第28話 幕間3-1

 永い眠りから目を覚ました蓮は、半開きの目で部屋を眺めていた。

 まだ十全に頭が働いていない。浅い呼吸を繰り返しながら特に考えることもせずに意識がはっきりするのを待っていた。

 ……なるほどな。

 ぼんやりとするのは初めてではない。ゲーム開始前に目が覚めた時から、いや、もっと前からけだるいとも違う、妙に頭が働かない時はあった。

 椅子に座ったまま二時間近く眠っていた。正確な時間は把握できていないが体感はそう告げている。

 首が痛い。肩も少し硬くなっている。臀部も危うい状況だ。

 自分の体の状態を冷静に分析し終え、蓮は立ち上がる。

 そして、


「さて、君達は何が聞きたいかな」


 スピーカーに向かい、そう話を切り出していた。


『……全員生存が本当に可能だと思っているのですか?』

 

 予想外に早いレスポンスに蓮は目を開き、口角を引き上げる。


「君は全員生存に一番必要なこととは何だと思う?」


 どう答えるか、蓮も興味があった。

 下手なことは言えない。そこからヒントを得るかもしれないからだ。

 ……そんなこと、わかっているさ。

 それでも何か期待を上回る言葉が出るのではないかと期待していた。

 しかし出てきた言葉は、


『ルールの把握、かと』


 重要であり、ありきたりな答えに蓮はため息をつく。

 真意を隠していると言うよりは思いつかなかったような間に、


「確かにそれも大事だ。だがまったく違う」


 そう断言する。

 そして、


「全員生存できるという発想があるかどうかだよ」


『どういう意味ですか?』


「私はあの時みんなの思考に毒を植え付けた。甘美なかぐわしい毒をね。そのせいで今あの場にいた人間は一方を向いて行動することを余儀なくされたのさ。それがどんなにいばらの道でも他の道を取れなくしてしまっているのだよ」


『……同調圧力ですか?』


 そうとも言う。しかしその言葉では棘がありすぎる。


「理想郷への架け橋と言ってほしいな。そのほうが美しい」


 その両端で悪魔が誘おうとしていようとも、見たいものが目の前にあるうちは歩き続けなければならない。

 こちらの勝手で困難な道を歩ませてしまっていることは自覚していた。戻ったら一発くらい殴られる覚悟もある。ただ後悔だけは無い。

 蓮は椅子に座り、

 

「撒いた毒は感染を続ける。あの場にいなかったものと会えば、彼等がとる行動はまず説得からだ。相手が一人なら団体で行動している相手に無茶はできない。必然と話を聴くこととなる」


 全てが全て、そう上手く行くとは限らないことはわかっていた。それでも人の善性を疑う理由にはならない。


「敵だと思っていたものが敵対しないということはひどく安心感を生む。そして敵対よりも得があると見せれば表面上突っぱねたとしても相手に疑問を植え付けることができる。後はそれが芽吹くのを待つだけでいい」


『芽吹く、とは?』


「攻略法さ。一つの視点からでは見つけられないものをたまたま見つけてしまった。それを手土産に協力の意を示せば貢献度は高く、集団での発言権も得られる。これなら遅参組も協力しやすい」


『そううまく行くと?』


「さあ? 私は全知全能ではないのでね、何でも知っているわけではないのだよ」


 蓮は両手を肩の高さまであげて、肩を竦めていた。


『いきなり無責任なことを言うんですね』


「無責任な状況にさせているのは君たちなのだけどね。なんの手土産もなく登場する羽目になることを考えると今から頭が痛くなる思いだよ」


『最大の貢献をしているように思えますが』


 思わず吹き出して笑う。

 何を持ってその言葉を言ったのか。顔が見れないことが非常に残念で仕方がない。

 

