第33話 昔の約束とこれからのこと

 

 特に代わり映えのしない授業を受け続け、気づけば放課後になっていた。


「ああ……全然終わらない……」


 僕は全く終わりが見えない英語の補習課題を前に思わず呟いていた。


 ――確かに量は多くないけどさ……? 1問1問が難しいんだけど……。


 明らかに今の僕というか、高校1年生の英語力では辞書なしで解けるレベルのものではなかった。


「はあ……なんでこんなのを補習課題にしたんだ……」


 ――これ、今日中に終わるかな……?


 教室の時計を見ると、完全下校時刻まで、後1時間と少しだった。


 秀一や愛理を頼るという手もあったが、秀一は部活中だし、愛理も用事があるからと言って帰ってしまっているため、頼ることもできない。


「終わらなかったら、先生に交渉しに行くか……」


 寺川先生にまた呆れた顔をされ怒られると思うと気が重くなってきた。


 そんなときだった――


『ガララッ!』


 教室のドアが開く音がした。


 ――こんな時間に誰だろう?


 そう思い、僕がドアの方に目を向けると――


「あら、霧崎君まだいたのね」


 吉井さんが本を2冊ほど抱えて立っていた。


「ああ、吉井さん……補習課題が終わらなくてね……」


 僕は頭を抱えながら言った。


 僕が頭を抱えていると、吉井さんが近づいてきてパラパラと課題プリントを見始めた。


 吉井さんはしばらく問題文に目を通すと――


「課題手伝ってあげようか……?」


 どこか悪戯な微笑みを浮かべながら言った。


 ――これ絶対何か企んでるでしょ……?


 僕は少し嫌な予感がした。


 そのため――


「うーん、まあ、自分の課題だしそれは、悪いからいいよ」


 僕は、ぎこちない笑顔を浮かべながら言った。


 すると、吉井さんは――


「あー、じゃあ、今日の朝のことみんなにはなしちゃおうかなー」


 わざとらしく棒読み気味に言った。


 ――それは、困るな……。というか、何で僕がお願いする側なのに追い詰められているんだ……?


「是非お助けください……お願いします……」


 疑問を抱えつつも、言いふらされたら困るので渋々だがお願いすることにした。


「よろしい。じゃあ、さっさと解いて帰りましょ」


 こうして、僕は吉井さんに課題を手伝ってもらうことになった。


***


「失礼しましたー」


 僕は、どうにか課題を終え職員室にいる寺川先生に課題を提出することができた。


 ――吉井さんに助けてもらってよかった……


 吉井さんは、驚いたことに高校英語の勉強はもう既にほとんど終えているらしく、僕の補習課題の問題をすぐに和訳して、僕にも分かりやすく教えてくれた。


 おそらく、吉井さんに助けてもらわなければ今頃、寺川先生に説教を受けていたことだろう。


「ふう……」


 僕が息をつきながら教室に戻っていると、向かい側から吉井さんが歩いてきた。


 そして――


「はい、これ」


 吉井さんが僕の鞄を手渡してきた。


「あ、ああ……ありがとう……?」


 僕は、意図することがわからずにきょとんとしていると――


「何をぼーっとしているのよ……? さっさと帰りましょ」


 吉井さんが怪訝な顔を浮かべながら言った。


 ――あ、これ、一緒に帰るパターン……?


 僕は、ようやく理解して先に歩き出していた吉井さんを追いかけた。


***


 外はすっかり暗くなっており、街灯の光が道を照らしていた。


 僕と吉井さんはそんな道を歩きながら他愛のない会話をしていたが、どうやら吉井さんは僕と最寄駅が同じらしい。


「最寄駅が一緒なんてびっくりしたよ……! ちなみにどの辺に住んでるの……?」


 僕が少し興奮気味に聞くと――


「瀬戸屋の近くに住んでるわ。藤川君の家のとこの近くよ」


 吉井さんがなぜか、始の名前をわざわざ出して詳しく教えてくれた。


 ――なんで、僕が始のことを知っている前提で話しているんだ……?


