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「あの……一つお尋きしてもいいですか?」

 佐茂が言った。

「どうぞ」

 矢走氏は、元教員らしい微笑みを浮かべて言った。

「今、瀬尾 逸美さんはどうしていらっしゃるか先生はご存じですか?」

「瀬尾とは、年に数回ですが連絡を取り合っていますよ。風速の命日には一緒に墓参りに行ってますし。解雇された身とは言え、瀬尾は私の大切な教え子ですからね。彼女は本当に強い子です。二十四年前のあの事件後一年間くらいはだいぶ苦しんでいたようですが、彼女は、そこで負ける子じゃありませんでした。通信制の高校に入学し高校卒業の資格を取り短大に進学しました。短大卒業後は事務の仕事に携わっていました。陸上競技とは無縁の仕事です。二十四年前の事件は彼女に消えることのないトラウマを植え付けてしまいましたから。あの事件を思い出すような仕事には就きたくなかったのでしょう。彼女はその職場の同僚と結婚をして、二児の母になりました。彼女の子どもたちが物心ついた頃、たまたまテレビで観ていた陸上競技の中継を観て『走りたい!』と言ったそうなんですよ。彼女には辛い記憶がありますから、子どもたちに陸上競技をさせたくなかったそうですが、彼女の夫の後押しで子どもたちの意思を尊重することにしたそうです。彼女にとっては苦渋の決断だったと思いますよ。それでなくとも、彼女は結婚を決めるとき、『正子が自分の所為で自らの命を絶ってしまったというのに、私が人並の人生を歩んでいいのだろうか』と悩んでいましたから。子どもたちに陸上競技をさせると決断したからには本気の指導が必要だと考えた彼女は、専門学校で陸上の公認指導者資格を取得して、子どもたちのコーチをしていますよ。今日は日曜日でしたね。もしかしたら、此処に行けば瀬尾に会うことができるかもしれません」

 矢走氏は「よっこらしょ」と言って高座椅子から立ち上がり部屋の端の書棚から降魔市の地図を持って来て、降魔市の運動公園を指し示した。

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