「冗談としては傑作だね。皆命を懸けて行動している中でぬくぬくとかくまわれている人間など疎まれて当然だろう。いつだって下の人間は支配層の文句を言うものさ」


『支配層、ですか』


「もちろん例えだ。君も同じような愚痴をこぼしたこともあるんじゃないか?」


『黙秘します』


 黙秘、ねえ……

 その言葉に一瞬だけ躊躇いがあったことを見逃さない。つついてもいいが、野暮かもしれないなと考えて、


「失礼、今そこで言えるはずもないね。配慮が足りなかった」


『訂正します。愚痴を言ったことはありません』


 軽く怒気すら感じられる台詞が早口で降ってくる。

 おかしいなと、蓮は首を傾げていた。ちゃんと配慮したはずなのに相手を怒らせてしまった。その理由がわからず、頭上を見上げても答えは書いていなかった。

 ただ怒らせてしまったものは仕方がないと、


「そういえばだが、先程一番大切なことがあると言ったがもう一つ、優先度は下がるが大切なことがあるのだよ」


『もう一つの大切なこととは?』


 スピーカーから流れる音に、蓮はくっくと小さく笑い、

 

「そうだね。今言ってしまったらオーディエンスもつまらない思いをするかもしれない。宿題だ、三時間後に君の回答を聞きたい」


 そういうと目を閉じて椅子の背もたれに深く背中を預けていた。

 小さな寝息が聞こえるまでそれほど時間はかからなかった。





「と、言われたんですが」


 蓮が眠ってしまってから約一時間後。

 その様子を男性、先ほどまで蓮と話していたウォッチャーがモニター越しに見つめていた。

 黒のスーツ姿で首元から『穂刈』とかかれた社員証をぶら下げている。中肉中背の飾り気のない会社員という見た目だが左手の薬指にはシルバーのリングが輝いていた。

 蓮がまだ眠りの中にいることをたびたび確認しながら、

 ……大事なこと、ね。

 頭の中には先ほど蓮に言われたことが渦巻いていた。

 相手が蓮でなければ苦し紛れの問いかけに過ぎないと一蹴するところだが、今回はそれでは済まない。ただ言えることにも限界があって、その判断をするのは穂刈ではなかった。

 そう考え、穂刈は後ろに立つ男性に声をかけていた。

 四十そこそこ、白髪が目立つがきっちりと固められた頭髪に身体にぴったりとあった濃紺のスーツ。深いしわの刻まれた顔はうつろにモニターを眺めていた。

 呼称するならばGMゲームマスター。このゲームの総責任者だった。


「そうか」


 初老の男性は短く答える。そのあとに続く言葉を待っていた穂刈はいつまでも返事がないことに戸惑っていると、


「どうした? 考えないのか?」


 目が合い、逆に問われて、


「いえ、よろしいのですか?」


「質問の意図がはっきりしないな。何が言いたい?」


「私には彼が深読みさせて情報を引き出そうとしているように思えてならないのですが」


「かもしれないな」


 そこで初めてGMの表情が和らいでいた。

 それも一瞬のことで、すぐにいつもの無表情に戻ると、


「だからどうした。顧客の中には彼の話を待っている者もいる。今更止めることなど出来はせんよ」


「止めるべきです」


 男性がきっぱりと進言する。

 ただGMは手を振り、


「出来ん。それに情報を出す出さないは我々が決められることだ。それに気をつければいいだけの事だろう」


「それは……そうですが」


「気をつけたまえよ。君の一言で今後のゲームの行く末も左右するかもしれんのだから」


 その脅しにも似た言葉に周囲にいた他の同僚にも緊張が走る。

 うまくやらなければ。失敗した時の損失は一個人でどうにかできるものではないと理解しているからだ。

 期待が重い。穂刈はそのことを考えて目を閉じる。この場ではGMの次に年長であるがまだ三十歳と幾つかしか歳を重ねていない。アドリブと適応力が求められる蓮の対処を任されたことは荷が重く、しかし他の誰でもない自分が選ばれたことが嬉しく思っていた。

 

