9:00


「あっつい、、、」


初夏なんて言葉が馬鹿馬鹿しく感じるくらい茹だる暑さの中、土曜日だというのにわざわざ昼から公園の木陰にあるベンチに座っていた。

夏休みに入ったであろう時期にも拘わらず公園には子供どころか自分以外の人の姿すら見えない。

現在の気温は36度。

記録的猛暑という言葉はここ数年で随分聞き慣れてしまった。

お風呂と考えればぬる過ぎるように感じるのに、全身を覆うこの暑さに温さなんてものは全く感じない。

襲い来る暑さ、活発に鳴くセミの声、暑さで歪む砂場の景色。

室内ばかりで暑いも寒いもずっと肌で感じてこなかった人生に於いて、こんな経験をするのはきっと中学生ぶりなんじゃないだろうか。

あの頃は同じ暑さでも文句を言いながらもそれなりに元気に走り回っていた気がする。

気を紛らわそうと何かを考えようとしても、暑い以外の言葉が出てこない。


「先輩、早く来ないかな」


先週末。

安穏先輩と想定外の展開を迎えてからの一週間を、まるで抜け殻のように過ごしていた。

会議も上の空でテレビやSNSを見ていても何の情報も入ってこない。

そのくせ仕事のスピードは速く、疲れを感じる器官が鈍っているような感覚に襲われていた。

先週会うまでの評価を180度変えてしまうようなべた惚れ加減に、自分で自分が嫌になった。

それでもそんな強過ぎる欲望より優先するものなんてなくて、何とか間に合った月曜日の仕事終わりすぐに今日の予定を取り付ける連絡をしていた。

いつもだったら夕方まで寝ているはずの土曜日の昼から。

それも、家に迎えに行くわけではなくて外での待ち合わせ。

先輩がぎりぎりに起きる事も考慮して家から程近い公園に待ち合わせ場所を設定したけど、そもそも家に迎えに行くまで起きる事すらしてくれた事がなかったなと思い出して、夏の暑さがより恨めしく感じた。

