第17話 うわぁ。これはたまんないね【4F操舵室】
その後、朱音は皆に問われるままに知っている限りの船の状況を説明する。操舵室は朱音が予備操舵システムを復活させたので問題ないが、エンジンの修理については、青山一人ではどんなに急いでも、男が食人鬼化するという明後日には終わらない。エンジンが専門ではない朱音が手伝いに入ったとしても間に合うかはわからない。そのことを聞いた三人は不安そうな顔をした。
しかし、暁ワクチンが効き、食人鬼化しなければ…青山が修理可能な状態であれば、何とかなる可能性はゼロではない。熱が出るらしいのと他の症状が全くわからないので、なるべく作業を進ませておく方がいいのは確かだった。
そして、それよりも朱音が今とても気になっている…まだ誰にも話していなかった最大の不安事を伝えるかどうするか思案していると、どうやら話が終わったと思ったらしい石黒が口を開いた。
「翠ちゃん、そろそろ今日の分の採血頼んでいい?」
「ん」
翠が短く返事をして頷く。朱音は【血】と聞いて、口の中に唾がじわじわと湧いてくるのを感じた。
…血…欲しい。今すぐ欲しい。我慢できない。
いったん意識するともう止められない。朱音と同様に石黒と翠もどこかソワソワした様子に見える。白石だけがちょっと困惑した顔をしていた。翠は白石を伴って研究室に引き返すと、簡易テーブルと採血に必要な物品を持って、二重になったガラスドアとガラスドアの間の幅1メートル位の細い空間に入る。
「こっちのドアが完全に閉まったら、そっちが開くから待て」
翠の言葉通り、研究室側のガラスドアが閉まると、朱音と石黒の前を塞いでいたドアがスライドして開く。
「さぁ、どっちからするんだ?石黒か?朱音ちゃんか?言っておくが、私は採血はできるが上手くはない。たぶん凄く痛いぞ」
注射器を持った翠は真顔で恐ろしいことを宣言した。そして、数分後、翠の宣言通りに少々痛い思いをした石黒と朱音は涙目になった。
止血処置してもらった朱音は石黒の血の入った注射器を受け取り、後ろを向いて、たった今採取したばかりの血を飲む。
…あ。気持ちいい。この血…凄く濃い。
昨日もそうだったのだが、まだ温かいトロリとした血液は舌が痺れるくらいに甘美で、心は
…あ。そっか。だから、止血しなかったんだ…
翠は石黒の滑らかに筋の張った腕に必死にしがみつき、桜色の唇を這わせて吸い、桃色の小さな舌を動かして舐めている。
…うわぁ。これは石黒、たまんないね。
ちらっと石黒を窺うと、案の定、体をモゾモゾさせながら、自分の腕を夢中で吸う翠をガン見している。白石も石黒の背後で口元を覆いながら目を離せないようだった。もちろん朱音も妙にエロい美少女吸血鬼をじっくり鑑賞させてもらう。
「…ありがと」
石黒の腕から唇を離した翠は、全員の目が自分を向いていたことに気づき、顔を真っ赤にして怒り出した。
「なっ…何で見てんだ、バカ!」
…そりゃ見るっしょ。この子、ツンデレというより天然魔性系だったんだ。ヤバいね。うん。控えめに言って最高…
朱音は心の中で、天野翠を改めて【最推し】に認定した。
石黒奏汰。天野翠。白石成道。
普通に友達になれそうな…そんな気のおけないメンバーだった。朱音は三人と一緒にいたかったが、非情にも翠は「私はそろそろ作業に戻るぞ。石黒も一働きして来い」と言い出した。
「今夜中に暁ワクチンを完成させる。完成したら、全員に接種するぞ。石黒は何としてでも女の子達を見つけろ。
翠は朱音を見て、問う。
「朱音ちゃんはどうする?今いる研究室前室で待つなら、白石がワクチンを打ってくれる。でも、夜間帯に入る前に拘束させてもらうぞ。食人鬼化すると何が起こるかわからないからな。ま、それは私も同じだが」
「あたしは…」
朱音の決心はついていた。現実から目を背けてはいけない。この三人を見ていて、朱音が何をしなければいけないのかがハッキリした。
…あたしはあたしのやるべきことをしなきゃ。船にいる全員を救おうとしている…この可愛くて賢くて真っ直ぐな女の子は絶対に死なせちゃいけない。白石も。石黒も。
「赤城くんたちは怖いけど