「頑張りたまえ」


 GMは最後にそう言い残してモニタールームから退室していた。

 通路に出てすぐの部屋に入る。そこは休憩室となっていて仮眠や、簡単な軽食などを取れるようになっていた。

 GMはそこで愛用のカップにインスタントのコーヒーを淹れながら、


「どこまで気付いているのか、私も楽しみだよ」


 一人暗い笑みを作っていた。





『答えは出たかね』


 目を覚ました蓮がスピーカーに向かって話す姿がモニターには映っていた。

 十分ほど前に目を開いた蓮はしばらく椅子に座ったままの体勢でいたが、ゆっくりと立ち上がると軽く体をほぐすように体操して、また席に戻っていた。


「……いえ」


『そうか。その脳内は計り知れないが、きっとGMに相談したのだろう』


「はい」


『その様子だとにべもなく追い返されたと言った感じかな』


 なぜわかる、と穂刈は眉をひそめていた。声は機械で変声されていて顔も見ることができない。それなのに相手の機微を正確に察知する蓮の洞察力が怖くて仕方がない。

 モニター越しに見つめる目が本当は全て見えているのではないかという疑念を持たせ、返答を遅らせてしまう。それがいけなかったのか、蓮はため息をひとつ向けると、

 

『沈黙は肯定と捉えられても仕方ないと思うがね』


 落胆のような声色に穂刈は形容しがたい不安を覚えていた。

 この映像は世界中にいる顧客が閲覧している。基本的にゲームのイニシアチブは運営側になければならないというのに、蓮のいいように手玉に取られている姿を見られるというのは信用問題に値する。

 不味いですね……

 不気味な蓮の存在に穂刈は気を引き締める。これ以上、無様な真似を見せれば自分の立場にも関わると思って。


「それで大切なこととはなんでしょうか」


『その前にだ。少し考えたことを話したい』


「先に質問に答えてください」


『急かさないでくれ。時間はあるし、これはヒントなのだよ』


「ヒント?」


 驚き、声をあげてから、やってしまったと後悔する。

 感情を表に出せば彼は目聡くそれを察知する。わかっているはずなのに、注意しているはずなのについ口が先に動いてしまう。

 そこからどれだけの情報が流れてしまうかは未知数だ。だから極力抑えなければと穂刈は強く念じていた。

 しかし、もう遅い、と気付くまでそう時間はかからなかった。


『肩肘張らずに聞いてくれればいい。歳は三十五、六。男性で小学生程の子供がいる』


「なにを──」


 穂刈がなんの話だと言う前に蓮は話を続けていた。


『子供は女の子だな。家庭環境は非常に良好、年に数回の旅行に行き、全てが日本国内だ』


 ……そんなはずは無い。

 いや、あってはいけない。不可能だ。

 穂刈は震える手を強く握る。背中からは状況が気になった幾人かの同僚の視線が突き刺さっているのを感じていた。

 

『性格は真面目で部下からは少し弄られる場面もあるが、表立って敵対する相手も居ない。上司からの信頼も厚く、勤続年数は十年ほどといった感じかな』


「それ以上話すのを止めなさい!」


 怒号。そのあと直ぐにマイクの音量をゼロにする。

 やってしまった……

 突然の大声を聞きつけ、同僚の一人が穂刈に駆け寄ると、


「どうした、大丈夫か?」


「あ、あぁ。問題は無い」


 問題ないわけあるものか。

 そう自分を叱咤するがもう遅い。

 モニターでは微かに笑い声が聞こえ、

 

『そう、これは君のことだ。身長は平均よりも高く痩せ型。髪は白髪が混じり始めて少し気にしている。学生時代は運動部に所属し副キャプテンを経験。その後有名大学に入学、ここまではあっているかな?』


「何故……」


 何故知っている。震える声は最後まで言うことが叶わない。

 蓮はしばらく笑ったままでいたが、急に真顔になると疲れたように息を吐いた。 

 

『ただの推測だよ。子供がいるのにこんな時間まで仕事をしているということは未就学児であることは考えにくい。それでいて四十を超えて徹夜というのも辛いだろう。間を取って三十代中盤と判断したのさ。子供が女の子というのも騒ぎたい盛りの男の子の相手は一人では大変だろうという感じかな。大方出張と言ってこの仕事をしているのだろうから埋め合わせのために過剰な家族サービスを行っている』


「旅行先については?」


『こんなゲームを開催しているのだから少なからず悪意に晒されることになる。ましてや動画編集という名目で必要なら何度でも。ならなるべく安全安心を心掛ける気持ちが強く出てしまうのさ。子供がいるならばなおのことね』


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