裏『Video killed the radio star』
2023年3月26日の話。
世間からはおおむね好評を得ているストーリー・ストーリー・ヨコハマ――略称をストヨコという――にも悪い点が二つある。
その一つがWINS横浜へのアクセスが伊勢崎町本店より絶妙に悪いことだ。
地図上での直線距離は大して変わらないのだが。
今日、僕はブッコローさんとWINS横浜で偶然に出会った。
この人はR.B.ブッコローの声――最近の言い方を借りるならば『魂』を担う人だ。
最初に思ったのはやっぱりこの人、競馬が好きなんだな、ということ。
競馬自体がネットで見れて、馬券もネットで購入できるようになって久しい今時、わざわざWINSに来る人間である。それも、こんな寒い雨の日に。
そこそこ競馬に脳が焼かれていると評して問題ないのではなかろうか。
念のため、補足しておくとWINSというのは、競馬場ではない。場外馬券売り場であり、サラブレッドを直にこの目で見れたりはしない。まあ、競馬を楽しむ諸設備が整っていることは間違いないが。
余談になるが、そもそも、絶対、手を出しているギャンブルは馬だけじゃないと思う。競馬と並べて語呂合わせが得意だと言い、しかも語呂合わせの例示でわざわざ253で煮込みを持ってくる時点で少なくともメダルはやっている。深い意味がないならわかりやすく296でフクロウでいいじゃないか。きっと、一昨日は朝から忙しかったはずだ。3月24日は瑞穂の日。
こっちは説明しない。わかる人だけわかればいい。
さてはて、閑話休題。
当然ながら、僕らはWINSには競馬を楽しむために訪れている。けれど、その中での話題は、ついつい仕事の話になってしまう。
それにしても、仕事として動画の中では競馬の話をし、遊びに来た競馬で仕事の話をしてしまうのは、なんともちぐはぐなものである。
「そういえば例の悪戯は解決したのかい?」
「さあ? どうなんでしょうね」
ブッコローさんも僕も、直接、店舗運営には関わっていない。だから、詳しいところところは知らないことも多いのだが――悪戯、というのは他ならぬR.B.ブッコローの事だった。
あのミミズクのぬいぐるみが勝手に動くというのだ。
事態はぬいぐるみを操作する黒子さんの一言から始まった。
最近、ブッコローが軽いんだよなあ。
撮影で使用しているR.B.ブッコローのぬいぐるみは、そこそこサイズ感がある。なので、操作の際はそれなりに重労働なのだが、時々、ぬいぐるみを軽く感じるようになったのだという。
動画上のR.B.ブッコローのセリフはアフレコではない。基本的にリアルタイムで話している。
そのため、動画撮影で体役を務める黒子さんは魂役のブッコローさんの言葉の先を読んでぬいぐるみを動かしているのだというけれど、さらにその先を読むようにR.B.ブッコローが動くというのだ。
これだけならば、黒子さんの技術の向上、という話にもなったかもしれない。
けれど、ある日、事態は急変する。
ストヨコの空いた棚の一角に、突然、R.B.ブッコローのぬいぐるみが出現するようになった。監視カメラの死角ゆえ、誰が動かしたのかも不明。
かれこれ、一年近く続いている。
発見されるたびに都度、保管場所まで送還されているが、今のところ、犯人は不明。
さらにはR.B.ブッコローが人間になるのを見た、だとか、伊勢佐木町本店の6階にミミズクと人間がともにいるのを見ただとかいう噂まで出てきた。
中にはブックカフェ内で本物の極彩色のミミズクを見たという話まである。この一件は食品衛生法の絡みもあって、社内でかなり問題視されてしまっている。
対して、ぬいぐるみに対する反応は多種多様、というところか。
いまのところ、真実を知らない世間はおおむね好反応である。
しかし、社内には不気味だとか、犯人捜しを、という不安視した声も当然出てきていた。
一方、社員にも内密にしているドッキリ企画の一端と認識しているものや、ブッコロー探しを世間とともに楽しんでいるものも多い。
その理由はR.B.ブッコローの体に一番触れているであろう黒子さんが面白がっているのが大きいのかもしれない。
「まあ、大きな実害が無いんで大丈夫だと思ってますよ」
いわゆるピークタイムというのを避けてR.B.ブッコローは現れていた。おかげでR.B.ブッコローを元の場所に戻すための『散歩』も店舗運営スタッフの大きな手間にはなっていないと思われる。
なにより僕はこの一連の流れを楽しみにしている者の一人だった。
ストヨコは『明日のストーリーと出会う本屋』なのだから、こういうサプライズもあったって良いと思うのだ。
