田舎の姉妹:実家に残ったダウナー姉と都会に飛び出して行ったツンデレデレ妹
妹が帰ってきた。
ほんとに突然のことだった。
畑仕事も終わって、一人夕涼みと洒落込んでたら、縁側にふらりと。
帰ってくるなんて話は聞いてないし、学校はまだ夏休みじゃないだろうし──何よりバッグすら持っていない、部屋着のままなラフ過ぎる恰好は、飛び出してきたっていう方がしっくりくるくらいで。
「……あー、おかえり?」
自然と、かける声にも遠慮が混ざってしまった。
「…………」
俯いていて、表情は窺えない。だからこそ、なおのこと。いつだって目尻も言葉尻も尖らせて、強気に胸を張っていた妹が背中を丸めている時点で、ただの帰省じゃないんだろうなってことが窺える。
台所で夕飯作ってる母さんたちを呼ぶか、一瞬だけ悩んだど……やめた。
代わりに小さな声で、もう一度妹に話しかける。居間でうたた寝してる父さんを、起こさないように。
「どした、急に?なんかあったかー?」
「…………」
返事はないけど、まあ。こんな適当な問いに、答える必要なんてない。
わたしはゆっくりと立ち上がる。気分は野良猫に近づくときのよう。逃げられないように、わたしを怖がらないように。張り詰めた妹の糸を刺激しないように、ゆっくりと、ゆっくりと。
「…………」
「…………」
数歩分近づく。
風流だ~、なんてカッコつけて履いてた下駄が砂利を踏んで、微かな音が鳴った。同じくカッコつけに着てた甚平の裾が、少しの風で小さく揺れて。
「──っ!」
「おっと」
それに引き寄せられるみたいに、妹はわたしの胸に飛び込んできた。
ざらざらじゃりじゃり、足音が鳴る。障子を隔てた父さんはそれでも起きなくて、なんだかそれが、幸いなことのように思えた。別に、父さんが嫌いってわけじゃなくって。今はただ、二人きりで話したかったから。
「どーしたどーした」
妹の体を支えたまま、また同じように曖昧な問いを投げかける。今度はわたしの胸にうずまって、表情は窺い知れないままだけど。でもこうして触れ合えば、夕闇に紛れて分からなかった肩の震えが、確かに感じられる。
「……、……」
「んー?」
まだ声にすらならない喉の振動だって、ちゃんと伝わってくる。ゆっくりで良いよ。そう伝えるつもりで左手で頭を撫でれば、わたしに縋る妹の力が強まった。
「……っ……姉ちゃん……」
「んー?」
「…………」
「…………」
少しだけ、喉をつっかえさせて。でもそれも右手で背中を擦ってやれば、意を決したように吐き出される妹の言葉。
「…………しんどい……っ」
「……そっかー」
何が、だなんて聞かずとも伝わってしまう。
――妹は、昔っから優秀だった。
姉の贔屓目だとか、このド田舎の中では……なんて話では勿論ない。
このご時世、大体どこに住んでたって日本全体の基準だとか水準だとかっていうのは当たり前に目に入ってくる。それらと比較してもなお、妹は飛び抜けて優れていた。
だからわたしも家族も、村のみんなも、彼女はきっと凄い人間になるって思ってたし。本人の意思で東京の進学校に飛び出して行ったのも、何もおかしなことじゃなかった。
そんな妹が今、本人の意思で、都会から逃げ帰ってきた。
「どーした。イジメられたか?」
無いだろうなって思いながらも、聞いてみる。
妹は強い。良くも悪くも、我が。イジメてきた相手を徹底的に潰すくらいのことは、平気でやってのけるだろう。
「……違う」
「だよねぇ」
ほら。
「……都会の奴らも、皆大した事なかった。同級生も、先生も、大人も」
「……だよねぇ」
妹基準で、という話。彼女に敵う人間なんて、きっとそうはいない。だから、そうじゃない。彼女が誰とも知れない誰かのせいで気を病むなんて、あり得ない。
「……だけど……」
「だけど?」
「…………さみしい」
「……そっか」
だからこそ、くぐもったその言葉に頷いてしまう。
「……向こうには、父さんも母さんも、姉ちゃんもいない……」
「まぁ、そうだねぇ」
「家に帰っても、だれもいない」
「だろうねぇ」
「だから、さみしい」
わたしたちは家族だ。家族だからこそ、妹が唯一、能力や優劣に関係なく必要としてくれる。妹の眼鏡に適う秀才なんてきっとそうはいないけど。わたしたち家族だけは、冴えない田舎っぺのままでも特別でいさせてくれる。そしてその特別が、一人乗り込んで行った
さしもの妹も、孤独は思いのほか堪えたらしい。
「……そっかぁ」
「…………」
静かに吐き出し終えて、また黙り込んでしまった妹を見やる。つむじの辺りに視線を向けて、髪を指先で梳きながら。わたしが言うべきことを考える。
「そうだねぇ……」
ずっと昔から、いつか妹は何か大きなことを成し遂げる確信があった。だからあの日、東京の学校に行くって言いだした時が、その第一歩なんだと思った。
だけど違った。
今だ。きっと、今なんだ。
「…………」
妹は確かに、孤独に耐えかねたけど。それでもやっぱり、強い子だから。ここでわたしが家族として背中を押せば、彼女はきっと立ち直る。
──さみしかったね。大変だったね。心配してたんだよ。大丈夫、ここでちょっと休憩して、そしたらまた頑張ろう?
