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目が覚める。
週もまだ中盤だというのに、既に5日働いたような疲労感が身体を包んでいる。
朝に支障が出ると分かりつつも2時までだらだらと過ごしてしまった事が原因である事は明白だ。
ここ最近。
ずっとそんな時間の使い方をしてしまってる。
朝起きて昨晩の事を後悔して早く寝る決意をして、昼休憩で仮眠を摂って、夜には後悔を理解しつつ無駄に間延びさせた時間を過ごす。
残業で帰りが遅くなってるわけでも飲み歩いてるわけでも無いのに、家に着いてからの時間が突然貴重になったような感覚に襲われて中々終わらせる事が出来ない。
もう少し、あと少し。
何度も動画サイトを覗いては閉じてを繰り返して、隠し切れなくなった睡魔が次の動画への興味を攫っていく。
今日もまた、冷房を掛けたままの少し冷えた室内で薄手の掛布団にくるまりながら、メッセージウインドウの〖二度寝〗の表記を押しかける。
すぐ起き上がれない中で出来る事は、止まらずに身体を動かし続ける事だけ。
もぞもぞと布団の中で青虫のように動いて、頭にモヤをかける眠気が取り払われる事を期待した。
(LINE、、、返さないと、、、)
数日返していないその他には見向きもせず、安穏先輩からのメッセージを開く。
あまり深夜に返すのも迷惑だろうと昨日の夜中に返事のタイミングが遅くなったところで既読を付けずに残しておいた。
先週の日曜日、ホテルで朝を迎えた後、そのまま先輩の家に行って夕方までの時間を過ごした。
たった一週間会っていなかっただけなのに今まで抑え込めていたのが不思議なくらいの劣情を先輩に吐き出して、その全てを嫌な顔一つする事なく受け止めてもらった。
いつもの揶揄うような表情と純粋に行為を愉しむ表情。
それだけじゃない何かもある気がしたけど、色々と考え過ぎてデートで空回りした後では、余計な事を考えるのが得策であるとはどうも思えなかった。
何も考えずに欲望に従順になる事が功を奏したのか、次の土日も家に行く約束を取り付けたし他愛もないLINEが今も続いている。
「会いたいな、、」
やっとの思いでベッドに腰掛け、無事に立ち上がれるタイミングを待つ時間で言葉が漏れた。
先輩に会ったのはつい3日前の事。
しかも、付き合わないという選択肢の中では一番都合がよく一番最高の待遇を受けたと思う。
自分のしたい事をしたいだけして、嫌な顔一つせず受け止めてくれる。
だからこそ会いたくなっているとも言えるけど、あれだけ欲をぶつけておいて3日ももたないなんて思わなかった。
初めて身体の関係を持ってから先週末までの一週間は、仕事中に呆けこそすれ感情が爆発せずに済んでいたはずなのに。
色恋が介在しない関係で、ただお互いの欲をぶつけ合う。
関係性がはっきりした事で、より欲望が前面に出てくるようになってしまったのかもしれない。
(なんて送ろうかな、、、)
恋人では無いという制約が、誘い文句を難しくさせる。
もうデートに誘って失敗をしたくはないし、もし今日会いに行けるとしても仕事終わりになるからどのみち出掛ける時間は無い。
会うとすれば、家で朝まで過ごす以外に出来る事を思いつかなかった。
朝まで家に居れば必然、、、。
ただ、それを直接誘い文句に組み込むのは憚られる。
今まで行為に及んだ二回とも、自分の欲望をぶつけたのに誘ってくれたのは先輩からだ。
拒絶されないだろうとは思っていても、自分から踏み込む事が出来ない。
奥手な癖に注文だけは多い。
字面で見ると実際以上に最悪に思えてくる。
〖おはようございます。今日仕事終わりゲームしに行っていいですか?〗
結局、共通の趣味を免罪符に使ってしまった。
いつだったか先輩が言っていた。
ゲームを選ぶ動機が変わったと。
その時の意味とは違ってるんだろうけど、人生で初めてゲームを豊かな時間を過ごす事以外に使ってしまった気がする。
それも、自分の肉欲を隠す為という極めて最低な目的で。
5分、10分。
洗面所にまで携帯を持って行って用意をしながらそわそわと確認をするも、返事どころか既読も付かない。
スクールカウンセラーが何時から学校に行っているのか、そもそも今日は仕事がある日なのか。
あれだけ毎週のように家に行っていたのに先輩の事を何も知らない事に少なくない驚きが浮かんだ。
思い返せば、先輩が魅力的な見た目になるまで深く会話をする事を避けていたような気がする。
