第14話 Day3:8/10【医療室】

 和邇士郎の客船【ドゥオウテルス】に乗船させられてから二度目の夜が明け…また一つ、命が失われた。


「やられた!」


 昨日と同様に、医療室へのルートを知られないように目隠しをされていた白石は、ふいに響いた石黒の大声に驚いた。


「何だ?」


 目隠しをかなぐり捨てると、すでに医療室についていて、昨日、茉白が寝ていたベッドの上には草野が寝ていた…否、寝ているのではなく、死んでいた。目を閉じた真っ白な顔には生きている兆候が全く感じられない。ベッド際に寄った石黒が、死体になってしまった草野に触れて「もう死後硬直が始まってる。夜中に殺されたんだ、きっと」と言って、唇を噛んだ。


「茉白ちゃんは…」


「逃げたんだろうね。草野の血を吸って」


 険しい顔の石黒が草野に掛けられた布団をめくりながら、ボソッとつぶやいた。


「オリジナルではあるけど弱っていたし、見るからに華奢で非力そうな女の子だったから大丈夫だと思ったんだ。逆に草野の方が茉白ちゃんを襲わないか心配してた」


 恐る恐る石黒に近寄って、草野の様子を確かめると、裸の草野の胸に斜めに走った細い線のような傷が見えた。当然ながら流れ出る血はすでになく、鋭利な刃物で切ったような綺麗な傷痕だった。


 …こえーよ…


 昨日までは普通に喋って動いていた草野が、もう二度と目覚めることはない。頭でわかっても、心は受け入れられていなかった。死は美墨に続いて二度目だが、美墨の遺体は見ていない。身内や親しい人の死に直面したことのない白石にとって、初めて目にするマネキンのような死体は恐怖の対象でしかなかった。一方の石黒は動揺はしているが、怖がっている様子は微塵みじんも見られない。


「僕の…僕の判断ミスだ。ごめん…草野…」


 石黒は沈痛な面持ちで布団を被せ、草野の遺体が白石の目に触れないように覆い隠してくれた。


「争った形跡がないし、死因もわからない。眠らせたまま殺したのかな…」


 石黒が焦った様子で医療室にあった引き出しのついた小型のキャビネットを開け始めた。


「医療用メスと刃がない。注射器と針も減ってる。たぶん薬もいくつか盗られてる。草野は茉白ちゃんに毒薬を注射されたんだ。茉白ちゃんには医療の知識があったのか…?」


 石黒が額に手を当てて唸った時、妙に陽気なかすれ声が部屋に響く。


嗨!ハーイ!俺達も来ちゃったぜ、お前らの秘密基地に」


 石黒と白石が振り向くと、開かなかったはずの医療室の白い自動扉が開き、赤城と何かの機材を抱えた朱音、その後ろに青山が立っているのが目に飛び込んでくる。石黒が素早く動き、かばうように白石の前に立った。


「…赤城?何で…」


「そりゃな、電波を発信させてるからだぜ。この部屋から」


 赤城は満面の笑みを浮かべて石黒を見ていた。そして、得意げに言い放つ。


「操舵室に無線機あったのは知ってたか?無線機自体はイカれてたが、船内なら電波をギリ飛ばせるくらいの発信器と受信機は作れた。発信器を茉白のヤツにつけさせてたんだぜ。お前らが病人を医療室に運び込むだろってな」


 ニヤニヤしながら赤城は話し続ける。


「それからな、この船の生体認証セキュリティも、このSANDORAの誇る超優秀な技術者がアッサリ無効フリー化した。この4階フロアだけじゃねぇ、全部だ。朱音はすげぇぜ」


 しかし、当の朱音は困ったような顔でたたずんでいる。どうやら、ヤク中という程にはクスリの影響を受けていないらしい。そして、何か言いたげに石黒を見ている様子から、赤城に従うのは本意ではなかったようだ。


「…じゃ、研究室にも自由に入れちゃうってこと?」


 石黒は静かに赤城に問うた。


少来またまたー。研究室も生体認証だっけか?なら【Open sesame開けゴマ】は、もう必要ないぜ」


 赤城は鼻で笑った。石黒は今までに見たことがないくらいに緊張した表情をしていた。よろけたように白石の方に数歩下がる。白石の隣に来ると唇をほとんど動かさずにごくわずかに声を発した。


「合図したらドアから逃げて」


「え?」


「ドア出て右。向かいに研究室がある」


 浮き足立ちそうになった白石だったが、石黒の後ろ手にジーンズの尻ポケットを引っ張られ、引き戻される。


「まだ」


 石黒は白石に短く言うと、赤城をにらみつけた。


「赤城と茉白ちゃんはグルだったの?」


「違ぇよ。あんな可愛げのカケラもねぇ不感症女。それで茉白は?」


 石黒は答えない。それはそうだ。白石も石黒も医療室から逃げ去った茉白の居場所はわからない。


「ふーん。じゃ、そこのベッドで隠れてるのは誰だ?茉白か?それとも…臆病者チキンな草野?」


「草野は臆病者じゃない。気になるなら自分で確かめたら?」


 石黒は白石を押し退けるようにして移動させ、赤城のために塞いでいたベッド前を開けてやる。


「さぁ、どうぞ」


「何企んでんだ、フギン?你这乌鸦混蛋このカラス野郎


「残念。僕はムニンだよ。でも、君のことは兄さんから聞いてたよ、烈炎のリィエ


 どういう意味かはわからなかったが、石黒の言葉は赤城の神経を逆撫でしたようで、赤城は苛立いらだった顔を隠さなかった。


「おい」


 赤城は振り向いて、朱音と青山を見た。


「お前らどっちか、あの布団をめくれ」


「イヤ」と、朱音が即答する。

 見ると石黒が後ろを向いている赤城越しに、朱音に向かって腕を前後に振って…動かしていた。朱音は石黒から何かを感じとったらしい。それに気づいていない赤城は青山に言った。


「じゃ、青山行け」


「赤城、その命令口調はやめれ。気分悪いぜ。俺はお前の子分じゃない」


「へーへー、お願いしやす。何かあったらかたきは打つからさ」


「おいコラ。何かある前に助けろや。エンジンどうすんだ?赤城にゃ、直せないだろが」


大概不要紧吧たぶんダイジョーブ。ほら、アイツらも止めねぇ所を見ると危険ねぇわ。お前死ぬとエンジン直んねぇから…ほら行け、青山」


「お前、性格悪ぃな…ったく」


 ブツブツぼやきながら、青山はベッドの方に向かった。それを鋭く見つめていた石黒が、白石に小さく告げる。


「青山が布団めくったら行って」


 そして、数秒後。

 白石は石黒にドアの方に突き飛ばされ、そのまま脱兎のごとく走り出した。

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