第8話
「これも……桜の木?それにしても小さいし、その前にこの学校に桜は校門の一本しかないんじゃなかったっけ?」
俺は背もたれのない角張った木製の椅子から立ち上がって。窓の方へと向かった。
「どうしたの?」
「こっちに来てもらえる?」
そう言って俺は四条さんを窓際へ手招きした。困惑している四条さんを気に留めず窓と対面するように立たせた。
「動かないで、じっとしてて」
俺がそう言うと四条さんは一瞬肩を跳ねさせたが健気に背筋を伸ばして動かないようにしている。素直でなんだか可愛らしい。俺はそうしている四条さんの後ろに回り窓の取っ手に手をついた。この部室の窓は曇りガラスで外からは内が見えなく当然内からも外は見えない。学校の他の部屋はすべてフロートガラスなのにここだけ違う。どうせ部室で煙草を吸っているところをばれないようにするためだろう。
「……ちょ、ちょっと、堀河君!?」
「いいから、そのまま向こう見てて」
俺は窓の取っ手から手を外し体ごと振り向いてきた四条さんの肩を掴んで窓の方へと向けた。
「まって、何かするつもり?だめだって私たちそういうのじゃ……」
四条さんの肩が萎縮するように強張った。まるで、蛇に食べられる前のひよこのそれだ。
「………。ねえ、四条さん。何か勘違いしてない?」
「ふぇ……?」
四条さんはまぬけな声をだした。
確かに勘違いさせるようなことをしてしまったなと反省する。言葉が足りなかったのか行動が良くなかったのかどちらか分からないがそう思わせた俺に非があるな、と自嘲した。
「まぁ、何にしろ四条さんが思ってるような変なことはしないから、とりあえず外見てて」
そう言って俺は四条さんの肩に置いていた手をどけた。柔らかく皺一つないブラウスから漂っていたフローラルな香りが手から香る。
気がつくと四条さんの体が小刻みに震えていた。
「へ、変なことなんて考えてないから!!ただ、勘違いしちゃっただけだし。そのー、えっと・・・んー。とっ・・・とにかく!びっくりしただけだからね!!」
四条さんは顔を真っ赤にして言う。どうにも意地を張ってでも認めないつもりらしい。
「———ぷふっ」
四条さんの必死さに思わず吹き出してしまった。急いで口を覆ったが遅かったらしい、四条さんは震えている。湧き上がっているやかんのように頭のてっぺんから湯気が出ていそうなほどだ。
俺は少し揶揄いすぎたかな後で謝っておこう、と頬をかいた。
「とりあえず、外見てて」
四条さんを宥めたあとに言った。四条さんは一回大きな深呼吸をし窓の方を再び見る。
俺は頃合いを計って部室の窓を開けた。するとそこには3メートルの木が現れた。幹は樹齢が短いのが分かるほど細く下の方には苔が生えている。枝には何も付けておらず寂しさを感じずにはいられない。だが春先に花を咲かせるために厳烈な冬を越す準備をしているようにも見える。
「これって・・・さっきの木?」
ぽかんとしていた四条さんが口を開いた。最初に窓を開けられた時に俺が何を見せたかったのか一瞬理解できていなかったのだろう。
「少し小さいけどそうだよ。折角の桜なのにこんな誰が通るかわからない校舎裏に一本だけ生えているんだ」
俺は四条さんの方を見た。息をしているだろうかひっそりと生えている桜の木をじっと見つめている。その目には慈愛のような哀れみを含んでいる。
俺も外の方に視線を戻して言う。
「この学校には桜の木が一本だけあると思われてるけど実は二本あるんだ。このことを知ってるのは俺と今知った四条さん、ジョー先生。それともう卒業した先輩。だけかな・・・」
「そうなんだ。こんなところにあるなんてなんだか可哀想」
四条さんは同情するように言った。
そのまま、それにしてもと続ける。
「この木って校門にあるのよりだいぶ小さいよね。二回りぐらい。高さもそうだけど台風がきたら折れてしまいそうな細さしてる」
俺はふう一息ついて言う。
「まずこの木は校門のとは種類が違うんだ」
「種類?」
「うん。これはヤマザクラで、校門のはソメイヨシノ。日本で見る桜のほとんどはソメイヨシノなんだ。だからこれはどちらかと言うと珍しいものになるね」
「どう違うの?」
四条さんは食指を動かしたのかぐいっと近づいてきていった。
「えっと、ソメイヨシノは満開になった時花弁は真っ白になるけどヤマザクラは淡紅色がおおいけど白もあったり先端だけが濃かったり統一性があんまりないんだ。それと、ソメイヨシノは江戸末期から植えられたものだから実は最近の桜の木って言われてる。それに比べてヤマザクラはもっと昔からあって詩や歌で詠まれて親しまれてきた日本古来の桜の木ってとこかな」
「そう・・・なんだ・・・・・・。堀河君は物知りだね」
四条さんは再び外を見て言った。
夕暮れを告げる秋の冷たい風が四条さんの髪を靡かせる。四条さんは寒いねとだけ言って髪を耳にかけた。
胸がトクンッと鳴る。
でも、もし今が春だったなら、桜の花が吹雪いていたら、彼女はもっと華やかなのだろう。閑散と寂しい秋だと物足りなく感じる。
夏だったら、冬だったら、どんな四条さんを見れるのだろうか。
「この桜の木の絵はあるの?」
「一応、今年書いたのがあるよ。・・・・・・でも、見ない方がいいと思うな。四条さんには絵を見る前に実物を見てほしい」
