第5話 ワンルーム世界分離
『こんにちは』
俺は頭を掻きむしった。メールの一言目で、もう30分も悩んでいる。
初めは挨拶、でいいんだよな、ともう一度その五文字を見つめる。
やはりこの後に続く言葉が思い浮かばない。
大学の文化祭の準備で何とかヒナタさんと同じ係になることが出来たのだ。皆が連絡を取り合うために番号を交換していた。そのどさくさに紛れて俺もヒナタさんのLINEをゲットしたのだ。
「おい、バカ」
そんな真摯で一途な思いに水を差すように、何者かの声が響く。俺が住んでいるワンルームのマンション、人の隠れるスペースなんてないはずだ。それに鍵もきちんとかけているし、オートロックでセキュリティはかなり良い。
それなのに、どこから声が?
不審者の姿を反射的に探してしまう。俺が周囲を見渡すために頭を振り回していると、おかしなものを見つけた。テーブルの隅っこ。
目が合った。
コーヒーカップくらいの身長の宇宙人のような人間が、きちんとスーツを着て俺を見ていた。
「――は?」
「やっと見つけたか、このバカ」
ヒナタさんに恋焦がれすぎて脳が焼け付いたのかな? それとも恋の病は幻覚までもたらすのか。メールに悩みすぎて高熱でも出ているのか。
様々な考えが頭を巡るが、今のこの状況を説明してくれるような経験は、俺の人生には存在しなかった。
「何お前」
「俺は世界分離協会のCクラス職員だ」
「なんだそりゃ」
「人生の分岐ってあるだろ? たとえば朝遅刻しそうな時に飯を食べて遅刻する。食べずに間に合わせるとか。もっと小さいのだと、靴下を右足から履くか左足から履くか、みたいなさ」
よく分からないが、日常に存在する小さな選択肢のことを言っているらしい。この小人は。
「そして何かを選んだとする。だが選ばれなかった方の選択肢もまた同時並列的に存在するんだ。パラレルワールド――並行世界って聞いた事ないか?」
「異世界へ行く方法みたいな?」
「そこまでいかないけど、まぁそんなもんかな。小さな積み重ねで大きなバタフライエフェクトを起こすのが俺らの仕事なんだ」
嬉々と話す宇宙人を俺は鼻で笑ってやった。
バタフライエフェクトだって? ほんの小さな出来事が後々大きな出来事の引き金になる、なんて話はラノベ大好きな俺にとっては常識みたいなもんだ。
だからこのミニマム宇宙人が言いたいことも何となく分かる。
小さな分岐をたくさん作ることで、並行世界ないしその未来で大きな『何か』を起こしたいのだろう。
「で、そんな大層な目標を抱えた協会が俺に何の用だよ」
「何の用だ? 俺はいくつもの世界を監視している。その中で、だ。お前みたいなやつが多すぎる。そのせいで今回みたいな阿呆みたいな任務が生まれたんだ、このとんちき」
「俺みたいなやつ?」
「狭い部屋に閉じこもって、一歩踏み出すことを『絶対』にしないクソどもだ。お前、今書いてるメール、もう諦めちゃおうかなって思ってるだろ」
図星を突かれた俺は宇宙人を睨みつけた。
「うるっせぇ、このコスモニアン!」
「宇宙人をひねったって意味ないぞ。俺は未来人だからな」
無駄にフューチャーしやがって。その張り付いたスーツみたいなのも未来じゃ流行ってるのかよ、もしかして人間は既に滅んでいるのか?
