第37話 姉


 え......今、八種先輩、僕らのバンドに入りたいって言ったのか?


「やっぱり......難しいかな?」


 少し困ったようにはにかむ彼女。


「いえ。難しいというか、どうして......八種先輩には自分達のバンドがあるじゃないですか」


 そうだ。彼女は彼氏である赤名と共に所属している軽音楽部のバンドがある。なのに何故?


「あ、えっと......バンド、解散しちゃったんだ。あはは、は」


 力無く笑う八種先輩。その表情にどこか寂しさの色が映る。


「解散って、もしかして......この間の学祭が関係してるんですか?」


 あの時、ラストで登場する予定だった彼女らのバンド。しかし最後の演奏を飾ったのは赤名一人だけ。その前は雰囲気も良く演奏をしていたと思ったけど、あの後に何かがあったのか。


「まあ、それが原因といえば原因だけど、理由としては他にもあるかな」


「......?」


「うち、佐藤くんの歌声にとっても惹かれたの。だから、あなたの歌を支えられることが出来たら嬉しいなって、ただ......そういう理由」


 歌声、か。......素直に嬉しい。僕にはこれしかないから。何年も勉強し、努力し、鍛え上げた歌唱力。それを褒められるのは、これまでの人生を肯定されているような幸せを感じる。


 けど、それとこれは別問題。


 彼女に理由があろうが、僕が褒められ嬉しかろうが、あのバンドは僕のものじゃない。深宙、冬花、夏希、そして僕の四人のものだ。だから独断で加入を許可なんて出来ない。


「わかりました。とりあえずメンバーにその事を伝えておきます。多分、無理だと思いますけど......」


「あ、ありがとう......!お願いします」


 両手を合わせお礼を言う八種先輩。ホッとしたのか先程まで固く強張っていた表情がゆるみ、自然な微笑みが溢れた。その顔に流石、校内一の美少女といわれるだけあるなと、不覚にも僕は思ったのだった。


 って、そーだ。どちらにせよ彼女にはしてもらわなければならないことがある。面倒事は勘弁だからな。


「あの、八種先輩」


「はい!」


 なんだろう、まるでこっちが先輩になったかのような妙な感覚になるな。きらきらした彼女の瞳に息が詰まる。


「えーと......その、八種先輩には彼氏がいるじゃないですか」


「......?」


「彼にはこの事を伝えてはいるんですか?後々、もめたりしません?」


 僕がそう聞くと八種先輩は眉間にシワを寄せ、首を傾けた。


「んんん?誰のことを言ってるの?......うち、そもそも彼氏なんていたことないよ?」


「んんん?え、あれ?」


 二人鏡のように首を傾げ「?」を浮かべる。んー、どゆこと?


「......えっと、ちなみにそれ誰から聞いたの?うちに彼氏がいるって話」


「彼氏本人に......えっと、だから赤名に」


 と、僕が言った直後。彼女は「はぁーっ......」と深い、とても深く溜息を吐いた。その重々しさと嫌悪感に満ちた顔に、僕は(......なるほど、あれはただのマウント取りだったわけか)と理解した。


「八種先輩。今ので何となく察しました。あれって赤名が勝手に言ってただけなんですね」


 無言でこくりと頷く彼女。うつむき虚ろな目をしている。


「た、大変でしたね」


「まあ、ああいう人だしね。けど、まさかうちの彼氏になったとか言いふらされてたのはキモチワル......あ、嫌、かなり不快ね」


 オブラートに包めない巨大な嫌悪感が顔をのぞかせる。まあ、僕もずっと嫌がらせされていたから気持ちは痛いほどわかるけど。


「......お互い、大変でしたね。はは、は」


「お互い?まさか佐藤くんも......何かされていたの?」


「まあそこそこ。僕いじりやすいみたいで......なにも言わなかった僕も悪いですけど、その度合いがどんどんと過激になっていって辛かったですね」


「......そう」


 八種先輩が視線を落とし、辛そうな顔をしている。


「あの人言われてはじめて理解するタイプだもんね。怒られたり文句を言われなければ何をしても良いというか......叱るのだって疲れるからしたくないのに、叱られなければ大丈夫だと思っているのが質悪いわよね」


 確かに。僕がなにかされてもほとんど抵抗しないのは疲れるから。あいつのために無駄な労力を割きたくなかったからだ。


 時間は貴重だ。高速で流れ落ち気がつけば一日、一月、一年とあっという間に過ぎていく。だからこそ赤名と必要以上にもめている暇があるなら、僕は一曲でも多く歌を覚えたかったんだ。


「まあ、ですね。そういうのが一番、質悪いですね......」


 今までのそれを思い出し、僕は思わずうつむく。


 あまり知らない先輩の前でしょぼくれた態度をとるなんて。気持ち悪いよな。この人は多分、僕を気遣ってくれているだけなのに。


 思わず理解されたような気になってしまう。そんな自分が恥ずかしく思える。


 その時、ふと頭に柔らかな感触がした。


 なでなで、と先輩が僕の頭を撫でていたのだ。


「......よしよし、辛かったね」


 どきどきと高鳴る胸。急な展開にパニックになりかける。


「あ、あの」


「え......あ、ごめん!失礼だったよね!本当に、すみません」


 八種先輩は焦り手を離す。自分でも驚いてるようで、両手を胸元で握りしめていた。


「え、えと、その」


「お、弟がいてね。いつも撫でてあげてるから、癖で......」


「あ、ああ、なるほど」


 マジで焦った。びっくりした。その行為は勿論、慈愛に満ちたそのなでなでは僕のストレスを全て吹き飛ばす程の威力を秘めていた......気がする。


「......」「......」


 気恥ずかしいような気まずい空気が流れる。しかしその時。


 ――キーンコーンカーンコーン


「あ、先輩」「しまった!」


 鐘の音が僕らを救ってくれた。





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