仕事やプライベートの事に全く興味が無いわけではなかったけど、聞き方を変えたり何度かラリーをしたり、普通の情報収集では必要の無い労力が先輩との間では必要な事を理解していたから、やろうとしなかったんだと思う。
それが今となっては都合よく手の平を返して、知りたいと興味を沸かせて関心を全面的に向けている。
現金なものだなと、鏡に映った何度も携帯に視線を向ける自分の姿を見て思った。
ギイィィィ────
そのまま家を出るまで先輩から返事が来る事はなく、最近少し軋んで重くなり始めた扉を閉めて家を出た。
ブーッ────
最寄り駅での電車の待ち時間。
小さく一度鳴ったバイブレーションを聞き逃さず携帯を見ると、そこには先輩からの返事ではなく2日程返事をしてなかった母親からの追いLINEが入っていた。
内容は身体を心配するもの。
ここ最近返事をすぐにしない事が増えたから、事件性の何かを疑うような性急な感じではない。
全くの期待外れ。
望んだ結果が携帯の画面に表示されなかった事に溜息を吐いて、すぐに暗転させてポケットに仕舞った。
(あの人、今日同じ電車なんだ)
到着した電車に乗ろうと柱に凭れ掛かっていた身体を起こした先に見えたのは、朝のこの時間によく同じ電車へ乗るところを見かけていた綺麗な女性。
有り体に言ってしまえばタイプで、おそらく家の最寄り駅が一緒であろうという親近感も相まって、通勤ラッシュの溢れ返るような人混みの中でもひと際目が惹かれた。
でもなんだろう。
何というか、、、。
前より魅力的に見えなくなってしまってる。
いつも見ていたからかすぐに気付く事が出来たし相変わらず綺麗な人だなとは思う。
それでも、チャンスがあれば話し掛けたいと思っていた以前と比べると、どうしても引き寄せられるような魅力を感じなくなってしまっていた。
元の良さを引き立てていると思っていた濃いめの化粧も髪型も、スタイルの良さを際立たせていると思っていた服装も、今では余計な飾りに思える。
むしろ、中身を化粧や髪型や服装で隠して、それらが単体で歩いてるような、そんな印象さえ覚える。
全体を見て綺麗だという事は理解出来るのに、近付きたいとは思えない。
好きなアニメや漫画の絵より、教科書に出てくる絵画を見てるような気分だ。
名前も知らないあの人を見かけただけで幸せを感じて、同じ車両になった日はいつもより少し笑顔が増えて、近くの場所に居れた時は満員電車が苦じゃなくなった。
それが今は珍しい形の雲を見つけたくらいの情動しかない。
すっかり空を見上げる事もなくなったけど、この前見かけた雲は中々キリンに似ていたなと、思い出すだけで彼女を見かけた時より笑みが零れた。
女性のタイプが変わったんだろうか。
好きになる性別が変わったんだろうか。
答えが彼女と比べてしまっている対象にあると理解はしてるけど、心の中だけでもそれを肯定するのは憚られた。
肯定してしまえば、許されたはずの今の関係から踏み出そうとまた過ちを犯しそうだったから。
《間もなく電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください》
大都会東京の駅程では無いものの、地元に比べると十分に混み合ってる駅で我先にと電車に乗ろうとする人達の後ろにつく。
夏にも拘わらずきちんとネクタイまで締めている新社会人に比べると身だしなみは随分適当になってシャツも辛うじてズボンの内側に入ってるような状態だけど、まだ降りる人を先に通すくらいの心の余裕はあった。
ただ、前ほど我先にと乗り込む人達への嫌悪感は無い。
自分に被害が無ければいいかと思ってるのか、早く乗りたい気持ちに共感してるのか。
はたまたそのどちらもか。
むしろ、最近では停車前に降りやすい位置まで来ていなかった人達への苛立ちすら募るようになってきていた。
扉から離れたところまで押し込まれて素早く降りられない経験を自分もしてるはずなのに、そんな姿を自分以外に投影する事が出来ない。
「ふわあ、、、」
遅れて出てきた欠伸で思う。
また今日も、いつも通りの一日が始まるんだと。
「先輩どうしたんすかニヤニヤして」
「気のせいだろ」
思っていたより忙しく、長い時間トイレでサボる事も出来なかった午前を終えて迎えた昼休憩。
漸く確認出来た先輩からのLINEに返信をしていると、他部署になり関わりが減ってしまった細木と久しぶりに遭遇した。
部署内の付き合いで外食に行く事もあったり休憩時間がズレこんだりで最近定刻通りに休憩する事が無かったから、随分久しぶりに会うような感じがする。