「狭い部屋に閉じこもって、画面越しですら挨拶一つ出来ないチキン野郎どものせいで俺の仕事が増えてんだ。お前は! どの世界線でも! その子にメールを! 送らない!」
「だから何だってんだ」
「メールを送れ」
未来人は小さいながらも俺を睨みつけた。
俺は少したじろいてしまった。もう一度PCに表示されている文面を見る。
『こんにちは』
今しがたまで、ヒナタさんに送るのを迷っていた文面。今はもう夜だ。未来人と話していたからじゃない。
昼間に考えて、悩んでいるうちに夜になった。
考えている時は昼間だったけれど、ヒナタさんに届く頃には夜、もしかしたら明日の朝かもしれない。
だからまた消して、一行目からずっと書いて消して繰り返している。それをもう何日もラインを交換してから繰り返していた。
「今は夜だしさ、また文面を考えるよ」
俺はもう未来人を睨みつけることが出来なかった。しかし小さな巨人はまっすぐに俺を視線で射抜いてくる。
「――文面は考えなくて良い。ただ送信ボタンをクリックする、それだけで良い」
「ッそれが出来てれば苦労はしてないんだよ!!」
「いいのか。観測されなければお前はそこにいないのと同じ。存在を主張しなければ、すぐにその子の携帯からも消されるくらいの存在だ」
ヒナタさんにとって俺はただのモブキャラだ。未来人の言う通り、彼女に存在をアピールしなければ記憶からも消えてしまうだろう。
そもそも今ですら名前も顔も覚えてもらえてないかもしれない。
世界的に流行したウィルスのせいで、俺はワンルームに閉じ込められていた。
文化祭も規模を大幅に縮小、外部からの客の呼び込みを禁止して学内だけで行うただの部活の発表会になった。それでも俺にとっては画面越しで憧れていたヒナタさんとお近づきになる人生最大といっても良いチャンスだった。
「ああ、もう時間だな」
俺が迷いながらキーボードのエンターキーを見つめているうちに未来人が面倒臭そうにつぶやいた。
「いいか、絶対に送れよ。これからお前には低度の記憶処理を施す。俺の存在を上手く認識できなくなるくらいのもんだ。だからもう一度言うぞ、このクソ狭い部屋から偉大なる一歩を踏み出せ」
未来人がそう言うと共に、テーブルの上から書き消えた。
「……なんだっけ? 少年よ大志を抱け、だっけ?」
俺は上手く働かない頭のまま、キーボードのエンターキーを押した。
『こんにちは』
それだけのメッセージがどこかへ送られる。はっと気づいた時にはヒナタさんから可愛らしい動物が手を上げているスタンプが送られていた。
必死に取り繕うように頭を振り絞る。ヒナタさんが今、俺と同じ画面を見ている。そう思うとドキドキしてキーボードを打つ手が震えた。
☆
俺は自分の担当地域の対象者を画面越しに見て、頷いた。その画面には何人もの過去人が映っている。
同じ人間がいくつかのモニターに映っている。
これは行動した未来と行動していない未来が同時に存在しているということだ。行動しないやつは死んでも行動しない。
背中を押せば動くやつは、やろうと思えば何でも出来るやつなのだ。
数日後、俺は上司に呼び出された。
胃がキリキリと痛みながらも、しぶしぶ会議室に向かった。
なんと俺が担当した過去人のクソヒッキーがいくつかの並行世界で、今までにない活躍をしたらしい。
正確には彼と彼女の子孫が、だ。
ほとんどの世界で彼は学校卒業と共に、彼女に忘れられた。
だが微かな未来で、隣を歩む人生を勝ち取った世界があったのだ。たった一通、五文字でバカが未来を変えたのだ。
彼らの遠い遠い子孫は、数千人もの人間を救う医者になったり、世界を変えるような科学者になった。
雑事が増えてイライラしていた仕事だったが結果、評価されれば全て良し。
私はBクラス職員に出世することになった。
管理する地域や世界が多くなるが、それだけやりがいもある仕事だ。将来的に、今私たちがいる未来へと導くための小さくて大きな一歩なのだ。
彼は狭いワンルームから世界を変える一歩を踏み出した。
その背中を押した私にはもちろん世界を導くことだってできるだろう、きっと。
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