「さ、とりあえず、レース始まりますよ。せっかく来たんですし、見ないと」
競馬のレースを映している大画面。雨の名古屋は中京競馬場。
サラブレットたちが、力強く駆け抜けている。
***
今日の中京競馬場のメインレース――その日の目玉のレースの事だ――はG1という最高の格式を与えられたレースの一つだった。
高松宮杯。
G1の中でも最短距離で行われるレースで1200メートル。馬の速度で70秒ほどで決着をする。諸所の要因で近年は馬券の人気順とレースの結果が大きく異なる荒れた展開になりやすいレースといえる。馬場――馬の走る地面の事を言う――の状態も雨のせいで悪く、こちらもレースが荒れる要因になりやすい。
それでも、絶対に今年も荒れるとは言えないのが、競馬の難しいところだ。
ブッコローさんは13番の馬のところで、鉛筆を迷わせていた。
「気になるなら、買えばいいじゃないですか」
「いや……」
僕は右手に抱いた本を開き、その馬のデータを探す。
なるほど、なかなか苦労している馬だった。
競馬馬にもいろんな所属があり、ざっくり分けると国が主催する中央競馬と、都道府県や市町村が主催する地方競馬とに分けられる。中央競馬の方が賞金額は高く、自然と競争のレベルも高くなる。
短距離競争の王者とも呼ばれた祖父と、それに比肩しうる父を持つその馬は、最初、中央競馬に所属するものの、勝ちきれずに出れるレースがなくなってしまった。そのため、地方競馬へと移る。
地方では自力の高さで比較的あっさりと勝ちを積み重ね、中央に戻れる成績を残す。
その後、中央のレースに戻ってきてからは2年目と3年目、4歳と5歳の時に比較的大きなレースで勝ちをあげるものの、その後はすっかりと意気消沈と言った競争成績。
競走馬は完全実力主義の世界だ。
年間7000頭を超えて生産されるサラブレッドの中では十分すぎるほどに素晴らしい成績の馬だ。だが、このG1の場で戦えるか、と問われれば、チャンスはないとは言わないが難しい、という解答になるだろう。
年齢も今年で7歳。すでに多くの馬は競争を引退している年齢。国内の平地の最高齢G1勝利記録が8歳であるから、そういった面でもなかなかに厳しい戦いである。
対照的に13番に乗る騎手は、はっきり言ってしまえばまだ経験の浅いプレイヤーだ。
騎手の平均引退年齢は30代後半と言われる中、騎手になって5年目、22歳の若者である。
G1での勝利実績はない。大きなレースでの勝利もまだ3度ほどだった。
もちろん、彼が乗る馬と同じく、数多いる騎手の中で彼もエリートではある。だが、この最高峰の舞台で主役になれる演者であるかは、わからなかった。
『近代競馬は血統よりもジョッキー。ノーザンファーム生産馬で一流ジョッキーが乗ってて外厩で仕上げてたらもう大体勝ちますよね』
ブッコローさんが動画内でかつて口にした言葉だ。
これを誤解を恐れず、比較的分かりやすく意訳すると『かつての競馬は馬任せなところもあったが、現代の調教理論が進んだ競馬の世界ではより人間がレースに関与できるようになった。なので馬の素質を決める血統の意味は比較的薄れ、有名牧場から生まれた馬で小さいころからしっかり訓練を積み、最終調整も外部の金のかかるが設備の整ったところでやって、一流ジョッキー乗せたら勝つよね』となる。
つまりは13番の馬とは、色々と対極なのだ。
そして、たぶん、ブッコローさんはそれが勝つところを見たいのだ。
なぜなら、そこに僕らは物語を見出すから。
ひとしきり悩んだ後、ブッコローさんは馬券を購入して戻ってきた。
どんな買い方をしたのだろう。なんとなく、聞くのはやめておいた。
レースが始まるまでの間、僕らはまた仕事の話をする。
「それにしても、今回のカクヨムコラボ、上手く行きますかね」
「今朝の時点で、二次創作の応募が80件あるかないか。まあ、良いとこじゃないですか。正直、200は超えて欲しいとは思ってはいたけれど」
「参加賞があまるという事態は避けられそうで何よりです」
会期はおおよそ半分を過ぎたところ。
このままのペースであれば応募作品は150程度だろうか。
ネタを温めて、練りに練っている人たちがどのくらいいるか。
あるいは、今日から始まる春のG1戦線。馬にとって比較的快適なこの時期はG1レースが毎週のように実施される。
その競馬ネタで盛り上がりが見せられるかどうか。もっとも会期の内側で開催になるのは、大阪杯、桜花賞、それに今日の高松宮記念くらいなものだ。3歳牡馬で一番速い馬を決める皐月賞がぎりぎり期間から外れているのが難点。