言い終えると、全員の目が朱音に向いていた。石黒がちょっと笑って
「必ず行くよ。朱音ちゃんには僕がワクチンを打つ。どうせ、青山と赤城にもワクチン打たなきゃいけないし」
翠と白石は真剣な顔になると「宜しく」と言って、朱音に頭を下げた。そして、二人は名残惜しそうな表情を見せながらも、ガラスドアの向こうに戻って行った。
朱音は退室するとすぐに「石黒くんに伝えなきゃいけないことがあるの。操舵室で話すわ」と、声を掛けた。どうしても【あのこと】を石黒に伝えておかなければならない。操舵室に入って、さっそく話を切り出す。実を言うとあまり時間は残されていない。
「石黒くん、この船の電力供給のことなんだけど…」
朱音が話を切り出すと、石黒の顔が凍りついたようにフリーズしたのがわかった。どうやら石黒は船内の電力源について知っていたらしい。
「今、エンジン…止まってるよね…」
「そうなの。船内の電気はディーゼル機関で発電してるから、今はそこからは供給されていない状態なのね」
「じゃ…今、電気が使えてるのは…?」
「たぶん、船に積んである非常用の発電機が動いてると思うの」
「それって、どのくらい持つの?」
「確かめることが出来ないからわからないけど、非常用電源はだいたい72時間くらいじゃないかな…」
「あんまり時間ないね。どうしたらいい?」
石黒は今までになく切羽詰まった顔をしていた。朱音がこのことに思い当たったのは、食堂で電子レンジが使用可能だったことからだった。エンジンが止まっているにも関わらず、この船は電力をめいっぱい使い、快適に過ごせるようになっていた。それが心に引っ掛かり、だんだん不安になっていった。
赤城に捕まっていた時には、良くないクスリで
…石黒たちなら信用できる。一緒に助かりたい。
「私たちに必要なのは研究室と医療室、それと操舵室と機関制御室。それ以外の電気はストップさせるしかないと思うの」
「それで…いいと思う。僕には何ができる?」
「停電させるのは機関制御室で出来るはず。赤城たちにこの話が通じたらだけど…」
「僕も行こう」
「ありがとう。それから、一応、操舵室のシステム復帰のさせ方と操作のことを石黒くんに伝えておくね。ここだけは生体認証を生かしてあるの。赤城と青山には直ったことは伝えたけど、動かし方は教えてないよ。操舵機が直ってもあたしを殺さないように切り札にしてたから」
石黒は朱音の顔を見つめた。
「それ…僕に教えちゃっていいの?」
「石黒くんがあたしたちを救ってくれるんでしょ?」
朱音は石黒に笑ってみせる。
「翠ちゃんと白石くんは、誰も部屋に入れちゃ駄目なくらい危ないウィルスから、暁ワクチンを作ってくれてるんだよね。自分たちが
翠の真剣な様子や防護服に二重扉…強固な防護システムから、研究室がどんなに危険な領域になっているかが想像できた。そして、石黒は自らの危険を
「赤城くんは何考えてるかわからないし、女の子は明日には食人鬼化するかもしれないんでしょ?もし、あたしが正気じゃなくなっても…」
「朱音ちゃん!」
石黒は大きな声を出した。大きく横に首を振っている。
「みんなで助かるんだ。
「わかってるよ。でも、一時的にわけわかんなくなっちゃうこともあるかもしれないし、一応の保険だよ」
「そっか、了解。不夜病ウィルスより、暁ワクチンのウィルス増殖スピードの方が最初は早いんだ。半日もしたら拮抗して両方が停滞する。だから…」
「あたしは
「そう。凄いよ、翠ちゃんは」
「スパイ石黒と白石博士もね」
「朱音ちゃんだって天才でしょ」
石黒は
…あたしも頑張るぞ!
決意を新たに赤城の元へ戻ることにした朱音は、赤城達に非常用電源使用中である可能性について説明し、停電計画及びエンジン修理への協力を申し出た。幸いなことに、それを聞いた赤城と青山は血相を変え、朱音の提案は即座に受け入れられた。
そして、石黒が三人分の暁ワクチンを機関制御室に届けに来ることについても合意が得られ、赤城は石黒達と一時停戦した。
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