 僕は、第1中のあたりとかもっとぼやかして言ってくると思っていた上に始の名前まで出てきたため困惑していた。


 僕がそんな風に困惑し続けていると――


「――まさか、ここまで言っても思い出してくれないなんてショックね……」


 吉井さんがため息をつきながら言った。


 ――あれ……もしかして……僕と吉井さんって知り合いだった感じ……?


 しかし、僕には、高校に入るまで女子の友達なんていなかったはずだ。


 僕が思い出せずに唸っていると――


「ほんとに思い出せないの……? まこちゃん……?」


 吉井さんが首をかしげながら僕に言ってきた。


 瞬間――


 小学校低学年の頃の記憶がせき止められていた川の水が氾濫するように頭の中で流れ始めた。


 ――あ……思い出した。


 僕のことを『まこちゃん』と呼んでいた女の子が1人だけいた。


「も、もしかして……ゆきちゃん……?」


 僕が少し自信なさげに言うと――


「うん……そうだよ……! 久しぶりだね……!」


 吉井さんが今の感じとは全く違う昔よく一緒に遊んでいたころのような口調で言った。


 ――よかった……。やっぱり、ゆきちゃんか……。


 僕はホッと胸を撫でおろした。


「ほんとに久しぶりだね……小学校のときに転校しちゃって以来だよね……? もっと早く言ってくれればよかったのに……!」


 僕がそう言うと、ゆきちゃんは、頬を膨れさせた。


「ちゃんと自分で気づいてほしかったんだもん……! それなのにまこちゃん、他の人とばっか仲良くしてて全然私のことなんか目もくれなかったから結構、意地悪しちゃった……! ごめんね……?」


 ――そうだった……。ゆきちゃんは昔から僕に事あるごとに悪戯してきたりして反応を見て楽しんでたよな……。


 僕は、心の中で苦笑いした。


「いいよいいよ……! 僕の方こそ気づいてあげれなくてごめん……! すごく綺麗になってたから……」


 苗字が変わってたから気づかなかったとも言いかけたが、それは触れるべきでないと思ったため、僕は言及を避けた。


 すると――


「え!? 私綺麗になった!? まこちゃんの理想になれたかな!?」


 ゆきちゃんが目をキラキラと輝かせていた。


「う、うん! さっきも言ったけど、すごく綺麗になったと思うよ!」


 あまりのゆきちゃんの圧に僕はしどろもどろになりながら答えた。


 ――ほんとに綺麗になったな……。


 僕は、昔よく遊んでいたあのいたずらっ子の姿を思い浮かべ、しみじみと思っていると――


 ゆきちゃんが僕に抱き着いてきた。


 ――ええええええ! 何!? この状況……? 僕、抱き着かれてる……よね……?


 自分の身に何が起きているかを理解しだし、心臓の鼓動が早くなった。


 シャンプーの香りか何かはわからないがいい香りに頭がくらくらしてきた。


「ふふ……まこちゃんドキドキしてるね……?」


 悪戯な笑みを浮かべ、抱き着いたまま顔を上げた。


 そして――


「ねえ……? あの約束覚えてる……?」


 上目遣いでゆきちゃんが聞いてきた。


「約束……?」


 ――なんか大事な約束なんてしてたっけ……?


 こういう場合、だいたいテンプレだと結婚の約束をしていたりするものだが僕に限ってそんなわけ……。


「引っ越しするとき、大泣きする私に大きくなったら結婚しようねって言ってくれたよね……?」


 ――そんなわけあったのかよ……。小さい時の僕何してくれてんだ……。


「う、うん……? そんなことあったような……」


 僕は、言葉を濁しながら言った。


「あー! それ絶対覚えていない人の反応!」


 ――まあ、バレますよね……。


 あはは……と僕は苦笑いした。


「まあ、いいよ……! もし、まこちゃんが約束覚えていてくれてたしても、約束を守ってもらおうとは、今は、思えないし……!」


 少し困ったような顔をしながらゆきちゃんが抱き着くのを止めた。


「それは、どうして……?」


 僕は、純粋に疑問に思って聞いた。


 僕がそう聞くと、ゆきちゃんは困ったように笑顔を浮かべながら――


「だって、まこちゃん、上条さんのこと好きでしょ……? それに永井さんのことも」


 僕が全く予想していなかったことを言い放った。


「え……」


 ――なんでゆきちゃんがそれを……?