まだ待ち合わせ時間まで20分あるとはいっても、不安は募る。

このまま来ないんじゃないだろうか。

長時間ここに居たら汗臭くなってしまわないだろうか。

前までは来なくても匂いがしても何も気にしなかったはずなのに。

過去の自分と今を比べて、見られ方が異様に変化した姿に呆れの感情だけが強く浮かんだ。


先輩はどうして急に関係の変化を望んだんだろうか。

今まで揶揄いこそすれ、実際に身体の関係を迫ってくる事なんて無かったのに。

冷静になった頭で、月曜から今日までの間、ずっとそんな事を考えていた。

直接的に何かヒントがあったわけではないけど、劇的な体型の変化も何か関係してる気がした。

あれこれごちゃごちゃと考えて作り出した一つの答えは、もしかしたら俺の気を引く為なんじゃないかというあまりにも安直で直視出来ない答えだった。

連絡が来なくなったから見た目を磨いて、身体で迫って既成事実を作って。

そうすればどんな腐れ縁でも逃げ道を立てるだろうと、そう考えたんじゃないかと思った。

都合のいい考えなのかもしれないけど、こうして先週以降初めて会う今日まで可能性を捨てきれずにいる。

もしかしたら今日、社会人になって初めての彼女が出来るかもしれない。

変わり者の安穏先輩の事だ。

想像も出来ないような埒外の考えでああいう行動に出たのかもしれないけど、浮かれ出した思考は中々止める事が出来なかった。

告白をするならいつも通り家でゲームは拙いだろうとデートプランなんてものを組んでくる始末だ。

〖デート〗〖定番〗なんてワードで調べる事が人生の中であるとは思いもしなかった。


「まだ5分しか経ってないのか、、、」


暑さに嫌気が差して見た時計には、残酷な現実が映し出されていた。

待ち合わせまであと15分もある。

奇跡的に先輩が時間通りに来たとしても15分、この場所で待っていないといけない。

いや、別にこの場所を離れてコンビニで涼みながら待つのも有りだとは思うけど、最寄のコンビニまで5分歩かないといけないという微妙な距離が足を重くさせた。

往復の時間を入れたら、涼める時間はほんの僅かだ。

無いとは思うけど万が一その間に先輩が来る事になったら。

そのせいで機嫌を損ねてしまって告白の成功率が下がったら。

手の平を180度回転させて告白も失敗してなんて目も当てられない。

プロポーズの時みたいに指輪を用意したわけでも絶対に今日告白すると特大の決意をしたわけでもないけど、薄ぼんやりと告白をするなら今日かなという考えはあった。

それが本当に先輩の事を恋愛という観点で見て好きだからという理由から来るものなのか、肉欲に溺れて失うのが怖いからという理由から来るものなのか。

一週間でそこまで判断する事は出来なかったけど、それでも告白をしたほうがいいんだろうなと思えるまでにはなった。

勇気はまだ湧いてない。

その証拠に、今すぐ先輩が横に立っていたとして、俺が口にするのは告白ではなく「珍しいですね。待ち合わせ時間前に」だ。

そこには本心よりも多く照れ隠しの成分が含まれている。



「珍しいですね。待ち合わせ時間前に」

「こういう時はまず容姿について褒めるべきと統計で出ているんだよ」



閉じていた目を開けた瞬間に思考を読まれたようなタイミングで登場したんだ。

褒め言葉より先に驚きが出てしまったのは仕方がない事だと多めに見てもらいたい。

待ち合わせ時刻の10分前。

珍しいを通り越して、学生時代を含めて初めての経験に理解してからのほうがより一層驚きが増していた。


「寝不足ですか?」


目の下にクマを作って欠伸をする先輩を見て、容姿を褒める気恥ずかしさから逃れるようにここぞとばかりに注目した。

そこまで多く先輩をじっくりと見てきたわけではないけど、徹夜でゲームをした後のような、そんな様子が感じられる。


「珍しい誘いがあったからね」

「遅くまで飲んでたとかですか?」

「察しの悪い」


珍しい誘いを自分の事と捉えるよりも早く、何の立場でも無い事を忘れて嫉妬心を募らせてしまった。


「すみませんこんな時間から」

「本当に。世那君の思春期ぶりには困らされる」


先週の事を思い出させるような含みを持たせた発言にドキリとさせられた。

呆れたような嫌がるような口調と内容なのに、先輩の表情は満更でもないを体現したような、そんな様相をしている。

こんな時間から誘われて眠いけど別に嫌じゃない。

分かりやすく、そんな言葉で言い表せるような気がした。


(それにしても、、、)


