第140話 妹と妹と兄と姉⑦
「ほんと、お兄ってば根性なしなんだから」
ついついそんな言葉がこぼれてしまうけれど、あたしはお兄がスライダーというかそもそも絶叫系と呼ばれるアトラクションがあまり好きじゃないことを知っている。
ジェットコースターは子どもが乗れるようなものでも嫌そうな顔をして頑なに乗ろうとしないレベル。
このスライダーに関しても、規模で言えばジェットコースターにも引けを取らないだろうし、実際に乗ったところ結構スリリングだった。
ジェットコースターと違って、安全バーがないところも不安だっただろうな。
なにせ、順番が近づくにつれて口数は減ったし、表情はこわばっていた。
「まあまあ。さすがにあのスライダーを三回連続はしんどいよ。わたしでもちょっと休憩ちょうだいってなるもん」
まあ。
二回は乗ってくれたんだけど。
三回目はもう無理、とお兄がギブアップ宣言をしたのでこうして代わりに陽菜乃さんが付き合ってくれている。
さすがにそれは悪いと思ったんだけど、陽菜乃さんも乗ってみたいと言っていたし、なにより話してみたいと思っていたから受け入れた。
お兄は今ごろ、ななちゃんと遊んでいることだろう。たしかにななちゃんは可愛いけれど、でれでれしているお兄は見なくない。
「それにしても、大盛況だね」
「そうですね。さっきよりも列が長くなってる気がします」
このスライダーは螺旋状になった階段を上り、頂上から専用のボートに乗ってスライダーを流れていく。
あたしたちはぐるぐると回り続ける階段に並んでいるんだけど、頂上まではまだ少しかかりそうだ。
その分、陽菜乃さんとゆっくり話せるからあたしとしてはありがたいんだけど。
「その分、梨子ちゃんとお話できるからラッキーかも」
「へ?」
まさか陽菜乃さんの口からそんな言葉が飛んでくるとは思ってなくて、あたしは間抜けな声を漏らしてしまう。
「ごめんね。こうしてゆっくりお話する機会って作らないとないかなって思って」
「あたしも、同じこと思ってました」
まさか陽菜乃さんも同じことを考えていたとは思わなくて、あたしの中では驚きがあるものの嬉しさが勝った。
「ほんとに? 嬉しいなぁ」
にへ、と陽菜乃さんは表情を崩す。
可愛いな、と素直に思う。
どこから見てもその感想しか抱けない。
顔は芸能人の中に放り込んでも輝きを放つだろうし、スタイルだってモデルさんに負けてない。
写真集を出せばたちまち全店売り切れ間違いないだろうな。
告白すれば男の人は二つ返事でオッケーするだろうな。
そんな女の人が。
…………お兄を?
「どうしたの? なんか険しい顔してるけど」
「へ? あ、や、あはは。なんでもないです」
そんなに険しい顔をしてたのかな。
あたしは誤魔化すように笑ってなんとか事なきを得た。
さて、どう確認したものだろう。
あたしが陽菜乃さんについて知っている情報はごくわずかしかない。そのどれもがお兄を経由しているのでそもそも真実であるかすら分からない。
なので、この機会にあたしははっきりさせたいのだ。陽菜乃さんの気持ちについてを。
ただ、開口一番に「陽菜乃さんって好きな人とかいるんですかー?」なんて訊こうものなら確実に警戒される。
そんな、修学旅行の夜じゃあるまいし。
「陽菜乃さんって彼氏とかいるんですか?」
だから、遠回しではないけれど、近くもないかなというラインを狙って話題を振った。
「え? い、いないよそんなの。急にどうしたの?」
「陽菜乃さん、きれいだし優しいし。彼氏とかいてもおかしくないなって。いや、むしろいないほうがおかしいくらいで」
「褒めすぎだよ」
陽菜乃さんは頬を赤くする。
たぶん、本気で照れているんだと思う。こういうところも可愛いな。
「告白とかされないんですか?」
「……まあ、されないことも、ないけど」
歯切れが悪い言い方だった。
表情もちょっと困り顔。
あたしも告白とかされることはあるけど、別に全部が全部いやで鬱陶しいとは思わない。
好きになってくれるのは嬉しいと思う。それがどんな相手でも。
もちろん、それと付き合う付き合わないは別だけど。好きではないから付き合うことはない。
けど。
陽菜乃さんのこの顔は、ほんとにちょっぴりかもしれないけどうんざりしているような、そんな顔。
うんざりって言い方はちょっと違うかな。でも、迷惑と感じている部分はあるっぽい。
告白される回数があたしとは桁違いな可能性はある。そこまでいくとうんざりするのかもしれない。
それか、告白してくる相手が本当にとことん気持ち悪いとかそういうこと?