 愛理のことが好きなことがバレるのはわかるが、永井さんのことを好きなことがバレる理由がわからない。


「なんで知ってるの……?」


 僕がおそるおそる聞くと――


「えーっと、上条さんのことが好きなのは朝の感じを見ればわかるし、永井さんのことが好きなのは、授業中見すぎなのと、まこちゃんが永井さんの目を気にしながら行動しているような気がしたからかな……?」


 なんとなくだけど! と苦笑いしながらゆきちゃんが答えた。


 ――うまく隠していたつもりだったけど、ゆきちゃんにはお見通しだったか……。


「そっか……すごい洞察力だね……」


「えへへ……そうでしょ……!」


 ゆきちゃんがドヤ顔をしながら言った。


 ――ほんとに教室のときとの差がすごいな……。


 僕がそんなことを考えていると――


「そんなわけで、もう結婚の約束はいいんだけど……」


 ゆきちゃんが僕の顔を下から覗き込んできた。


「これからちゃんと好きになってもらえるようにアピールしてくからちゃんと見ててね……! 最後は永井さんでも上条さんでもなく、私を選んでもらうからね!」


 ゆきちゃんが満面の笑みを浮かべた。


 さっき抱き着かれてから未だに落ち着くことを知らない心臓がさらに鼓動を早めるのを感じる。


「う、うん……」


 今の僕には、純度100%の好意を向けてきているゆきちゃんが眩しく見えた。


「まあ、いきなりアピールされても困ると思うから、今まで通り友達として接して、今の私のことを知っていってくれると嬉しいな……!」


 そう言って、ゆきちゃんはニコッと笑顔を向けてきた。


「わかった……! これから改めてよろしくね……!」


「うん……! こちらこそ……!」


『最後は永井さんにも上条さんでもなく、私を選んでもらうからね!』


 ゆきちゃんの言葉が脳を反芻した。


 必ず付き合えるという保証はないが、1人しか選べないのだ。


 僕は、ゆきちゃんだけでなく、愛理と永井さんともしっかり向き合わなければいけないと思った。


「ねえ! この後、暇?」


 ゆきちゃんが聞いてきた。


「うん……? 暇だけど……?」


 僕がそう言うと――


「じゃあ、瀬戸屋に行こうよ! 久しぶりに藤川君にも会いたいし!」


 ゆきちゃんが目を輝かせながら言った。


「いいね……! 始に連絡してみるよ……!」


 僕が始にこれから瀬戸屋に行く旨を伝えるメッセージを送ると、『待っている』とすぐに返信が届いた。


「楽しみだな……! 藤川君まだ空手やっているかな!?」


 上機嫌な様子のゆきちゃんを見て、僕は、微笑ましい気持ちになった。


「そこのところは、始本人に聞くといいよ……!」


 僕がそう言った瞬間――


 後ろに誰かの気配を感じた。


 僕が思わず振り返ると、後ろには誰もいなかった。


 そのまま立ち尽くしていると――


「まこちゃん……? どうかした……?」


 ゆきちゃんがきょとんとした顔をしていた。


「ううん、何でもないよ」


 ――気のせいか……。


 僕は、少し気がかりだったが気にしないことにした。


 その後、僕とゆきちゃんはそのまま会話を再開し、瀬戸屋へ急いだ。

 





 

 



 




 




 





 





 




 


 






 




 








 





 


 

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