第07話 強くなる決意!③

 グラッドを追い払ったあと、フィンは身体の主導権をクリシアに返した。そして、クリシアは途中になっていた衣服の洗濯を終わらせると、家に帰って洗った洗濯物を干し、昨日ゴブリン騒動で取り損ねてしまった山の幸を探しに山にやって来ていた。


『クリシア、大丈夫か……? またあの義母さんにきつく言われて……』


「あはは、いつものことなので」


 フィンはクリシアの視界を通して見たのだ。

 義父であるガレフはまだ日が昇っているこの時間から仲間を家に招いて酒を飲み宴会騒ぎ。義母のマリーはそんなガレフを注意するどころか、むしろ人が来ることを受け入れてすらいる。家事をしているだけマリーはマシではあるが、どちらにせよクリシアへの当たりが強い。


 正直フィンは見ていられなかったが、当人のクリシアはもう慣れたことのようにひたすら耐えていた。


「でも私、足掻くって決めましたから。この現状を諦めてただ受け入れるんじゃなく、自分の力で変えてみせます!」


『……ああ、そうだな。もちろん俺も協力するからな』


「えへへ、頼りにしてますね。フィンさん」


 照れ笑いを浮かべながらそう言うクリシア。フィンはそんな言葉を受けて、クリシアの精神の中で後ろ頭を掻く。


『な、なぁ、クリシア。その“フィンさん”って呼ぶの止めない? 普通にフィンで良いぞ』


「だ、ダメですよっ! フィンさんはかつて魔王討伐を果たされた勇者様なのですから敬意を払うのは当然です!」


『で、でもな? なぁんかむず痒いって言うか……』


「そう、ですか……?」


 クリシアとしては、今の生き方を甘んじて受け入れてしまっていた自分の背中を押してくれたフィンには最大限の感謝の気持ちと敬意を表したい。しかし、そのフィンが呼び方を変えてくれと言うのにそうしないというのは、逆に失礼な気もする。

 クリシアは野草を積む手を一時止めて、少しの間「うぅん……」と唸りながら考える。そして、一つの解を導き出した。


「師匠、はどうですか?」


『は、はぁ!? 師匠!? 俺が!?』


 はいっ、とクリシアが表情を明るくする。


「私の背中を押してくれて、導いてくれて……この先も私は貴方から多くのことを学ぶと思います。いえ、学ばなければなりません! ですから、私にとっての師ですっ!!」


『お、大げさすぎる気もするが……』


 フィンとしてはもっと砕けた感じに接してもらっても良いんだが、どうもクリシアがこれで決まりと言わんばかりに嬉しそうだ。断りづらさが半端ではない。なので、仕方なく首を縦に振った。


『ま、まぁ……お前がそれで良いなら……』


「はいっ! ではこの際、師匠も私をシアと呼んでください!」


『別に良いけど……クリシアなら普通は“クリス”なんじゃないか? お前の両親だってそう呼んで――』


「――だからですよ」


 クリシアの声のトーンが半音下がる。表情は曇っていた。


「師匠には、お義父さんお義母さんと違う呼び方をして欲しいんです……所詮形の問題ですけど……」


 クリシアをクリスと呼ぶ人――義父母はクリシアを人として見ていない。そこに愛情は一切存在せず、あるのは利用価値。だからクリシアは、そんな人達と本当に自分のことを思ってくれるフィンを少しでも一緒にしないために、呼び方さえも区別したいのだ。


 そんなクリシアの心境を理解したフィンは、優しく笑って答えた。


『わかったよ、シア』


「ありがとうございます師匠、えへへ……」


『けどシア、俺を師と仰ぐからには俺もお前に厳しく指導するからな? 覚悟しておけよ』


「は、はいっ! ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしますっ!!」


 ここに、一心同体の師弟関係が生まれた。そして、思い立ったが吉日。クリシアの修業は早速始まるのだった――――



◇◆◇



 山の幸を収集して家に持ち帰ったあとは、夕食時まで自由に使える時間が出来た。今日はガレフが宴会騒ぎなお陰と言うかせいと言うか……兎にも角にもその影響で時間が出来ただけなので、毎日このようにはいかないだろうが、それでも隙間時間に修行する予定だ。


 家をあとにして、クリシアは三度川へやって来ていた。


「今日は何だか縁がありますね、この場所……」


『た、確かに……。けどまぁ、水属性魔法を扱うお前にとって、ここは最高の訓練場所だ』


 頻繁に人が通るわけでもなく、かといって村からも離れすぎていない。何より、レベルEのため自力で水の生成をするのがまだ困難なクリシアにとっては、あらかじめ魔法を行使するための水が必要なのだ。


