第13話

 エヴィとトゥクラスが会議室に入った時、サクノストの代表団は姿を見せていなかった。席は空いており、やわらかい日射しが長い卓を照らしている。


「意外だな。張り切って席に座っていると思っていたが」

「向こうにも事情があるのだろう。おとなしく待っているとしよう」


 二人は席に着いた。空いているのは団長席だ。


「うちの王子様はどうした」

「具合が悪いらしい。踏ん張りは効く男だから、しばらくしたら来るよ」


 今回、代表を務めるのはマーストである。すでに交渉がはじまっている以上、入れ替わりの事実を明らかにするのはうまくないと判断してのことだ。


 やむをえないことではあったが、慣れない王族の代理という仕事に、マーストはすっかりまいってしまい、最近は身体を動かすのもつらいようだった。


「元々は軍人だろう。細かい仕事には向いていないんだから、やめさせた方がいい」

「そうは言っても、彼以外に信頼のおける人物はいなくてね。王宮は奇々怪々、魑魅魍魎の暮らす場所だよ」

「ご苦労なことだ」

「君も来てみるといい。楽しいぞ」


 トゥクラスは苦笑したが、エヴィの表情は変わらなかった。


「君は、本当に表情を変えないな。笑うことはないのかい」

「人前ではないな。婆ちゃんに仕込まれた」

「好きな人の前でもそうなのか。仏頂面では話も盛りあがらないだろう」

「好きな人などいない」

「本当に?」


 エヴィは横目でちらりとトゥクラスを見ると、大きく息を吐き出した。


「昔々、あるところに仏頂面の女の子がいました。彼女は祖母を亡くして、ひどく悲しんでいましたが、幼馴染みの男の子に慰められて、何とか立ち直りました。女の子は男の子の笑顔が好きで、もっと親しくなりたいと思ったのですが、実はその男の子は彼女の友人が好きで、声をかけようとしてはやめるということを繰り返していました。相手の子も同じで、話をする機会をねらっていました。それがわかったので、女の子は、不器用に自分の言葉で、二人が仲良くなるように仕向けました。相思相愛だった二人は、今は結婚して幸せに暮らしています。めでたし、めでたし」


 エヴィは一気に語り終えた。


「チョロいんだよ、私は」

「正直に答えなくともよかったのだがね」

「嘘はつきたくないんだよ」


 トゥクラスは正面を見たままだった。視線をあわせることはない。


「一つ訊きたいんだが、君の交渉術をもってすれば、その男の子を振り向かせることはできたはずだ。自分の魅力を訴えつつ、幼馴染みのよさに気づかないようにすればいい。なのに。なぜ、やらなかった」

「二人は友人だぞ。こんな無愛想な私にとてもよくしてくれて、彼らのおかげで何度も救われた。温かい血のよかった人としていられたんだ。その関係に、外交の権謀術策を持ち込んでどうする。人の心を操るのは、仕事だけで十分だよ」

「君はいい人だな」

「褒めても何も出ないぞ」

「そうでもないさ」


 トゥクラスは笑う。


「その赤い頬は貴重だ。いいものを見せてもらった」


 二人の会話はそこで途切れた。話題が尽きたからではなく、マーストが部屋に入ってきて、その後を追うようにして、サクノストの代表団が姿を見せたからだ。


 代表団は席に着くと、書類と小物入れを卓に置いた。


「おや、小物入れの数が増えているね。六個か」

「魔力をあげるためだ。今日が勝負とみているらしい」


 準備が整ったところで、マーストが話をはじめた。声には緊張がある。


「さて、時間がないのではじめさせてもらおう。昨日、我々が新しい草案を送ったが、それは見ていただいたであろう。内容はどうだろうか。受けいれてもらえるとありがたい」

「何を馬鹿なことを。軍はヤマニト丘陵から後退して、国境線は現状維持。賠償金や貿易の権益についての交渉は、後におこなう。こんな話、拒絶の一択だ」


 グアントが吠えた。顔は真っ赤で、瞳も充血していた。


「考え直せ。さもなくば、交渉はここで打ち切りだ」

「そこで再び侵攻か。その余力が君たちにあればな」


 エヴィが鋭く突っ込んだ。その指が卓を叩く。


「君たちは独断専行が過ぎる。近隣の領主はおろか、中央からの支援すら満足に受けていないようではないか。矢玉が尽きかけていること、我らが知らぬと思ったか。勝手に攻め込んで、領地を荒らしたから、味方の怒りを買うんだよ。短期決戦で勝てれば何とかなると思っていたのだろうが、そうはいかないよ」

「貴様、よくも」

「これから温かくなれば、リソレ川の水位は増して、今までのようにたやすく渡河はできない。兵站が断ち切られて、後退もできない軍勢がどうなるか、たやすく想像はつく。こっちは攻めずに周りを囲んでいるだけでいいんだからな」

「その前に、ラセニの町を落とすこともできますが」


 反論したのはサミトンだった。白磁を思わせる顔の男が淡々と語る。


「南の街道に、ゴ・サミュの軍勢はいません。進撃は食い止められないでしょう」

「やってみるといい。兵力を分散してくれれば、こちらはやりやすい」

「町を見殺しにすると」

「しないよ。きっちり反撃はさせてもらう。まあ、こっちの数は少ないから全滅までは持っていけないだろうが、嫌がらせ程度に食糧と矢玉を奪うことはできる。長期戦になったら、君たちは干上がるだけだ」

「勝てばいいのだ。ここは我々の領土だ」

「勘違いはやめてほしい。第二次ラセニ条約第三条第二項。サクノスト王国はリソレ川東岸地域をゴ・サミュ王国に割譲することを認む。この条文は、サクノスト国王も認め、現在に至るまで法的に有効だ。君たちが、その下らない論理を振りかざすのであれば、我々はリソレ川西岸領域の所有権を主張するぞ」


 エヴィはグアントを見る。


「なにせ、サクノストは我が国の家臣が裏切って独立を宣言した国だからな」

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