そんな風に言葉をかければ、妹はそれを糧にもっと成長するだろう。本当の意味での、独り立ちの第一歩。離れていても家族が想っていてくれる、そんな気持ちを胸に、孤独から孤高へと昇っていくのだろう。
それが彼女の為。
わたしの直感が告げている。今この瞬間、彼女の人生の分水嶺を正しく導くのが、冴えない姉としての最後の役目。そうと決めて、口を開く。父さん、まだ起きないでね。
「──都会の学校、辞めちゃうかー?」
「──っ」
あれ。
「あんたが──まりがいないと、姉ちゃんも寂しいよー」
あれれ。
「しんどいんならさ。うち帰ってきて、こっちの学校通いなよ」
なんか、思ってたのと違うコトばっかりが、口を突いて出る。
「母さんも心配してたよ。父さんだって、アレで結構、寂しがってるしー」
障子の方に、ちらっと視線をやれば。薄っすらと映った父さんの影は、まだ静かに寝息を立てていた。
「無理しないで良いよ。大人になったら、一緒に畑やってさ。ここで姉ちゃんと、ずっと一緒にいよう?」
「…………」
こんなこと、言うべきじゃない。何にだってなれる妹の未来を、姉であるわたしが奪って良いはずが無い。だけど言ってしまった。
言ってしまえば、妹がどう答えるかなんて分かっていたのに。
「……………………うん」
「ん」
「――姉ちゃんと、一緒にいる……」
ツンケンしてるけどずっとお姉ちゃんっ子だったまりが、そう答えないはずが無いって、分かり切っていたのに。逡巡なんてさほどもなく、まりは静かに頷いて見せた。
「そっかそっかー」
自分でも驚くくらい上機嫌になって、妹の頭をわしゃわしゃと撫でる。その勢いに紛れて彼女の体が一層震えだしたのを、しっかりと感じ取りながら。わたしは、何でもないことのように言葉を続けた。
「そんじゃ……とりあえず上がりなよ。そんな恰好じゃ、まだ夜は冷えるよ」
「……うん」
ずっと胸に抱いていたその顔を上げさせて、ようやく見えたまりの顔には、ひどく安心したような力ない笑みが浮かんでいた。いつものつっけんどんな澄まし顔はどこへやら。まだ身体は預けたままの妹に、何か言いようのない気持ちが湧き上がる。
「うん、うん」
「……父さん、怒るかな」
「だーいじょぶだいじょぶ――──父さーん。まり帰ってきたよー」
首だけ振り向いて、声を張って父を呼ぶ。
障子に写っていた影が、びくっと跳ね上がった。上体を起こして、何だ何だと首を振っている。
「まりっ。まーりーっ。帰ってきたーっ」
繰り返せばより一層、腕の中の温もりが離し難い存在であるように思えた。さっきまでの、妹の為ーだなんて考えはもうどこかへ行ってしまって、代わりに、なんでこんな大事な子を一時でも手放そうと思ったのかと、過去の自分を叱責しだす。
「姉ちゃん?」
「……んーん、何でもない。ほらまり、行こ?今日は姉ちゃんが、なーんでもしたげるから」
まりが戻ってきた喜びから、ついそんなことを呟けば。
「やだ」
「えぇ~」
「…………今日だけじゃ、やだ」
唇を尖らせてそんなことを言ってくれるものだから、なおのこと。
もう絶対どこにもやらないって、大人げなくそう思ってしまった。
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次回、ファンタジー:ダウナー魔導士とツンデレデレ弟子
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