「それでは師匠、何から始めましょうか?」


『まずは、今朝俺がやったような初歩的な水操作だな。取り敢えず、小さな水玉を作るところから始めよう』


 はいっ、と歯切れ良い返事をしたクリシアは、川の傍まで行って片膝を付く。そして、穏やかに流れる川の水面に右手をかざす。


『ステップⅠ――まずは、身体に流れる魔力を感じろ』


「わかりました」


 クリシアは水面に手をかざしたまま目蓋を閉じる。精神を集中させるように深く呼吸をし、自身の内面へと意識を集中させた。すると、数十秒経過した頃に、クリシアは身体中を巡る魔力の流れを感覚的に掴むことに成功した。この行為自体は別にそこまで難しくはない。


「師匠、出来ました」


『よし、なら次はステップⅡ――魔力の流れを身に宿る魔法術式に誘導し、起動させろ』


「は、はい……!」


 この段階も、魔法術式を生まれ持つ人間ならば誰しもが感覚的に行えることなので、クリシアも割とすぐに成功する。しかし、問題は次だ。


『よし、起動したな。じゃ、ステップⅢ――川の水を使い、魔法で水玉を作れ』


「やってみます」


 クリシアは自分の身体の中でしっかりと魔法術式が機能していることを認識しつつ、かざした右手の前に水玉を作ろうとする。体感的に時計の秒針がどんどん進んでいくが、一向にクリシアの右手の先に水玉は出来ない。


「し、師匠……」


『そうだなぁ……シアは今何をイメージしてる?』


 そんなフィンの質問に、クリシアは曖昧な口調で答える。


「えぇっと、右手の前に水玉が出来るイメージ……でしょうか」


『なるほどな。まぁ、この感覚的な部分に関しては、魔法の使えない俺には何とも説明してやりにくいところなんだが……勇者パーティーの、仲間に……』


 みるみるフィンの紡ぐ言葉がゆっくりになり、終いには完全に止まってしまった。仲間と信じてともに旅してきたが、最後には裏切って自身を殺した者達。フィンの中で複雑な感情が渦巻いていた。


「……師匠」


 当然そんなフィンの心中を察したクリシアが心配そうに呟くと、フィンは「おっと、説明の途中だったな」と感傷に浸るのを止めて説明を続ける。


『まぁ、パーティーにいた魔法師が言ってたのは、魔法鍛錬の初歩の初歩では魔法が生み出す結果ではなくその過程を意識すべき、なんだと』


 魔法鍛錬と言ったら難しく聞こえるが、赤子が成長する途中で色んなことを習得していくのと同じだ。

 大人は“歩行”を何気なく出来るが、一度も歩いたことがない赤子がいきなりその結果を生み出そうとしても不可能。初めは四つ這いで移動する術を学習し、次に何かを支えにして二足で立ち上がる術を覚え、最後に体感を保ちつつ右足と左足を交互に体重移動させることでようやく“歩行”するに至る。


「結果ではなく、過程……?」


『ああ。例えばあのグラッドとか言うのを追い返すときに俺がお前の身体で魔法を使ったときは、川の水をちょっとすくって持ち上げて宙に溜める、っていうプロセスを意識した。んで、放つときは雨を降らせるイメージだったかな』


「なるほど……」


 助言を受けたクリシアは再び川へと手をかざす。魔法術式は問題なく作動している。なら、あとは水玉を作る――そのプロセスをイメージする。


(水玉を作るには、まず川の水を少しすくって……)


 クリシアの脳内に映像のように浮かび上がるそのイメージが、数秒のタイムラグを置いて現実に反映された。穏やかに流れていた川の水の一部が不自然な挙動をし、やがてほんの少しづつだけクリシアのかざした右手の前に浮かんでくる。


(水を用意出来たら、それらを一つに集めて……)


 不規則に浮遊していた僅かな雫が、クリシアの意思で一つに合わさる。


(綺麗な球体を作るっ……!)


 不格好に揺らめいていた水が徐々にその動きを止め、やがて右手の前で球体となって安定する。水量もまだまだ少ないし僅かに震えたりはしているが、初めにしては上出来だった。


「し、師匠っ!」


『ああ! よくやったなシア!』


 クリシアの中で小さな一歩を――しかし、確実に一歩を踏み出した感覚があった。その喜びをフィンと分かち合い、共に笑顔になる。クリシアがこの村で育って、誰にも見せたことのない笑顔だった。

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