きちんと外出用の服を着た先輩は、褒めるべきだと言われるのが正しいと思える程に魅力で溢れている。

白のノースリーブシャツにジーンズ生地のショートパンツと厚底のサンダル。

薄手のカーディガンで上半身の露出は少ないけど、それを補って余りあるくらいにすらっと伸びたシミ一つない足が眩しい。

インドア派らしい色白の肌で、先週散々見たはずなのに、あまりの興奮で消し飛んでしまった記憶を補うように全身をじっと見つめた。

天然物で少しねじれたまま背中あたりまで伸ばされた髪は後ろで一つに結わえられていて、所謂ポニーテールの状態になっている。

上から下まで、目を逸らしたくなるくらいあまりにも〝女性〟だった。

社会人になってから半纏を来た姿と部屋着姿しか見てなかったし、痩せた状態を見たのは先週が初めてで完全に舐めていた。

余所行き用の、服装も化粧もきちんとした先輩の事を。

今から横を歩かないといけないのが不安に思えてくる。


「今日のところはその正直な視線で満足しておくよ」


いつもなら苛立ちか呆れしか覚えない先輩のニヒルな笑みも、魅力を増させる一つの要因にしかならない。

こんな笑顔を見れるなら、また何度でも揶揄われていいかと思ってしまう。

視線に気付かれた事に対する恥ずかしさなんてものは微塵もなかった。


「楽しみにしているよ」

「任せてください」


いくらじっと見ていたいとは言っても、この暑い場所でいつまでも居ては数分の後に暑いが感情として上回ってしまう事が明白だった。

姿形は変わってもそこは長年培った関係値から来る阿吽の呼吸で、自然と同じタイミングで公園から出て目的の場所へと歩き出した。

狭い道で横並び。

厚底のサンダルでほぼ同じ高さまで近付いてきた先輩の視線が、話す為に横を向く度に胸に刺さる。

距離感だけいつもの男友達に対するものと同じままで、魅力だけ大きく増した先輩が横にいる。

何も変わっていないのに、こんな暑い中でも手を繋ぎそうになってしまうくらいどうしようもなく先輩を女性として見てしまっていた。


「お腹空いてます?」

「多少はね」

「じゃあ先にご飯食べに行きましょう」


まるで先輩のお腹の調子に合わせたかのように振る舞って、元から決めていたプランをなぞる。

空いてないと言われた時のプランは用意してない。

せいぜいあたふたした後にコーヒーでも飲みましょうかと苦し紛れにチェーンのカフェに連れて行くくらいだったろう。

内側から滲み出る汗を隠してくれた事で初めて、この茹だるような暑さに少し感謝した。



「ここです」



昼食の場所に選んだのは、先輩の家から程近い場所にある隠れ家イタリアン。

いつも先輩と行くラーメン屋とはかけ離れた、インスタで女性がよく上げているような場所だ。

下調べはしたけど、勿論こんなオシャレなところに来た事は無い。

あまりにも隠れ家風な装いに、家か店かの区別がつかず危うく通り過ぎるところだった。


「随分と張り切りを見せてくれるね」


全てを見透かしたような笑みが、気を遣って先輩側に向けたメニュー越しに見える。

目を逸らした表紙側には、お店の名前しか書かれていなかった。


「夏野菜のキッシュとフォカッチャ。食後はコーヒーをお願いします」

「えー、、、この、シカゴピザで」

「食後のお飲み物はどうされますか?」

「コーヒーでお願いします」


同じくラーメン屋にしか行かなかったはずの先輩は、何故か慣れた様子でスラスラと注文をしていた。

慣れないメニュー表にあたふたしてしまい、見慣れたピザという単語が入ったメニューをとりあえず頼んだだけの俺とは余裕が全く違っている。

シカゴピザってなんだ。

ピザはイタリアのものじゃないのか。


「先輩もしかして来た事あるんですかここ」

「いいや?女性同士の語り場は大体どこも一緒だよ」


内装を見てメニューを見て、吐き捨てるような笑顔でそう言った。

オシャレで良い事だと思うけど、それはそれで何か大変な事があるんだろうか。

女性同士の交流に明るくない俺には、先輩の表情の真意は分からない。



「これが、、、ピザ、、、?」



ほどなくしてやってきたシカゴピザは、正円型である事とチーズが上にある事以外は既知のものと全く違った様相をしていた。

まず、分厚さが違う。

チーズケーキのような厚みがあり、表面に具材は見えない。

良い焼き色が付いたチーズの中に見えるソースらしきものはぱっと見て分かるくらい熱々で、ピザというよりも器ごと食べられるグラタンと言ってしまったほうが的確な気がしてくる。