期間内で開催されるレースで一番話のネタを作りやすいのは3歳牝馬で一番速い馬を決める桜花賞なのだが、終えてから締め切りまで一週間もないのも痛い。
ミミズクであるR.B.ブッコローと3歳牝馬女王の異種間ラブコメ。良いじゃないか。最近は競走馬の擬人化も流行っているし、フクロウとサラブレッドそのままでも十分、絵になる組み合わせだ。
参加賞の500円分の図書カードもかなりの高確率で当たる。
これは書くしかない。
「まあ、競馬と一緒。ふたを開けてみなくちゃわからない」
ブッコローさんは苦笑した。
そのついでとばかりに、なんとも言えないエピソードを語り出す。
「ふたを開けてみないとわからないと言えば、こないだ本が出たじゃないですか」
2023年2月24日に販売になった老舗書店「有隣堂」が作る企業YouTubeの世界~「チャンネル登録」すら知らなかった社員が登録者数20万人に育てるまで~の話だ。
「あの本、出版した結果が、ちょっと含蓄深いことにあふれてたなあって。うちの娘たちが学校の友達が買ったって言ってたーって言いながら帰ってきたんですよ。送料無料の通販サイトで買ったんだってーなんて言いながら。さらにもう一人の子はつい先日出たばかりのオンライン版をタブレットで見せてもらったよーって。
かと思えば、ライブ配信では有隣堂のオンラインショップで買ったよーなんて声も届く。有隣堂しか知らない世界のファンが本を読みたいときに、かならず有隣堂で買い物をする、という常連さんもきっといるんでしょう。遠方からわざわざ有隣堂まで買い物に来るという奇特なお客さんもいる。
サブスクリプション全盛期の今、CDを買う、ということはアーティストへのお布施に近い、なんて話も聞いたことあるけれど、それをいざ、当事者として、経験してみるとやっぱり印象深いものがあるなあって思ったんですよ」
ブッコローさんの言いたいことはなんとなく、わかった。
ウェブ上では数多の企業が、自分たちの商品を売るために日々努力をしている。
なんでも買えるのは当然として、誰からでも買える。むしろ、誰から買っているのか意識せずとも買えるサイトもある。
そうなると、目に見えるものは値段だけ。誰から買ったって変わらない。
その中で、有隣堂に限らず、特定の販売者から購入する、という行為は、販売者へのお布施、つまりはファン活動に近い側面を持つのかもしれない。
もちろん、その販売者から買う要因として、安全や安心、信頼がある。そこに加えて『ファンだから』という要因で、その販売者から購入する、という一面が増えた。
書籍が売れない、ということは一つの時代の変化だけれども、そもそもの小売業の在り方すら変わっている。
知性や技術というものはいつだって、祝福であり、呪いでもある。
ウェブの発展により、世界中の品物を自宅に居ながらにして、購入できるようになった。
動画閲覧をはじめ、娯楽の多様性も増した。夕食のレシピや、日曜大工など、日常でつかう知識であれば書籍に頼らずとも手に入れられるようになった。
なんならば書籍の中身の作り方すら、変わっていくのかもしれない。
事実、カクヨムではAIが小説を書いている。これがより精度を増していけば、いつか自分好みの物語を無限に生成するAIが完成するのかもしれない。絵を描くAIもどんどん発展している、AIが漫画を書く日も近いだろう。やがて僕らはそのストーリー生成システムこそを小説だとか漫画だとか呼ぶようになるのかもしれない。
新しい技術に新しい商売が生まれ、新しい世界は発展していく。
一方で、社会の発展により廃れていくものを生業とするものも、愛するものたちもいる。
その代表例が紙の書籍と言えるのだろう。
現代人にとって、時間は貴重だ。
余暇の時間にすら高効率のエンターテイメントを求めている。
小説を声優が読み上げたものを販売するサービスがある。ご飯を作りながら、お風呂に入りながら、ゲームをしながら、作品を知れる。
一昨年頃、問題になったファスト映画も、その善悪はともかく、そういった需要に応えたものだったし、YouTube上でも面白い場面を切り抜く『切り抜き動画』が人気だ。10分もない動画からも、見どころが切り抜かれていく。
カクヨムで流行っているどこかテンプレ染みたウェブ小説だって、非常に効率的だ。それは読者にとっては、タイトルで理解できて、時間がかからず読めるものであり、そのテンプレートが好きな読者にとっては品質が保証されているということだ。
そして、作家にとってテンプレートはオーケストラの楽譜のようなものだ。同じようなものでありながら、指揮者と奏者によって全くの違うものが仕上がっていく。
