第21話 ずっといい子にしてたのに【1F機関制御室】
赤城が機関制御室に着いた時、裾の広がった衣装で優雅に立つ葵衣と、腰を抜かしているらしい縛られたままの朱音が向かい合っていた。幸いなことに朱音はまだ襲われてはおらず、二人は静かに見つめ合ったままだった。
赤城は壁に立て掛けてあった鉄パイプを手にする。鉄パイプは片側を斜めに切り落とし、先を鋭く尖らせてある。これは機関制御室に来た初日に、不要な部品の中から青山に頼んで見繕ってもらい、武器になるように削ってもらったのだった。
…まさか、本当にこれを使うことになるとは…
あの時、青山は空手は人に教えたりも出来るくらいの腕前だから格闘には自信があると言っていた。「いざとなったら一緒に戦うか。赤城はチビだから武器は長い方がいいよな」と笑っていた。
…くっそ。ボディガードのくせにあっさり死にやがって。役立たずが。
心の中で罵倒するが本当は虚しくてたまらない。しょせんは
「葵衣、お前の相手は俺だ。そいつに恨みはねぇだろが。俺の顔を忘れたとは言わせねぇぞ」
認知の歪みがどれ程のものかはわからないが、とりあえず言葉で挑発してみる。それは功を奏したようで、葵衣はくるりと赤城の方を振り向いた。
「…ッ」
悲鳴を飲み込む。
…これが…狂笑症…
葵衣は目を細め、ヌラヌラした血塗れの唇をつり上げて嬉しそうにニタリと笑っていた。顎から首にかけて、そして、両手が青山のものと思われる血で真っ赤に染まっている。立ち昇る香りは酔いそうなくらいに甘ったるくて
「アハッ。アハハハ」
何が可笑しいのか、葵衣は壊れたように
「私、何もしてないのに、どうして酷いことするの?」
笑い声がふいにもの悲しげな少女の声に変わる。これまでに何度も何度も聞かされた台詞。赤城は無視していたが、青山は「ごめんな」と、その度に謝っていた。
「そりゃ、お前が臆病で弱ェからだよ」
「弱い?アハハ。弱い弱い弱い」
葵衣は笑いながら首を
赤城が鉄パイプを構えたまま攻めあぐねていると、葵衣が距離をとったまま、ゆっくりと赤城を中心に円を描くように歩き始めた。歩くたびにヒラヒラと薄布が揺れる。葵衣の足取りはとても優雅で踊るようだったが、それは足音を立てない肉食獣のようにも見えた。
「言う通りにしてたわ。ずっといい子にしてたのに」
「他人任せで流されてたんだろ」
このまま会話が成り立つかはわからないが、もしも、動揺させることが出来たなら、狂って全く動きのわからない化け物のままよりも
「なぜこんな船に私を乗せたの?」
「そりゃ、お前の母親がそういう契約をしてたんだろが」
「アハハハ。契約…アハハ。ママが契約?契約?」
狂ったように笑ってはいるものの、葵衣の言葉には戸惑いが生じていた。
「
「…知らない。ママは【和邇士郎に選ばれなさい】としか言わなかったもの」
葵衣はショックを受けたような表情になり、立ち止まった。赤城は隙を
「あっ、あたしもだよ、葵衣ちゃん。あたしも家族から【和邇士郎に選ばれて必ず戻って来い】としか聞いてなかったの」
葵衣の背後から朱音がおそるおそる声を掛ける。今の葵衣は人食い鬼よりもヒトに意識が近くなっているようで、朱音の声にも反応を示した。
「あのね…あたしたち、みんなで助かるつもりなんだよ。翠ちゃんが不夜病に対抗するウィルスのワクチンを作ってるの。もうすぐ完成するよ。あたし、青山くんたちと船のエンジンを直してるから、直ったら船を動かして…」
「ほんとに?助けてくれるの?」
葵衣は朱音の方を振り向いた。無防備にも赤城に背を向けている。
…今だ。
赤城は緩いウエーブのある亜麻色の髪の間から覗く細く白い
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