第二節:一心同体の師弟

第05話 強くなる決意!①

『おい、起きろ朝だぞ?』


「う、うぅん……?」


 川岸の柔らかい草の上で寝ていたクリシアは、どこからか聞こえるそんな声に、微睡の中から意識を現実に引っ張り出される。そして、寝起き特有の曖昧な感覚を覚えながら、ゆっくりと上体を起こして目を擦った。


『女の子がこんなところでいつまでも寝てたら駄目だろ。無防備だし……』


「……そうですね。まだちょっと昨日の疲れが残ってる感じはありますけど、そろそろ起きないと…………って、え?」


 クリシアは自分の周りに誰もいないことに気が付き、固まる。では、自分は一体誰と会話していたのか。不可解な現象を前に、クリシアの眠気は一気に吹っ飛んだ。


『おい、何固まってるんだ?』


「え、いや……さっきから何か声が聞こえてて、ってなんか頭の中に直接声が聞こえてくるんですけどっ!? 私ついにおかしくなってしまったんでしょうかっ!?」


『いや、俺だよ。フィンだよ……』


「……あ、えっとフィン、さん? あれ? どうして私の意識が表に出てるときにフィンさんの意識も目覚めてるんでしょうか……?」


『わからないが、多分お前が俺の存在を認識したからじゃないか? まぁ、元々お前の中に俺の意識があること自体不思議現象なんだ。そこに新しく不思議なことの一つや二つ加わったところでもう何とも思わないよ……』


「あ、あはは。それもそうですね……」


 ――と、傍から見たらクリシアが独り言をブツブツと話しているか、何か見えてはいけないはずのモノと会話をしているようにしか見えないが、幸い周囲に人の気配はない。


「あっ、いけない! 早く家に戻って家事の手伝いしないとっ……!」


 悠長に話している場合ではなかったことを思い出したクリシアは、傍に置いてあった昨日身に付けていた衣服を拾い上げて、急いで家に帰っていった。



◇◆◇



『――で、また戻ってきたな。ここに』


「あはは……洗濯を頼まれましたからね、仕方ないです」


 桶に衣服の山を積もらせて再び村の傍を流れる川に戻ってきたクリシアは、洗濯板を使って衣服を擦り洗いしていく。


『それにしても、お前の両親どうなってんだよ……』


 クリシアが帰宅してからの両親とのあまりにも酷いやり取りを、フィンはクリシアの意識の中で見ていた。クリシアを人として見ておらず、何か都合の良い道具――それこそ奴隷のような扱いだ。


「……実は私、お義父さんとお義母さんの本当の子供じゃないんです。何でも捨て子だったらしくて、あの人達は私を拾って育ててくれたんです。もちろん可愛がるために拾ったわけじゃなく、労働力としてでしょうけど……」


『労働力って、いやお前それで良いのかよ……』


「……良いんです。目的がどうであれ、捨てられて死ぬしかなかった私をここまで育ててくれたのは事実ですし、そのことに感謝もしていますから。それに……」


 衣服を洗うクリシアの手が止まる。


「……私なんかがどう足掻いたところで、何も変わりませんから」


『クリシア……』


 諦めたような薄笑いを浮かべるクリシア。そんなとき、ザッザッと砂利を踏み鳴らす足音が複数近付いてきていた。クリシアが視線を向けると、そこにはグラッドとその取り巻き数人が立っている。


「よぉ、クリシア。昨日はゴブリンどもから無事に生き残れたようで良かったなぁ~?」


「ぐ、グラッド君……!」


 クリシアはグラッドに向き合うように立ち上がる。しかし、昨日のことで怒鳴ることはせず、怒りを押し堪えるようにギュッと拳を握り込むに止めていた。


『何なんだ、アイツ。無性に腹立たしいんだけど……』


 そんなフィンの疑問に、クリシアは心の中で呟いて答える。


『グラッド・パーディス。この村の村長の息子で、毎日のようにちょっかいを掛けてくるんです……』


『昨日ゴブリンに襲われたことを知ってるような口振りだけど、もしかしてその原因もアイツにあるのか?』


『……はい』


『おいおい、そりゃちょっかいで済まされる話じゃないだろっ!? もし俺が転生してなきゃ、今頃――』


 フィンはそこまで言って言葉を止める。

 少女がゴブリンに捕まった末路など考えたくもないからだ。一晩中ゴブリンのオモチャとして犯され、嬲られ、身体を蹂躙される。肉体的にも精神的にも壊されてからようやく死ねるというものだ。


 そして、クリシアもそんな口に出すことさえはばかられるような結末があったかもしれないことを想像すると、全身に鳥肌を立てていた。しかし、そんなクリシアの心中を察したグラッドが、ニヤリと口許を歪めて演技掛かった口調で言う。


「いやぁ~、でも想像したらちょっとそそられるよなぁ~。何をされても我慢してばっかりのお前が、さてゴブリンを前にしたらどんな表情を見せるのか……ひゃはは!」


「……っ!?」


 クリシアはその圧倒的な生理的嫌悪感から、自分の腕で身体を抱く。グラッドはそんなクリシアに歩み寄り、耳元で囁くように言った。


「(そう考えたら、俺様のモノになった方がよっぽど幸せだぜぇ~? 大切に大切に可愛がってやるからよぉ、今日こそ俺様のモノになれって……なぁ?)」


 ギリッ、とクリシアが奥歯を噛み締めて屈辱に耐える。

 クリシアの心は強い。これまで何度もこうしてグラッドやその仲間にイジメられたり嫌がらせをされたりしても泣き顔一つ見せず、義父母に良いように使われる上理不尽に怒鳴り散らかされても挫けない。

 しかし、どんなに強靭な精神でも、痛め続けられればやがて折れる。そして、その限界を迎えてしまうまで、そう長くはない。


『……クリシア、代われ』


『ふぃ、フィンさん? 何をする気ですか……?』


『さっきお前は言ったな。自分なんかがどう足掻いたところで何も変わらない、って』


『……は、はい』


『なら、俺が手伝ってやるよ』


 えっ? とクリシアは自分の精神の中でフィンの姿を見上げる。フィンは笑っていた。心の頼りになる強い笑いだ。しかし、それでいて優しさを内包している笑み。


『お前一人で足掻いても足りないなら、今度は俺と二人で足掻こう。今や俺とお前は文字通り一心同体だ。お前にまだ足掻く勇気があるのなら、俺はそんなお前を支えてやる』


『フィン、さん……!』


 さぁ、どうする? とフィンがクリシアに問い掛ける。クリシアは右手を自分の胸に当ててグッと握り込んだ。


『私、足掻きます……どこまでも足掻いてみせますっ! だからフィンさん、私と一緒に足掻いてくれますかっ!?』


『もちろんだ。任せろ――』


 身体からクリシアの意識がスッと遠退き、代わるようにフィンの意識が主導権を握った。


『行くぞクリシア。今この瞬間から、俺達のの始まりだっ!!』

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