第139話 妹と妹と兄と姉⑥


 プールエリアに入ったときにまず目が行ったのは大きなスライダーだった。

 これは誇張表現になるかもしれないけど、遊園地のジェットコースターにも引けを取らないくらいの大きさに見える。


 事実はどうあれ、少なくともそう思えるくらいには大きい。子どもなんかが乗ったら泣くんじゃないだろうか。


 恐らく、この施設の目玉アトラクションだろうな。


 しかし驚くのはそれだけではなく、なんといっても施設の広さだ。結構な人がいるにも関わらず、窮屈に感じないのはそれだけ人が散らばっているからだろう。


 中央には大きな流水プールがあり、その真ん中には子どもが遊べる広場のようなところがある。


 それ以外にもゆったりと浮かんでいられる何でもないプールや、ゆらゆらと波を起こしているプールなどバラエティに富んでいた。


 施設の外に出れば屋外プールがあるし、奥に進むと水着のまま入れるお風呂もあるらしい。


 さすがの俺でもこれにはテンションが上がらざるを得ない。


 ご機嫌ナナメな陽菜乃と梨子の機嫌を取り、ようやく元通りになったところで俺たちはさっそく中央の流水プールへと向かった。


 ななちゃん用に持ってきた子ども用の浮き輪を膨らませて、ななちゃんをすぽっとはめる。


 子どもからしたら普通のプールでも足がつかない。なにかあっては困るからな。


 子ども用のプールもあるらしいから後で連れて行ってあげよう。


「あー、気持ちいい」


 階段を降りていくにつれ、徐々に足が水に浸かっていく。ひと足お先に着水した梨子が温泉に入ったご老人のような声を漏らした。


 外は暑いし、室内もむわっとした暑さをしているので、プールの水の温度が程よく気持ちいい。それは同意見だが、女の子がするべきではない気の緩み切った表情はどうかと思う。