「あっつ、、!」


見た目通りかそれ以上に、初見のシカゴピザは猛烈に口内を襲ってきた。

中には具材とホワイトソースが入っていて、外側の生地感と添えられたピザカッターが無ければ間違いなくグラタンと言ってしまっていたと思う。

ただ、不思議な事に熱さの後にやってきた美味さは、確実にピザ由来のものだった。

グラタンに近いけどピザと断言出来るような、そんな味。

熱いと分かっていても次々に食べ進めたくなる、それほどの美味しさだった。



「殊勝な心掛けを評価するよ」



二人分の会計を終えた後の先輩の第一声がそれだった。

慣れたと言ってしまえばそこまでかもしれないけど、それ以上に今の先輩の容姿で言われると全く嫌な気がしなかった。

むしろ、ここくらいの金額で良いなら喜んでご馳走する。

昇進しても使い道をいまいち持て余していたお金も、こうして使われるのが本望だろう。


隠れ家イタリアンから徒歩と電車合わせて30分。

満たされたお腹と共にやって来たのはデートの定番スポットである映画館だ。

食後に少しのんびりし過ぎたと思ったけど意外と時間は丁度良く、目当ての映画が始まる10分前に到着する事が出来た。


「見たいのあります?」

「決まっているんだろう?」


疑問符に疑問符で返す先輩は、満足気な表情をしていた。

それはきっと、事前に準備をしていた事に対する喜びなんかじゃない。

分かり切っていると言わんばかりの先輩を引き連れて飲み物だけ二人分購入し、予めネット予約しておいたチケットを発券して上映場所へと向かった。

選んだ映画は今大ブームだという恋愛モノの映画。

予告で見る限りは、よくありがちなどちらかが余命宣告されてその期間に起こる色々な物事を感動的に描くといったものだ。

正直なところ、内容的にも実写映画というところにも、全く惹かれるものは無い。

本音を言うのであれば一時間後に上映予定の超人気アニメの映画最新作のほうが見たい。

それでも辛うじて初デートであると言える形を保とうと思うと、どうしても自分の意思を優先してアニメ映画を選ぶ事は出来なかった。

選んでしまえば、いつも通りのなあなあの雰囲気になってしまって、告白なんて出来るはずがないと思ったから。

映画の内容を知った先輩の表情はいまいち汲み取れないけど、何となくこの映画を選んだ意図には勘付いてるような気がする。


(問題は、、、)


先輩もこの映画に興味が無い可能性が高いという事。

先輩が楽しめる映画を取るか、いつもと違う雰囲気を作る事を取るか。

プランを考える時にその点についてはかなり考えさせられた。

いつも通り楽しんでもらったほうが結果的に良い雰囲気になるんじゃないだろうか。

無理にでも違った要素を入れないと何も変わらないんじゃないか。

色んな事を仕事中にもあーだこーだと考えて、最終的に時間的にも丁度良かった恋愛モノの映画を選んだ。




《お願い、、、。最後だから、全部叶えたいの》




よくある転生物のアニメのように、かなり序盤で婚約を控えたカップルの彼女側に重い病気が見つかり、壮大な音楽が流れ始めた。

最後まで冷めた目で見てしまうと思っていたのに、視覚聴覚共に感動を強要されてしまっては流石に少し感情が動いた。

周囲から聞こえるすすり泣く声も、感情を助長させる。


半年と余命宣告された彼女は、結婚式を挙げたり行きたいところに行ったり食べたいものを食べたり。

病院でじっと延命治療をするくらいなら多少寿命が短くなってもやりたい事を全部やりたいと力強く言った彼女に突き動かされ、彼氏は二人で貯めたお金に自分の貯金を足して半ば逃避行のような形で夢を叶えていく。

夢を叶えていく度に満たされると同時にどんどん衰弱していく彼女。

その様子を見て病院に引き返したいという思いが強くなる彼氏。

それでもお互い相手の前では気丈に振る舞い続ける。



《綺麗だよなここの桜。たった一本だけどさ、こんなに大きくて力強くてさ。何本も咲いてて目の前を埋め尽くすくらいの桜の名所も良いと思うけど、俺はやっぱりこっちのほうが好きだ。だってさ?一人でも力強くて、、綺麗で、、、まるで日向ひなたみたいで、、、、》