「来年にならないと見れないんだよね。待ち切れるかな」
四条さん少しシュンとして言った。
「去年は俺もそう思ってたけど意外と早いものだよ。それに待つ価値があるくらいきれいだから」
「じゃあ、それまで一緒に過ごしてくれる?」
「もちろん、いつでもここに来なよ。基本的に居るし、暇だから」
「絵描かなきゃダメでしょ!コンクールとかないの?」
「・・・・・・一応来月に」
ぷっと四条さんが笑い出した。俺もそれにつられるように笑う。
「あはは、それじゃあ来年の春、一緒に桜見ようね」
四条さんは花が咲かせながら満面の笑みで言う。ドクンドクンと鼓動が速くなった。
この人は秋にでも花を咲かせれるんだ。しかもどの季節の花にも負けない大きくて華やかで美しい花を。
俺はつい見惚れてしまう。
「うん。そうしよう」
——カッコーカッコー
時計から木製の鳥が出てくる。
「わぁ、もうこんな時間だ。そろそろ帰らないと」
時計の方を見ると18時を差している。最終下校は19時なのでそこまで急ぐ時間ではない。
「誰かと待ち合わせ?」
「うん、友達に帰ろって言われてて。用事があるって言ったんだけど待ってるからいいよって言われちゃって」
少しだけ一緒に帰れるかもと期待していた自分が恥ずかしい。四条さんは学校の人気者だ。当然友達も沢山いる。
「それなら結構待たせてるんじゃない?他の絵はまた来た時に見ればいいから」
「うん!!じゃあねバイバイ!!」
四条さんは手を振りながら足早で部室を出て行った。
さっきまでの喧騒は消え、甘いフローラルな香りも部室に染みついているタバコの匂いへと変わっていく。
数分経つと鼓動も落ち着いてきた。部室を見渡せばいつも通りに戻っている。気持ちは落ち着くが心なしか寂しい。
今日のところは帰ろうかな、そう思って身支度をしていると床に学生証が落ちていることに気がついた。
もしかして・・・
拾って表紙を開くと案の定四条さんのものだった。
まだ四条さんが出て行って間もない今から走れば間に合うだろう。そうして俺は部室を出た。
「はぁ、はぁ・・・・・・」
息が上がって呼吸が早い。こんなに走ったのは久しぶりだ。部室は下駄箱とは真反対のところにあるので距離が結構ある。
下駄箱で話し声が聞こえてくる。よかった間に合った。深呼吸をし呼吸を落ち着かせてから四条さんのところに行き声を出した。
「四条さん、これ忘れてたよ」
俺はそう言って学生証を差し出した。
四条さんの周りにいる四人の人たちは誰だって顔でこちらを見ている。
「・・・うそ!ありがと!!」
四条さんははっとしてそう言い学生証を受け取った。元気な声を出しているが四条さんの表情に幾許かの違和感を感じる。まあでもきっと気のせいだろう。四条さんにかぎってそんなことはないだろう。変に勘繰るのは良くないと頭を振った。
「そんなけだから、今度こそじゃあね」
元々渡すだけのつもりだったが四条さんの周りの目が少し痛く手早く終わらせるしかなかった。
「うん、ごめんね」
四条さんも察したのだろうか申し訳なさそうな顔をした。
「終わった?なら行くよ、私たちずっと待ってたんだから」
俺より背の高い黒髪ショートでスラッとしたモデル体型の女の人が言った。
「私は用事あるって言ったのに待つって言ったのはそっちでしょー」
「こいつらがどうしてもって言うから仕方なく、ね?」
「えー、俺のせい?」
「もうなんでもいいからさ早く帰ろ、ね?」
「蓮華の言う通りだよ。あんたたち早く帰るよ。最近帰るのが遅いって怒られたんでしょ?高校生にもなって恥ずかしい」
「うるせー!男子高校生に門限があること自体変だろ!!」
「それに対しても恥ずかしいっていったんだけどね」
あははと笑いが起こった。他に誰も居ないのに一瞬にして喧噪へと変わる。楽しそうでなによりだ。
四条さんも一緒になって笑っている。
そうして四条さんたちは楽しそうに喋り合いながら玄関を出ていった。四条さんはこちらを振り向かずに歩いていく。
そういえば四条さんと初めて会った日もこんなことがあった。でも今はあの時とは違って周りに沢山の友人がいる。
淡々と同じスピードで歩くのではなく、たまに速くなったり立ち止まったりしてみんなの歩幅に合わせたりしている。
次第に彼らの背中が小さくなっていき声も遠くなり聞こえなくなった。それでも後ろ姿だけで賑やかなのがわかる。
———たった一人を除いて
俺はその人が広大な海に漂う孤舟にしか見えなかった。
ただ波に身を任せている。帆も折り畳み、自分で舵を切ろうともしない。船体は太陽によって干上がり白くなっている。
もう何もかもどうでもよくなっているような疲労感や倦怠感だけが舟に積み上げられていく。どれだけ積み上げられても舟は一向に沈んでいかない。
彼女はいったいどこまで流れていくのだろうか。
俺はただ立ちすくみ、見ていることしかできない。
部室に戻り飲んだ昼休みに自動販売機で買ったコーラはぬるく炭酸が抜けて甘ったるかった。
雨宿りをしていたらずぶ濡れの美少女がやってきた 夙 @sh893
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