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「瀬尾さんは?」

 佐茂が声を振り絞るようにして尋いた。

「足に大怪我を負いましたが命に別状はありませんでしたよ。後遺症が残って不便かもしれないけれど、この先の人生、普通に近い暮らしは可能でしょう、と主治医は言いました。つまり、陸上選手としての瀬尾 逸美は死んでしまったということですよ。物心ついた頃からオリンピック選手になることを夢見て厳しい練習に耐えてきた瀬尾にとって、それがどれほどのことだったのか。胸が張り裂けそうでしたよ。彼女は重度の精神疾患に罹ってしまい、自責の念に駆られた風速 正子は自ら命を絶ってしまったのです。これだけ衝撃的な事件があったにも関わらず、マスコミはこの問題を取り上げなかった。理由は分かりますよね?」

 矢走氏は一同に問い掛けた。

「政界の重鎮である恐田 狡太郎氏が、息子である恐田 狡介がこの事件の首謀者であったことを隠すために権力で揉み消したというわけですね」

 終夜先生が言った。

「そういうことです。それどころか、オリンピックの代表選手として期待されていたほどの逸材だった瀬尾 逸美が陸上競技界から忽然と姿を消してしまった原因は私の行き過ぎた指導、体罰のせいだとマスコミが騒ぎ出したのですよ。私の指導は確かに厳しかったですが、選手に暴力を振るったり暴言を吐いたりしたことなどありませんよ。要するに、私はスケープゴートにされたわけですな。学校にも家にもマスコミが押し掛けて来てプライベートもへったくれもありゃしない。私は懲戒解雇され教員免許もはく奪されました。家内は精神崩壊して……あっ、私は慣れてしまったので気にならんのですが、家内の唸り声で驚かせてしまったんじゃ?」

 矢走氏は、あちゃあという顔をした。

「大丈夫ですよ。お気になさらず」

 と、終夜先生が言った。

「そうですか。すいません、本当に。降魔高校を追い出された後は大変でしたよ。世間に曰く付きの烙印を押されてしまった私を雇ってくれる職場は中々なくってですね、それでも、私を信じて雇ってくれた工場で定年まで勤め上げました。家内はずっと入院させていたのですが、私の退職を機に夫婦水入らずで暮らすことにしました。最期まで病院に閉じ込めておいたら気の毒でしょう。そして、今に至るというわけです。私が知っていることは全てお伝えできたと思いますが、何か尋きたいことがあったら遠慮なく言ってください」

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