いやいや、陽菜乃さんレベルだとイケメンからも告白されるでしょ。
あるいは。
すでに好きな人がいる、とか?
意中の相手がすでにいた場合、他の人からの告白なんて迷惑でしかないもんね。
「付き合ったりしないんですね?」
「梨子ちゃんは告白とかされる?」
質問に質問を返してきた陽菜乃さんだけど、こちらから責めてばかりなのもフェアじゃない。
フェアじゃないと、本音を話してもらえないかもしれないと思って、あたしは素直に答えることにした。
「そうですね。たまに、ですけど」
「付き合ったりは?」
「しないです」
「それはどうして?」
どうして、か。
訊かれて少し考えるけれど、そもそも考えるまでもない質問だったことに気づく。
「好きじゃないから、ですかね」
「そうだよね。わたしもそうだよ」
ご名答、とでも言うように陽菜乃さんはにこりと笑った。
そう言われると、どの質問もしづらくなる。だって、なにを言っても『梨子ちゃんはどうなの?』と返されるだけで終わってしまうから。
むむむ、と唸ってしまう。
すると、陽菜乃さんはそんなあたしに気を遣ってなのか、穏やかな口調で話してくれた。
「好きな人がいるんだ」
それは本当に、まさしくその通りなんだけど、恋する女の子の顔だった。
頬は赤くなっていて、はにかむように笑っていて、瞳は揺れているけれどここにはいない誰かを見ているようで。
漫画とかドラマとかで恋する女の子の表情を見ることがあるけれど、まさしくそのものだ。
その顔が可愛くて、美しくて、思わず言葉を失ってしまう。
「だからね、誰に告白されてもわたしはそれに応えるつもりはないんだ」
「そう、なんですね」
「梨子ちゃんは好きな子とかいるの?」
訊かれたあたしはふるふると顔を振りながら即答する。
「いないです。なんか、よくわかんなくて」
好きっていうのはよく分からない。
言葉としては知っているけれど、感情としては理解できていないような。
あたしがそう言うと、陽菜乃さんは温かく包み込むような優しい声色で返してくれる。
「なんかね、その人がいるってだけで景色が変わるんだよ。世界が色づくってよく言うけど、ほんとにその通りなんだ」
まるで子どものように、楽しげに話す陽菜乃さん。あたしはそれを聞きながら、ふと思う。
陽菜乃さん、お兄には友好的なんだよね。
お兄は陽菜乃さんを友達だって言っているけれど、陽菜乃さんはどう思ってるんだろう。
あたしやななちゃんという理由があるけど、それでも好きでもない男の子とプールに来るかな?
みんなで海は分かるけど。
この状況はちょっと分からない。
もしかして、陽菜乃さんの好きな人って……。
いやいや、まさかね。
だって、あのお兄だよ。
友達だってロクにいないあのお兄に、彼女なんてできるはずない……こともない、のかな。
もしも、彼女ができたらお兄は変わっちゃうのかな。
陽菜乃さんみたいな彼女さんができちゃったら、家族なんてそっちのけで遊びに行ったりするのかもしれない。
『お兄、ちょっと買い物付き合って』
とか言っても。
『悪い。今日は彼女とデートでさ。妹に構ってる暇はないんだ』
みたいに断られるのかな。
それはあれだよ。
お兄のくせになまいきだ。
もしもそうなったりしたら。
それはそれで、なんかちょっといやだなぁ。
「梨子ちゃん?」
そんなことを考えていたら、いつの間にかぼーっとしちゃってたみたいで、返事がなかったことを不思議に思った陽菜乃さんがあたしの顔を覗いてくる。
「あ、や、ごめんなさい」
あたしはそれでようやくハッとしたんだけど。
あたしの中のもやもやは晴れていなくて。
だから。
気づいたら訊いていた。
訊くつもりはなかったんだけど。
ぽろっと、口からこぼれ出てしまった。
「陽菜乃さんの好きな人って、お兄ですか?」
と。
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