「彼女でも出来たんですか?広報課の同期の人とか!あの人美人っすもんね~」
「出来てないし新山はただの同期だよ。紹介しようか?」
「えっ。いいんすか?」
適当に話題を変える目的で言ったのに、細木が思いの外食いついてきた。
社内に新山のファンがいると噂には聞いてたけど、こうして目の当たりにするのは初めてだった。
「連絡先教えていいか聞いとくよ」
「最高っす先輩。一生ついていきます」
大袈裟過ぎる、、と思ったけど、細木は本当に一生ついてきそうなテンションで目を輝かせていた。
俺にとって新山は単なる同期だし、確かにあか抜けてどんどん綺麗になってきてるとは思うけど、何となく女兄弟のようなそんな感覚で見てしまう。
顔も似てなければ姉か妹かのどっちかすらはっきりしないけど。
前に二人で飲みに行って駅まで肩を貸してる時も、ドキドキする気持ちより歩きにくいとか心配する気持ちのほうが勝ってた。
「今日って飲み行けないっすか?」
「あー、悪い。今日無理だ」
休憩に入ってすぐ、食堂に来るかなり手前で確認したLINEの内容。
先輩からの返信には二人分の晩御飯を買ってくるなら泊ってもいいと書いてあった。
誘い文句に使いこそすれ本当にゲームだけして帰るのは嫌だったし、あわよくば泊まらせてもらえないだろうかと考えていたのを最小の会話のラリーで叶える事が出来た。
先輩が俺の思惑まで読んでいたのかは分からないけど、休憩に入った段階で詳細な予定を把握する事が出来たのは大きい。
休憩時間が丸々被るかは分からないし、最悪の場合退勤後に約束を取り付けてそこから準備をする必要があったから。
予定が無事に分かった今の状態なら、帰りにご飯と下着だけ買って直行出来る。
洗濯機は前にも借りたし使わせてもらえるだろう、きっと。
偏屈な先輩だけど、別にケチではないし。
「やっぱり彼女出来たんじゃないっすか」
「なんで予定があるイコール彼女って決めつけるんだよ」
「可愛い後輩より優先するの彼女くらいじゃないっすか」
「過大評価し過ぎだろ自分の事」
「冷たいっす先輩、、、まるで別部署の人みたいっす、、、、」
別部署だろ、というツッコミは何だか乗せられてるみたいで気が引けたので適当に返しておいた。
まるで今まで何よりも優先して細木との予定を組んできたみたいな言い草だ。
そんな事は全く無いしむしろ二人で飲みに行った回数なんて数える程しかないのに。
「明日は?」
「明日行きましょう!ドタキャン無しっすよ!」
「した事ないだろ」
「人は成長する生き物っすからね」
ドタキャンをするようになるのは退化だと思うけど。
今朝睡眠時間が短くなってる事を後悔したばかりなのに、二日連続で予定を入れてしまった。
今週平日は残すところ金曜日の夜が空いてるだけ。
花金だなんだと言われる金曜日は、一番飲みに誘われる回数が多い。
つまり、今週もゆっくり眠る事が出来る可能性ががくんと下がってしまったという事だ。
スロットで言う大当たり前のリーチの状態まで来ている。
せっかく先輩と会える事で明るくなれていた心情が、見る見る内に曇っていくのが分かった。
(そうだ。新山ももしかしたら誘ったら来るかな)
もし来れそうだったら、細木には内緒でサプライズ登場してもらおう。
お酒が入れば話しやすいだろうし、仲良くなってくれれば二人きりにするという名目で早く抜ける事が出来る。
早く帰って早く寝られれば、金曜日の夜に誘われても体力的には問題ないだろう。
でも願望を言えるなら、、。
(金曜日の夜から先輩のとこに泊まりに行きたいな、、)
今日仕事終わりに会いに行く予定を立てたのに、その先の予定すら既に抑えておきたくなるくらい、あっという間に先輩に心酔してしまっていた。
許されるならば今すぐにでも準備をして行きたいくらいだ。
急く気持ちが、この後の仕事の憂鬱さを増幅させる。
「じゃあ先輩お先っす!」
「まだ休憩時間あるだろ?」
「ちょっとやっときたいのがあって。別に拘らなくてもいいところではあるんで休憩時間に終わらせときます」
「無理するなよ?」
「大丈夫っす!じゃあまた明日!」
休憩時間が短くなって先に仕事に戻るというのに、細木の表情には一切の曇りが無くて、むしろ晴れやかな表情をしていた。
仕事が楽しくて楽しくて仕方がない。
そんな雰囲気が感じられる。
先輩の前だから無理矢理表情を作るとかそういうのでも無い、純粋な感情。
やっている仕事のレベルは上がったしやりがいのある仕事も増えたはずなのに、単純作業をしているはずの細木ほどの熱量を持つ事は到底無理なように感じた。