涙を押し殺しながら語る彼氏の背中越しに、車椅子に乗った彼女の腕がだらりと垂れる。

最後に伝えたかったであろう彼氏の言葉は、彼女に届けるには少し遅かったみたいだ。




「思ってたより良かったですね」


すすり泣きどころか大号泣をする人達に気を遣って、率直な感想を映画館を出てから零した。

涙が流れるまではいかなかったけど、見てよかったとは思えるくらいに感動した。


「病、制限時間、恋愛。分かりやすく脳に刺激を与えるテーマで構成された作品だったね」


冷めた様子でそう言う先輩に、映画を楽しめた様子は無かった。

話を聞く限り眠い中でも最初から最後まで見てたみたいだし悪くない反応だったと思ったのに。

恋愛映画で良い雰囲気を作ろうと思っていたアテが外れた。

いつも二人で居る時の浮ついた表情ではなく、時折見せる暗転したような表情に不安にさせられた。


「次、行きましょう」


良い印象を与えられなかった場所はすかさず離れて場面転換をする。

そうする事で良くない時間を短くして良い印象を残すべし!とデートプランの鉄則ブログに書かれていた。



「大人二人でお願いします」



次にやって来たのは水族館。

イタリアンと映画と水族館、その後は、、、。

これがデートの定番だと色んなサイトを見た統計で導きだした。

長距離の移動は良くないという鉄則もしっかり守って、映画館から15分の距離の場所を選んだ。

映画館でのマイナスも、ここできっと挽回出来るはずだ。


「意外だね。世那君の選んだ場所とは思えない」

「ちゃんと自分で選びましたよ」


半分本当で半分嘘。

水族館に行くべきというアドバイスを大して先輩の好みを考えもせず鵜呑みにした点については、話す必要も無いかと口を滑らせかけてから飲み込んだ。

水族館に来たのはいつぶりだろうか。

多分、小学生の時の遠足以来だと思う。

魚が泳いでる姿を見て何が楽しいんだと思っていたし、今もそう思う。

今もタカアシガニが歩く姿を見て食べてみたいなという感想しか浮かんでこない。

本当にこんなところがデートスポットの定番なんだろうか。


「随分と人が多いね」


確かに、土曜日という事もあって興味の無さと比例出来ないスピードで進む事しか出来ないくらいに人口密度が高い。

興味があればこの上なく楽しい時間なんだろうけど、自分にとっては間延びした時間にしか思えない。

プランを組んだ本人ですらこんな心情なのに突然連れてこられた先輩はどう思っているんだろうか。

怖くて、すぐ側にいる先輩の表情を見る事が出来ない。

用意してきた〝はぐれるといけないんで手を繋ぎましょう〟というワードも、不安が先行して口に出来ずにいた。

より良い時間にする為にというよりは、これ以上悪い雰囲気にならないようにしようと思考を巡らせ続けた。



「先輩。せっかくですしお土産買っていきますか?」

「世那君だけで行ってくるといい。私はここでクラゲでも眺めているよ」



結局、大人になってから初めて来る水族館は楽しむ事が出来なくて、楽しませる事も出来なかった。

いつもゲームしてる時とは比べ物にならないくらい口数も減って、クラゲをぼーっと眺める先輩にはこの場所への名残惜しさが感じられない。

せめてもの足掻きとして購入しておいたクラゲのラバーストラップは、後でタイミングがあれば渡そうと思う。

もう何も信用出来なくなってしまった恋愛指南サイトで書いてあったお揃いのものを買うべしのアドバイス通りにしてる事で不安が募るけど、少なくとも自力で考えて大きな失敗をするよりはマシだろうと目を逸らした。



「では、お料理に合わせてこちらでお飲み物を選ばせていただきます」



街並みを見下ろすビルの一室。

雰囲気のある音楽。

舞いのように丁寧な動きのウェイター。

水族館の後に訪れたのは、デートの締め括りに選んだフレンチレストラン。

夏という事もあって今はまだ陽が高いけど、コース料理を食べている内に食事をしながら変化していく夜景が楽しめる場所になっている。

先輩がどんな格好で来てもいいように、服装が指定されているようなお高いお店は避けて選んだ。

お酒が好きなのは確実だし女性で夜景が嫌いな人は聞いた事が無い。

失敗続きのプランだけど、ここなら大丈夫だろうと不安を押し殺すように太鼓判を押した。


「ここのお店も自分で?」

「?はい。調べました」

「なるほど」


含みのある言い方をして、先輩は飲み物が来るまでの短い時間、暗くなり始めた外の景色を眺めていた。

失敗だったんだろうか。

成功だったんだろうか。

アンニュイな表情と静けさがお店の雰囲気に合っていて、判断がしづらい。


「こちらアミューズのホタテのタルタルでございます」


アミューズ?タルタル?

