄ってきたのは、予想通りに柚木くるみだった。
ノースリーブのワンピースの上から薄めのジャケットを羽織っており、髪は珍しくおさげ髪にされている。
俺の顔を見るなり、どうしてか恥ずかしそうに顔を赤くして驚いた。
俺が来ることはちゃんと伝えとけよ。そういうとこあるぞ、秋名さん。
さっきの褒め言葉返せ。
「秋名に呼ばれてな」
「陽菜乃が体調崩しちゃってね。くるみと二人だと大変かなって」
「……うぅ、でも隆之くんいるのはちょっと」
これまで一度だって、柚木にこんなリアクションをされたことはない。彼女の中でそれだけ引っかかることがあるのだろう。
「俺、帰ったほうがいいなら帰るけど」
「大丈夫だよ」
「……だいじょうぶ、だけどぉ」
やはりどこか不満げというか、納得しきっていない顔だ。しかし大丈夫だと言われると帰るのも違うしな。
「さ、出発しよ。時間は有限! 待ってはくれないんだから!」
そう言いながら、秋名が歩き出す。柚木は渋々それについていき、俺もそのあとを追う。
そもそも。
今日がどういう日なのかというと、なんかよくわからんけど同人誌とやらを売るイベントに秋名が参加するらしく、そのサポートを頼まれたのだ。
俺にサポートなんてできるのかと尋ねたのだが、やることといえばとどのつまり店番的なことらしい。
座って待機し、お客さんが来たらお金を預かり商品を渡すだけ。それくらいならできるかと引き受けた。
なので、柚木がここまでのリアクションをするのがどうにも理解できない。
「隆之くんはコミマって知ってる?」
開き直ったのか覚悟を決めたのか、いつもの調子に戻った柚木がそんなことを訊いてきた。
「名前は聞いたことあるけど、それくらいかな。なんか始発ダッシュで有名なイベントだろ?」
夏と冬に行われるオタク様のイベントであることは、ニュースに取り上げられるので知ってはいる。
「ちょっと覚え方があれだけど、まあそういうことだね。それでね――」
会場への道すがら、コミマとやらについて柚木が説明してくれた。
コミックマーケット、通称コミマ。
同人誌の販売の他、コスプレイベントなんかも行われているまさしくオタクコンテンツ最大級のイベントらしい。
そこで同人誌を売るには抽選に当たる必要があるらしく、望んだ者全員が参加できるわけではないそうだ。
しかし、そういう機会に向けてせっかく描き上げた作品が日の目を見ることなく埋もれさせるわけにはいかない。
そんなオタクたちが集い、いつしか始まったのがアフターコミマというイベントらしい。
コミマのことを知らない俺からすれば分からないけど、規模が小さいコミマって認識らしい。
「柚木は描かないのか? たしか秋名と同じ漫研だろ?」
「うん、そうだけど。あたしはどっちかっていうと読むのが好きな感じだから」
「なるほどね」
漫研だからといって全員が全員描くわけじゃないんだな。なんてことを考えていると、会場が見えてきた。
「結構大きいんだな」
「まあね。そこそこ人もいると思うよ」
秋名を先頭にして中に入る。
どうしてか、途中で柚木と一度別れることになった。ついてこいという秋名にそのまま続く。
「柚木は?」
「準備があるんだよ。いろいろね」
女の子だからかな?
女の子っていろいろ大変らしいもんね。知らんけど。
そんなわけで俺は秋名の準備を手伝うことにした。
大きな会場に長机がズラーッと並んでいて、自分のエリアを好きに装飾している人がほとんどだ。
いかに目立つか。
いかにアピールできるかって感じなのかな。
秋名は長机にテーブルクロスのような布をかけ、そこにダンボールから取り出した同人誌を置く。
手作りのポップみたいなのを立てておおよその準備が済んだらしい。
ちょうどそのとき、空席だった隣のエリアに人がやってきた。秋名はそれに気づいて、挨拶を交わす。
そして流れるように同人誌の交換が始まった。よくわからんけどそういう風習があるのか。引っ越しの挨拶みたいだな。
そんな感じで準備が終わる。
「これ、なんの漫画なんだ?」
俺は見本誌として置かれていた本をぱらぱらとめくりながら秋名に尋ねる。
「なんだ、志摩は『アイドリンク!』知らないのか? いま巷で流行ってるアイドルアニメだぞ?」
「……流行ってるんだ」
ぺら、ぺら、とページをめくる。
可愛い女の子がきゃっきゃうふふしてる。十八禁ではないものの、ちょっぴりえっちなシーンはある。
確実に女というよりは男が好むタイプの漫画だ。
なんというか、意外だった。
「女子はイケメン同士が絡み合う漫画しか描かないと思ってたわ」
「偏見えぐ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます