第9.5話 上条さんとのデート前日

 

 上条さんと一緒に出かけることになっている日の前日――


 僕は、始の両親と祖父母が経営する定食屋『瀬戸屋』に来ていた。


「始ぇ……聞いてくれ……実は、明日、人生初のデートなんだ……」


 始が、飲んでいた水でむせた。


「は? デート? 永井さんと?」


 始は、ものすごくきょとんとした顔をしている。


「いや、永井さんじゃないよ。高校で知り合った子だよ」


 そう言うと、始は、ため息をつきながら言った。


「はあ……お前、それ大丈夫か? お前が、好きなのは、永井さんだよな? それが、どうして?」


「大丈夫、僕が、好きなのは、永井さんだ。実は、デートと言っても、部活でこういうことがあって……」


 僕が、昨日あったことを大方話すと――


「まあ、事情は分かったし、お前がただ出かけるだけという認識をしているのも、分かったけど……上条さんだっけ? あっちがどう思ってるかは、分からないぞ?」


 昨日の帰り際の上条さんが脳裏に浮かんだ。


『私……デートとか初めてだから……その……日曜日楽しみにしてるわね……』


 ――上条さんも清宮先輩のせいで妙に意識させられていただけだろう……それ以外ありえない。


「いやいや、上条さんも巻き込まれたようなものだし、怖い先輩から逃げるための手段だと思っていると思うよ。友達が少ないみたいだから、出かけること自体は、楽しみにしてると思うけど」


「まあ、真琴の言うことも分かるけど――普通に上条さんが真琴のこと好きになっちゃわないか心配だわ……」


 ――全く……杞憂だ。昨日は、熱に浮かされていただけのようなものだし、始の言うようなことはありえない。


「心配しすぎだって! 僕みたいなやつ、好きになる人なんて滅多に現れないって!」


 僕が、そう言うと、始がまた、ため息をついて言った――


「自己評価低すぎだ……少しは、自信を持て」


「うーん……まあ、努力するよ」


「全く……お前ってやつは……」


 ここで、上条さんとのデートの話は終わった。


 そして、始が、僕がここに来ている本題に触れてきた。


「で、相談したいことは、それじゃないだろ?」


「うん。永井さんのことなんだけど……」


 この前の昼休みのこと、その後なぜだか気まずい空気が流れていることを話した。


「あー……これは、真琴が話をしようと切り出さない限り進まないだろうなあ……」


 始が若干呆れた顔をしながら言った。


「だよね……分かってはいるんだけど、中々勇気が出なくて……」


 そう言うと――


「はああ……」


 始が、深いため息をついてから言った――


「真琴――お前は、何のために去年1年間努力したんだ? 今のお前は、前より勉強ができるようになっただけで、前と何も変わっていないぞ」


 ――自分からは、1歩も踏み出せていないことなど、自分でも分かっている。永井さんと昼休みを共に過ごせたのも、入学式のときに話せたのも、全部、永井さんが、僕に声をかけてくれたおかげだ。


「耳が痛すぎる……僕が、もっと頑張らないとだな……」


「全く、そうだ。少しずつでもいいから頑張れ」


 ――ここで、頑張らなければ、1年間頑張ってきた去年の僕自身に顔向けできないな……


「うん! 近いうちに、何か今のぎくしゃくした感じを抜け出すアクションをとれるようにする」

 

 そう言うと始は、ニヤリとした――


「おーけー! じゃあ、お前がゴールデンウィーク前までにアクションとれなかったら、カラオケフリータイムごちになるわ!」


 ――悪魔だ……。バイトをしていない高校生には、カラオケフリータイム2人分の料金はキツイ……。


「退路が断たれたな……」


「真琴には、このくらいがちょうどいいだろ?」


 後ろからそうだぞー! と茶々を入れてくる、『瀬戸屋』の常連のおっちゃんたちの声が聞こえてきた。


***


 ――私、上条愛理は悩んでいる。


 ありがちだと笑われるかもしれないが、初めてのデートにどんな服を着ていくかずっと悩んでいるのだ。


「ああ! もう! 急すぎるのよ! あの馬鹿!」


『い、いや、僕は、日曜は、上条さんと予定があって……』と、昨日、部室で薄ら寒い恐怖を感じる先輩との3人でのお出かけから逃れるために小学生でもつかなさそうな嘘をでっちあげた少年の顔を思い浮かべた。


「まあ、ちょっと嬉しいからいいけど……」


 ――嬉しいというのは、今まで友達が少なかったため、友達と出かける機会を持つことができて嬉しいという意味だ。決して、成り行きとはいえ、気になる男子とデートに行くことになったことが嬉しいとかそういうことじゃない。


『私……デートとか初めてだから……その……日曜日楽しみにしてるわね……』


 自分が昨日言った言葉を思い出してしまった。


 ――あれは……清宮先輩が『デート』だと騒ぎ立てたせいで、言い間違えただけよ!