紙の小説にはどれも、ないことが多い。
古臭くて、保守的で、なんだか偉そうで、重くて、融通が利かなくて、不便。
そもそも、書架に並んでいる時点で、その本に関する事前情報は貰えない。なんだか意味ありげなタイトルが棚に並んでいるだけ。せいぜいもらえるヒントは裏表紙や帯のあらすじくらいだろうか。
いざこれだと腹をくくって読み始めたところで、今度は利便性に飼いならされた身が不便を訴える。
紙の分厚い本を読んでいる時になんどコントロール+Fのないことにイラついたか。登場人物の名前なんて、なかなか憶えていられない。三つくらい前の章で説明された専門用語を忘れている。
さらには、うっかり手にとって、しっかり読み終えたものが自分の好みとは違っていたなんてしょっちゅうだ。
でも、どこかの誰かが作った紙の本を、ゆっくりと時間をかけて読んでいく時間が、僕は決して嫌いにはなれないのだ。
誰かが、思いを込めて、時間をかけて書いた小説が、製本されて、形になる。
確かにここに物語があるという、感覚。
食事に例えるのであれば、紙の本は全てお任せのフルコースだ。食事をするのに時間もかかれば、自分の嫌いなものが含まれていることもある。なんなら、徹頭徹尾、舌に合わないことすら。
けれど、紙の本からしか取れない栄養が、確かにある。
右手の本をぼんやりと眺めながら、本というものに想いを馳せていると、不意に周囲から歓声が上がった。
レースが始まる前のファンファーレである。
ゲート入りもつつがなく進んでいるようだ。
春の小雨が降りしきる中、まもなく出走である。
電撃の1200メートル。
1周1700メートルの競技場をおおよそ2/3周駆け抜ける形になる。
スタート。
芝が敷かれている馬場は水分を多分に含み、ぬかるんでいた。
その地面を蹴立てて、馬群は駆けていく。
正しく、字のごとく、驫いている。
500キロ前後の馬が18頭、己の肉と骨とを駆使し、時速60キロ以上で走り抜けていくのだ。
重低音も響こうというもの。
カーブをあまり大回りせずに通りたいという思惑もあり、道中までは馬群は密集した団子状態で進んでいく。
最後の直線、400メートル。
直線に入ってすぐの100メートルはおおよそ2メートル駆け上がる坂になっている。
各騎手が自身の馬を思い切り走らせるために横へ広がった。
ラストスパートを開始するために、騎手たちが競走馬へと鞭を入れる。
広がった馬たちの隙間を縫うように、前へ出た馬があった。
13番の馬だった。
登り坂を苦ともせずに、ぐいぐいと伸びていく。
そのまま、突き抜ける。
最後の最後、騎手は馬上で立ち上がり、ガッツポーズでの勝利。
春の短距離の王者となったのは、7歳の古兵と22歳の若武者だった。
馬にとっても、騎手にとっても。
さらに言えば馬に訓練をつける調教師にとっても、初のG1獲得だった。
ブッコローさんは苦笑している。どうやら外したらしい。
だから、買っておけば良かったのに。
知性や技術というものはいつだって、祝福であり、呪いでもある。
たまには感情論で買い目を決めたって良いじゃないか。別に馬券師になりたい訳じゃないんだから。勝ったら嬉しい馬を買うべきなんだ。
何年もの時間をかけて積み上げてきたものが報われた、71.5秒。素晴らしく濃密な物語だった。
これが競馬のすばらしさの一つだろう。
そんなことを言っている僕は2番の馬を買っていた。全然だめだったけれど、こればかりは仕方ない。まあ、今日はド派手に負けてるけれど、まだ4歳の馬だったし、血統としても負けに負けてようやっと高松宮杯を取った祖父を持つ馬だ。
沸き立つ会場、WINSもそれなりに盛り上がっている。
さて、そろそろ帰ろうか。
ブッコローさんはなにかに気付いたように、はて、という顔に変わる。
何か忘れていたものを急に、思い出したような表情。
けれど、彼の口から出たものは、それとは真逆の言葉。
「そういや、君、誰だっけ?」
ちょっと答えられないかなあ。
「内緒」
そう答えて、WINSを出る。
雨は小降りになっていた。
この程度なら、傘は我慢してもいいかもしれない。
それにどうせほんの少しの距離なのだ。
ストーリー・ストーリー・ヨコハマにも悪い点が二つある。
その一つがWINS横浜へのアクセスが伊勢崎町本店より絶妙に悪いこと。
もう一つは。
ちょっと、僕が人気過ぎることだ。
僕は春の空へと羽ばたいた。
ミネルバを呪って 塊 三六 @adam1987
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