第14話
192年前、リソレ川の北で大きな戦いがあり、それに勝利して、サクノストは独立した。それまで、リソレ川の西岸はゴ・サミュの領土であり、521年のヤマニト条約で、はじめて正式に割譲が認められた。
「もう一度、我が国の領土になるか」
「馬鹿な。我が国は、リズンをはじめ他国の承認を得て独立している。そんなことができるものか」
「勝手に他国に侵入してきてよく言う。これを他の国が知ったら、どう思うか。次に被害を受けるのは自分たちと考えるだろうから、たちまちサクノストは包囲されるぞ。君たちの領土が欲しい者たちはいくらでもいる」
「どうやら、君たちはろくに外交交渉をせぬうちに戦いをはじめたようだな。北の大国リズンにもね。不快に思っている人たちから使者が来たよ」
マーストが王子のふりをして、静かに語る。優雅に話しているつもりなのだろうが、無理をしていることがはっきりとわかる。
使者が来たのは昨日のことで、戦況を確認するために国王が送ってきた。政治的意図はなく、交渉もいっさいおこなわれなかった。
だが、それを口にする必要はない。訊かれないことを語らない。勝手な想像で、自分を追い込んでくれれば、それでいい。
「よくもそんなことを」
「勝てばいい。そんなならず者の論理が通るものか」
エヴィは語気を強めて、グアントの反論を封じた。
「いいか。敵地に踏みこんでいるのは君たちで、もはや援助はいっさい受けられない。それでも戦うのならば、とことんまでやる。君たちが立ち枯れするまでな」
グアントの顔が歪んだ。怒りを隠そうともしない。
「退くつもりはない。我々は勝てるのだから」
「独断専行の部隊を誰が助けるものか。ヤハルーノ伯爵が何と言ったか、思い出してみるといい」
グアントは息を呑んだ。口元が細かく震えて、一度は振りあげ手がゆっくりと卓に落ちる。まさか、それを知っているとは思わなかったか。
リズンからの使者と前後して、小屋の男がエヴィの元を訪れて、グアント伯爵に今後、いっさい支援しないことを告げた。この侵攻は暴虐であり、近隣の領主はもちろん、国王もいっさいあずかり知らぬこととはっきり語った。彼によれば、グアントにはヤハルーノ伯爵が自ら赴き話をしたらしい。
根回しを怠った代償は高くついた。
支援が断ち切られたことをグアントは十分に理解しているだろう。それでも後退を言い出せないのは、執着の強さからか。
ならば、それをそらすしかない。
エヴィが合図すると、マーストのふりをしたトゥクラスが語りかけた。
「ここで、おもしろい物をご覧に入れましょう。最近、手に入れたものですが」
トゥクラスが小物入れから
「北の山岳地帯で採掘しました。いい鉱脈を見つけたらしく、似たような石が数多く見つかっているとか。王都の知るところとなれば、さらに採掘の規模は拡大するでしょう。貴重な財源になりますから」
グアントが手を伸ばしたところで、トゥクラスが押しとどめた。自ら手にすると、立ちあがって、サクノスト代表団の席に向かう。
その間にも、マーストは話をつづけた。
「そういえば、この鉱山、グアント殿の領地に近いところでしたな。山一つ挟んだ西側と聞いていますが、いかがか」
「何だと、間違いないのか」
「北のムレハースの近くと言っていましたから」
マーストが地名を語ると、グアントは顔色を変えた。
「鉱脈がつながっている可能性もあります。もちろん、サクノスト王国領に入ることはできませんから、調べることはできませんが。グアント伯爵の領土で、よい宝石が取れることは周知の事実。それにもう一つ加わる可能性があるとしたら、どうですか。つまらぬ争いをして、余計な予算を食い潰すのはどうかと思いますが」
トゥクラスがサミトンに歩み寄った。
サミトンの瞳が揺れた。表情をまったく変えなかった男に動揺が走る。
エヴィは、トゥクラスに、この機会をねらって、自分こそが本物の第二王子であることを示唆するように指示していた。心を揺さぶるには、よい機会とみてのことだ。
ねらいはあたったようで、トゥクラスがグアントに
「確かに、素晴らしい石だ」
グアントはつぶやいた。
「だが、これが我が領土にあるとは限らない。保証はできぬだろう」
「当然です。ですが、これ以上、ここにムダな兵を置いておくよりはよいと思われます。鉱山開発に専念すれば、得られる物は大きいでしょう」
エヴィは、声の調子を落とした。
「ここで退いてくだされば、国境線の問題や賠償金、貿易の権益については、いささか考えないでもありません。損はしていただくことになりますが、破滅的ではないでしょう。ましてや、新しい鉱山が見つかれば、なおさらです」
グアントは沈黙した。先刻までの怒りはもはやない。
返事をしないのは、頭の中で急ぎ計算しているからだ。もはや退くことは決定的で、あとは打算と妥協の度合いだけだった。
そこで、サミトンが小物入れに手を触れた。魔術具がわずかに輝く。
だが、エヴィが手を振ると、輝きは消えた。
すぐに乾いた音がして、小物入れは砕ける。六つがいっせいに。
あっとサミトンが声をあげた。
「おや、風でも吹きましたか。その手のものは、壊れやすいので気をつけるのがよいかと」
サミトンはエヴィを見た。席に着いたトゥクラスも横顔を見ている。
気にせず、エヴィは先をつづけた。
「さあ、どうしますか」
グアントは十分に間を置いてから答えた。
「即答はできぬ。だが、一考の余地はあると見た。時をおいて連絡する」
「いつですか。いつまでも我々は待てません」
「では、明日に。それですべてが決まる」
「結構です」
マーストが大きく息をつき、トゥクラスもわずかに表情をゆるめた。
交渉の行方は見えた。あとは、細かい条項を詰めるだけだ。
エヴィは静かに立ちあがった。
「お茶が飲みたいな。山盛りのガトリタといっしょに」
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