 そもそも、今まで、人を好きになったことはない。彼のことは、少し気になってるだけで、好きというわけではないし、大体、彼とは、知り合って数日しか経っていないのだ。そんな短期間で、恋心を抱くほど、私はちょろくない――はず……


「あー! もう! ほんとにどうしよう!」


 私が部屋で騒いでいると――


「さっきから何を騒いでるの? うるさいよ?」


 隣の部屋にいた、姉の上条美紗が不機嫌そうな顔で部屋に入ってきた。


「あ、お姉ちゃん……実は、明日友達とお出かけするんだけど、何着ればいいのか分からなくて困ってるのよ……」


「そんなのいつも通りでいいじゃない! 元々可愛いんだし! 何をそんな悩むことあるのよ……」


 姉にそう言われ、口をもごもごとしていると――


「ははーん……さては、男だな? そうよね? いやー、遂にうちの愛理に目をつけた良い目を持つ男が現れちゃったかー」


「いやっ……そういうのじゃ……」


 私が、そういうも姉は全く聞く耳を持たず――


「よし! お姉ちゃんに任せなさい! 今から、服を買いに行くわよ!」


「え、ちょっ……」


 もうこうなってしまった姉は、止められない……私は諦めて姉と一緒に買い物に行くことになった。


***


 姉と電車に30分ほど揺られて、私は、都内の良さげなブランド物の服が売っているデパートの婦人服フロアに来ていた。


「えっと……お姉ちゃん……私、こんな良さげな服買うお金ないんだけど……?」


 困り果てて私が言うと――


「今日は、お姉ちゃんが入学祝い? みたいな感じで買ってあげる!」


「いやいや、それは申し訳ないわよ……」


 ――そもそも、入学祝いはもう貰っているし、気が引ける……


「いいの! 可愛い妹の初デートの成功のためだもの!」


 そう言うと、姉は『あっ! あの服絶対似合う!』などと言って1人で進んでしまった。


 ――いや、デートだけどデートじゃないし……。


 そんなことを考えながら、姉に着いていくと――


「愛理! 見て見て! これ、絶対愛理に似合うと思うんだけど……! どう?」


 姉に見せられた服は、フリフリの黒いレースがついた白を基調としたとても可愛らしいデザインの服だった。


「却下……私には、可愛すぎるわ……」


 正直、着てみたい気持ちは、ある。しかし、自分には似合わないだろうという先入観があるためチャレンジしてみようとは思えない。


 そんなことを考えていると――


「ご試着されますか?」


 店員さんに100点の営業スマイルを向けられながら言われた。


「ぜひ! お願いします」


 私が断るよりも先に、姉が言った。


「かしこまりました。それと、あわせてこちらのスカートはいかがでしょうか?」


 店員さんが、黒のスカートを持ってきた。


「それも、お願いします」


「では、こちらに……」


 そのまま、私は、言われるがまま試着することになった。


 そして――


 ――あれ? 思った以上に似合うし、私、可愛いんじゃ……?


 鏡に映った自分を見て、すぐにそう思った。


 ――これなら、明日待ち合わせしたときに可愛いって言ってもらえるかしら? って! 何考えてるのよ! 私……! まだ昨日の熱に浮かされているの? しっかりしなさい!


「愛理ー? 着替え終わったー? 私にも見せてー?」


 姉の声が聞こえたので、試着室のカーテンを開けた。


 すると――


「「おお……」」


 姉と店員さんの声が揃っていた。


「どうかしら?」


 私が聞くと――


「アイドルかなんかかな? 私の妹が可愛すぎる!」


「お客様……とてもお似合いです――当店のモデルをしてほしいくらいです……」


 めちゃくちゃ褒めちぎられて気分がよくなった私は、この服を買ってもらうことにした。


***


 私と姉は、服を買い終えて帰路についていた。


「明日、うまくいくといいわね!」


 姉がとても楽しそうだ。


「だから……そういうのじゃないって……」


「またまたぁ~! もう、その顔見ればわかるって!」


 ――やっぱりこの姉には何を言っても無駄だろう……服を買ってもらった手前文句を言えないが……


「もう、いいわ……でも、服を買ってくれてありがとう……」


 私が少し照れながらお礼を言った。


「ううん! 可愛い妹が見れて、お姉ちゃん大満足よ! 明日、好きな人に可愛いって言ってもらえるといいね!」


「うん。そうね……」


 私が少しぼーっとしながら答えると――


「あ! やっぱり好きな人とデートなんだ!」


 確信を得るためのトラップだったようだ。


「だーかーらー! 違うわよ!」


 私の泣き叫ぶような声が、夕暮れの住宅街に響いた。






 









 







 




 


 


 


 




 







 




 

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