「はい。では本日の会議は来春の大型アプデについてと、、、新作の進捗についての報告ですね。じゃあまずはアプデの件を、、、広報課の瀬戸口さんから」
「はい」
一週間に一回は必ず開かれる、部署の垣根を超えた会議。
その内容の多くは現在進行しているプログラムの進捗を報告し合うだけで、大した中身はない。
わざわざこうして会議を開かなくてもちゃんと報告書を読んでいれば分かる内容だし、この会議に向けて資料を準備する手間を考えればやらないほうがいいだろうと課長に就任して会議に参加するようになってから毎回思っている。
普段交流の少ない他部署の人と関われる機会を設ける為と言われてしまえばそれまでだけど、交流を深めるなら会議じゃなくてもっと話せる場があればいいのに。
費用会社負担で就業時間中にバーベキューをするとか。
部署対抗ゲーム対決とか。
(身体を動かす系じゃなかったら別になんでもいいか、、、)
ただ知ってる内容を聞いてるだけで、こんな無意味な事を考える余裕があるくらい暇なのに、社内での錚々たる面々が居るこの場ではおちおち欠伸もしてられない。
自分がここで適当な態度を取っていればそれがそのまま内申点のような形になって上司の今後に響いてしまう。
大型アプデの件について、広報課からの報告も営業部からの報告も、一週間前に社内メールにあった内容をそのままなぞってるだけだ。
それをわざわざパワーポイントで分かりやすくまとめて、スクリーンに映し出して説明してくれてる。
仕事は顔を突き合わせてやるべきだと言う声の大きな人達は、メールでの報告を廃止すれば作業効率も上がって会議に注力出来るんじゃないかとよく言っている。
そういった人達はまるでこの会議で聞く内容が初見であるかのように大きく頷いて反応をしている。
勿論、何もないと流石に失礼かなと思って流し聞きながら要所要所で頷くくらいの事はするけど、あんなにも大きく深く頷く事は出来ない。
既知の内容だし、何ならその先の事も既に知ってるから。
初見であるかのようにと言ったけど、大きく頷いてる人達はおそらく本当に何も知らずにこの場に来てるんだろうなと、反応の深さを見て思わされた。
タバコ休憩を一回控えれば、廊下での立ち話をやめれば。
メールを一通確認するくらいの時間は取れるのに。
何の役職も持たない遮二無二働いていた時は気になってなかったそんなあれこれが、役職が上がっていくにつれてどんどん目に付くようになってきた。
徐々に怠慢が露呈していったわけじゃなく、前々からあったものに気付けるようになってしまった。
気付かなかったものが気付けるように、気付けたものが気になるように。
少しずつ少しずつ。
純粋に受け止められていたはずの上司のアドバイスが受け止めにくくなっているのを感じる。
そんなアドバイスをしてる時間があったらメールのチェックを。
喫煙所でコミュニケーションを取ってる時間があったら業務内で出来るコミュニケーションを。
度々そんな事を思うようになってしまった。
課長になった今、もしかしたら自分も同じように思われているのかもしれないと思って業務中は常に見られている意識でいるようにはしてる。
サボるのもトイレに行った時に少し長くいるくらいで、たばこも吸わなければ業務に不要なコミュニケーションを取るのもすれ違いざまにさらっとするくらいだ。
でもその少しでさえ不要だと思われてる可能性もある。
トイレも最小限で移動中の会話はなく、ひたすらパソコンや資料に向き合う。
そんな上司を求めてる人もいるとは思う。
堅物と言われてしまってもおかしくないようなそんな理想を体現したいとは思わないから、もし直接言われるような事があっても俺は今のスタイルを貫いてしまうんだろうけど。
あの人トイレ毎回長いよなと思われているかもしれない可能性については甘んじて受け入れよう。
小だけの時も個室に入って座るようになったし、言われてても否定のしようが無いから。
サボりだと知られるよりはマシだろう。
「では次。SE課から世那課長。お願いします」
「はい」
用意しておいた資料を、用意していた通りに説明する。
課長になって数か月。
初めは錚々たる面々に緊張していたものの、今では用意したものを読むだけの作業に緊張をしなくなった。
詳しくは手元の資料をお読みくださいと説明を端折る余裕まで出てきている。
その度にメールも読まない人達が表情で浮き彫りになるけど、構う気は起きない。
長々と全て説明している時間があったら、その分を割きたい仕事はいくらでもあるんだ。