「そんな顔して、クラスメイトに見られでもしたらどうすんだ?」


「受験生がこんなところにいるはずないでしょ。ばかじゃないの」


「お前も受験生だろ」


 学校では凛々しい感じでやってんのかね、と今の梨子を見ながら想像してみたけどダメだった。


 普段の怠け切った姿のイメージが強すぎて変換できない。


「うぅ、つめたーい」


 陽菜乃と一緒に水に入ったななちゃんも気持ちよさそうに頬を緩める。


「かわい」


「態度の差に腹が立つけど同意見」


 兄妹揃ってはしゃぐななちゃんを眺めていた。


「梨子も浮き輪で浮くの好きだったろ」


「……いつの話してるの?」


「子どもの頃の話だよ」


 あれはまだ梨子が小学生のときだ。その頃はまだ家族でプールに行くこともあって、梨子は決まって浮き輪に乗って浮かんでいた。


 俺はそれをひたすら引っ張る役割を担っていたのだが、それはもちろん自分の意思ではなく家族の圧力によるものだ。


「浮き輪のレンタルもしてるらしいぞ?」


「いらないよ。もう子どもじゃないんだから」


 言って、梨子はぶくぶくと口を水の中に浸ける。視線がすーっと泳いでいるので、存外興味がないわけでもなさそうだ。


「じゃあ俺が借りてこようかな」


 俺は何か言われる前に流水プールから出る。陽菜乃に「ちょっと行ってくる」と言ってから俺はレンタルスペースへ向かった。


 浮き輪のレンタルもリストバンドを使って行っていた。俺は言われたとおりにリストバンドを翳しただけなんだけど、それでオッケーですと言われる。


 浮き輪の他にもビーチボールとか水鉄砲とかいろいろ置いてあった。機会があればまた来よう。


 流水プールへ戻り、ぐるりと回りながら三人の姿を探す。少し探したところで見つけたので、俺は先回りして階段から着水し合流した。


「ほら」


 借りてきた浮き輪を渡すと、梨子は「わわっ」と言いながら慌てて受け取る。


 そして、浮き輪をじいっと眺めた。


「なんだ?」


「お兄、センスない。もっと可愛い浮き輪あったでしょ」


「俺が借りてきたんだから、どんな浮き輪でも俺の勝手だろ」


「そーだね」


 言いながら、梨子は浮き輪の穴に体を通す。力を抜いたところで、ぷかぷかと水に浮かんだ。


「りこちゃん、いっしょー!」


「一緒だねー」


 梨子はななちゃんと二人並んでぷかぷか浮かぶ。俺と陽菜乃はそれを後ろから眺めていた。


「いいお兄ちゃんだね」


「こんなもんだよ。お兄ちゃんなんてどこも」


 褒められたのがくすぐったくて、ついついそんなことを言ってしまった俺は、すっと視線を逸らした。



 *



 お昼は売店で買うことにした。

 俺と陽菜乃が買いに行っている間に梨子がななちゃんの面倒を見つつシートでエリアの確保をする、という役割分担だ。


 どうして俺と陽菜乃が二人で買いに来ているのかというと、俺が一人で行くと言った際に「それはさすがに悪いからわたしも行くよ」と言い出したからだ。


「ここは俺が出すよ」


 俺と梨子は焼きそば。陽菜乃はうどんをななちゃんと分けるそうだ。あとはみんなで食べれるようにとポテトを頼んだ。


「いや、それは悪いよ」


 もともとそのつもりで一人の買い出しを申し出たんだけど、やっぱり陽菜乃はそう簡単に奢らせてはくれない。


 そう簡単に奢らせてはくれない、ってなんだよ。


「今日は母さんから小遣いもらってて懐に余裕があるんだよ。うどん一つくらい大差ないからさ」


「んー、でも」


 陽菜乃が悩んでいる間に、俺は会計を済ましてしまう。そもそも、リストバンドを翳すことで会計をすることになるので、一緒に注文した時点で俺の勝ちだった。


「別に奢ったからといって何かを要求したりはしないからさ。ここは大人しく奢られててよ」


 男として奢ると前に出たあとに引き下がるような格好悪いことはできない。


 まあ、母さんからもらった小遣いだからカッコはつかないけど。


 俺の気持ちが届いたのか、陽菜乃は渋々という調子ではあったけど、ようやく「わかった。ありがとね」とぎこちなく笑った。


 その後、俺たちは梨子たちと合流し昼飯を済ませた。プールで食べる焼きそばは祭りで食べる焼きそばに引けを取らない美味しさだった。


 昼飯を食べ終え、少しゆっくりしていた時間。梨子の視線はさっきから一点に集中していた。


「……」


 空を自由に飛ぶ鳥たちを羨むような視線は、でかでかと己の存在をアピールするスライダーに向いている。


「乗りたいのか?」


「……んん、まあ」


 そう言うわりには少し歯切れが悪い。俺はそれをおかしいなと思いながら言葉を返す。


「行ってきたらいいじゃん。今日はせっかくの休みの日なんだから、後悔しないように全力で楽しめよ」


「それはわかってるけど」


 そうは言うが、やはり梨子は動こうとはしない。

 そのわりには視線はやはりスライダーに釘付けだ。かと思いきや、ちらちらとこっちを見たりする。


「ななはわたしが見ておくから、隆之くんは梨子ちゃんとスライダーに乗ってきなよ」


 俺と梨子のやり取りに進展がないことを察して、陽菜乃が思わずといった感じで口を挟む。


「いや、俺は別に」


「ちらっと見たところ、あれ二人乗りらしいし」


「……そうなの?」


 俺が尋ねると、陽菜乃は視線を逸らしながら「たぶんね」と自信なさげに呟いた。


 隠すのが下手なのか。

 そもそも隠す気がないのか。


「どうする?」


 そもそもこれは梨子の気持ち次第だ。

 俺がどう思おうと、梨子が乗り気でなければ意味はない。


「……まあ、お兄がどうしてもって言うなら、付き合ってあげてもいいかな」


 そわそわしながら早口に言う。

 ふいっと俺から背けた顔はわずかに赤い。

 そのくせ、こちらを気にしてちらちらとは見てくる。


 ここまで言われて、断れるお兄ちゃんがどこにいるだろう。全国のお兄ちゃん、あなたは妹弟に対して甘いですか? それとも厳しいですか?


「どうしても。せっかく来たんだし、体験しておいて損はないだろうからな」


 どうやら俺は甘いらしい。


「まあ、お兄がそこまで言うなら仕方ないね。あたしはあんまり乗り気じゃないけど付き合ってあげよっかな」


 ご機嫌な調子で梨子が言葉を綴る。


 ぶっちゃけ、あんまりスライダーは得意ではない。つまり、どういうことかと言うとですね。


 次回、『隆之大ピンチ!』ってことかな。

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