メニューは予約をする時にある程度調べたけど、知らない単語ばかりで予算から適当に決めてしまっていた。

タルタルと言ってた気がするけど目の前にある小さな蓮華に乗ったお供え物サイズの料理にはタルタルソースは掛かってないし、アミューズという言葉も初めて聞いた。

間違いないのは微かに感じる味が美味しいという事とホタテが主役だという事くらいだ。

ほとんど噛むまでもなく出された白ワインで流し込めてしまうくらい少量で、このままこの量が続くんだろうかと不安が募った。


「こちら前菜の根菜とナッツのキッシュでございます。三種類ソースを添えておりますので、お好みの味でお召し上がりください」


キッシュって確か、、、。

不安になって先輩の顔を覗くと、澄ました顔で一口サイズにキッシュを切り分けて食べ進めていた。

昼に食べていたのにまさかここで被るなんて完全に想定外で、和食にしておいたほうが良かったかもしれないと強く思った。

フレンチとイタリアンで同じメニューが出てくるなんて事、過去に習ってない。



「夜景、綺麗ですね」



前菜の後は昼とメニューが被る事もなく、量の問題に悩まされる事もなく、1時間半をかけてゆっくりとした食事の時間を過ごした。

料理と料理の間の時間を今まで経験してきた事がなく、まとめて持ってきてくれないかなと何度も自分で選んだコース料理に対しての不満を覚えた。

そんな時間ももう終わり。

今食べているデザートで最後だ。

少しずつ食べ進めて満たされるのかと多少の不安が途中過ったけど、終わってみれば丁度よく満たされて、ゆっくり時間をかけてする食事も悪くないなと思わされた。


「そろそろ出よう」


もし告白するならこの場所でと考えていたのに、思いの外周りに人も多く、食事は終わっているのに中々立ち上がれずにいた。

興味があるのかないのか分からない表情でぼーっと夜景を眺めていた先輩が席を立つ提案をしてきたのは、テーブルに水のグラスだけになってから10分程経った後の事だった。

結局告白が出来ず残念に思う気持ちと、慣れない空間から漸く離れる事が出来る喜びが同時に胸中に浮かぶ。

店を出て少し離れたところから見てみると、あそこで告白していても失敗していそうだなと、自分との醸し出す雰囲気の違いを強く理解させられた。


「世那君の考えたプランはこれで全部かな?」

「はい。後は駅まで送るか飲み足りないなら近くのバーも調べてありますけど」


家まで送る、とは勇気が出ずに言い出せなかった。

初めてのデートで家まで送ると言ったらあまりにも身体を狙ってる感が強く前面に出過ぎてしまうなと思ったから。

既になし崩し的に手は出してしまったけど、こうして一日を過ごした後だと何となく言いづらさを感じた。


「行きたいところはある。ただ世那君」

「はい」

「私達の関係はこうではないだろう?」


〝こう〟が何を指すのか。

一日を掛けて徐々に疲れた表情になっていく先輩を側で見ていた俺なら、何も聞かずに理解出来てしまう。

一応頑張って組んでみたけど、失敗だったんだな。


「確かにそうですね。それで、行きたいところってどこですか?近くには確かラーメン屋も居酒屋もありましたけど」


半分自棄になって、まだ諦めきれてない自分を馬鹿にするように日常に沿った提案をした。

既に雰囲気なんてものは全く考慮出来ていない。



「もう着いているよ」



レストランを出てからだらだらと動かしていた足を止める。

先輩に向けていた視線を正面に正すと、そこにはネオン看板で〝HOTEL〟と書かれていた。


「えっと、、、」

「思春期を拗らせてしまった世那君が何を考えたのか、手に取るように分かる。ただ不要だよそんなものは。恥も外聞もなく、欲望に素直になればいい」


ああそうか。

先輩はどこまでいっても先輩だった。

学生同士の甘い恋愛模様も、男女間に存在する牽制し合いの気遣い合戦も。

この人は必要としていないんだ。

今日一日どこか余所余所しさを感じていたのに、緩く手を握られるだけでいつもの距離感を思い出して、体温を感じてからはすぐに先週の興奮がフラッシュバックした。

手を握るという恋人らしい行動に、より一層恋人ではない事を強く理解させられて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る