最近ではSE課に籠りっぱなしで、IT課との連携が少し希薄になってきてるきらいがあるし。
出来るだけ短い時間で、出来るだけ端的に。
ご機嫌伺いをしながら最初から最後まで説明する人達の半分以下の時間で、SE課からの発表を終える事が出来た。
焦った表情の人達はペンすら持参しなかった事を精々悔いたらいい。
(まだ一時間か、、)
想定されてる会議時間は3時間。
終了までのあと2時間。
眠気に勝てる自信がぼろぼろと崩れていくのを感じながら、手の甲を強くつねって窮地を脱した。
「ありがとうございました~」
退屈な会議を何とか15分巻いて業務時間内にやっておきたい事を全て終わらせられた後、急いでコンビニに寄った。
会議中、あまりの長さに心の中で不平を漏らすだけでは飽き足らず、残りの時間はずっと安穏先輩の事を考えていた。
今日家に行ったら話す事、やるゲーム、それ以外の色々。
日を追うごとに退屈さが勝ってしまっている仕事とは全く違って、先輩と過ごす時間は始まる前から願望や希望で満ちていた。
食べ物も飲み物も着替えも買った。
多分家にあった分はもう使い切っただろうと、何年ぶりかにゴムも買った。
3つ入りのものを念の為に二箱、、、。
使い切れる自信で溢れているけど、もし使い切れなかったとしても次の為に置いておけばいい。
先輩との関係は、今日の期待だけでなく、この先の希望すら持たせてくれる。
関係性が明記出来る彼女が居た時は先々に対して希望より不安の事のほうが多かった記憶があるのに、不安定ないつ終わるかも分からない関係の先輩との間にはそんなものが微塵も存在していない。
先々への希望も、関係性に名前が無いんだからいつ無くなっても仕方ないなと諦めがつく気がする。
今はまだ、明るいものしか見えなくて暗転した時の事なんて考えたくもないけど。
元々なかったものが何の努力もなく手に入ったんだ。
無くなったからと言って文句を言うのは筋違いだろう。
会社の最寄のコンビニから駅までの道のり、帰宅ラッシュの電車待ちの時間、満員電車。
全てこの後の事を考えれば不快に思う間もなく時間があっという間に過ぎ去っていく。
付き合いたてのカップルが人目を気にする事もなく外でイチャついたりしているのを見かけるけど、あの人達はきっとこんな気持ちで浮ついてて、世間の目や自分達以外との感情の隔たりなんてものを感じ取りにくくなっていたんだろうなと、似たような心情になって理解する事が出来た。
満員電車で足を踏まれて何の謝罪がなくても、仏のような心で許す事が出来る。
薄ぼんやりとした形の全能感が、全身を包んでいるような気さえしてきた。
《◇◇駅~。◇◇駅~。お降りの際はお足元にお気を付けください》
あっという間に到着した先輩の家の最寄駅。
大都会からは少し離れていて、帰宅ラッシュの時間でも扉横の一人分のスペースを確保するくらいのゆとりがあった。
ここに来るまでの浮ついてふわふわしていたような感覚も、もう少しで家に着くと分かった途端に少し引き締まるのを感じる。
何度も会ってる中なのに、毎週歩いていた道なのに、いつもと違う感覚が胸中にあった。
駅の近くにコインランドリーがある事なんて今日まで知らなかったし、古びた商店街の肉屋のコロッケを求めて多くの人が並んでいるのも知らなかった。
気持ちが上がれば視線が上がる。
高校時代に姿勢を丸めてばかりいる俺を見かねた先生が掛けた言葉だった。
その時は何言ってるんだこの人面倒くさいなとしか思わなかったし、今でも感謝が出来るかと言われると首を傾げてしまうと思う。
でも、実際に心情の変化で目に付くものがこうも変わってしまった事は事実だし、変化を理解した瞬間にふと先生の言葉を思い出したのも事実だった。
白黒だった世界に彩りがとかそういう分かりやすい変化ではないけど、今まで狭かったピントを合わせる範囲が広がったような、そんな感覚を受ける。
今から先輩に会える。
そんなただ一つの事でこんなにも簡単に変わってしまうから、人は恋愛に依存してしまうんだろう。
関係性に名前がなくても、心にある感情が恋である事は目の逸らしようがない、どうしようもない事実だった。
〖着いたら鍵を使って勝手に入ってくれていい〗
先輩から届いた前は何とも思わなかったそんなLINEも、今では心が躍らされてしまう。
あと数分後には会える。
逸る気持ちを抑えながら、浮ついた気持ちを必死で隠すように身体をこわばらせた。
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