第33話 天空の城

「ギル、他には誰に当たるつもりなのかしら」


 リファとの話が終わったメイは席を外してカップに注がれた紅茶を持ってきたところから再び問いかけられた。


「誰っつてもな……俺等の中で居場所が分かっているのはあと一人だろ。そいつを加えれば合計六人か、……まあ、十分な人数じゃないの」


「ルクスの事ね。確かに彼の力は重要で貴重だけど、どうやって行くつもりかしら」


「それなんだよね。サーシャみたいに入る者拒まずみたいにしてくれれば、いささか楽に行けるのにな」


 メイの持ってきた紅茶を口に運んで普段飲んでいるコーヒーとの糖分的な違いがすごすぎて顔が少しひきつってしまう。


「サーシャさん、サーシャさん。ルクスさん? って方はどこにいるんですか? なんか言い方的に大変な場所にいそうな感じですけど」


 同じくメイの持ってきてくれた紅茶を口に運んでいるサーシャの裾を掴みリファが聞いてくる。


「あ~、ルクスね。ずっと上だよ。ずっと、ずっとね」


「上……?」


 サーシャの抽象的な言い方に首を傾げてしまうが、手をポンと叩いてすぐに結論を出した。


「あれですね。北に行くってことですか? だとしたら困りますよね。私寒いの苦手なんです。それとも山の上ですか? それも寒いですね」


 苦笑いを浮かべるリファにサーシャは目を丸くする。


「ふふ、そうだね。うん。ボクが悪かったようだ。すまないな、リファ。ボクが言った上とは北の代名詞ではないんだ。意味はそのまま上と言うことさ」


 紅茶を飲みつつも微笑みをこぼす。サーシャは理解できるだろ、的な目線をリファに送るが一向に理解できない。否、彼女の言った言葉を鵜呑みにすれば自ずと回答は導き出されるが、そんなことがあり得るのか。


「サーシャさん、上ってもしかして空ってことですか?」


「――正解。その通りだよ。ルクスは地上にはいない。ロンドリアの上空には一定の規模、場所から全く変化しない球体型の雲が一つあるんだ。その中にルクスはいる」


「――」


 これまで散々驚いてきたが、今回はまた一味違った驚きをリファにプレゼントした。


「雲の中ですか……。どうやって会いに行くんですか?」


 サーシャに問いかけると同時にリファは行動を起こして部屋の端にある窓ガラスの元へ向かい、そこから空を眺める。


「あっ! 本当に丸い雲がありますね」


 太陽はほとんど登り切っているので眩しいのだが、その快晴を汚すように存在する雲を見上げる。 


「それにボク等も困っているのさ」


 椅子に座ったまま紅茶のカップを手にして両手を肩の高さまで上げて当て上げの姿勢をとる。


「サーシャさん、終焉の森からここまで来た時みたいに瞬間移動は出来なんですか?」


「ボクの時空間魔法は万能じゃないからね。直接視認しないと点と点をつなぐことは出来ない。確かにボクの目からもルクスのいる雲は見えているけど、残念、少し遠いかな。理想は訪れたことがある場所だからね。何度か行ったことはあるんだけど、ルクスは度々雲を変えているからね。そうされるとボクの認識的には新しい場所になってしまうから瞬間移動ができないんだ」


「そう、なんですか」


 短くそれだけ呟くと窓から離れて元いた場所、サーシャの隣の席に行った。そこに残されていたメイが淹れてくれた紅茶を口にして窓から雲を見ていた時に感じたことをサーシャに聞いてみる。


「どうしてルクスさんは雲の中で生活しているんですか? 不便……ですよね。物資や情報が不足するのにどうして……」


「ルクスはこの世で一番人間を嫌っているんだよ。ボク等以外の人間とは接したくないし、関わり合いたくないから人間が決して近づくことが出来ない場所、天空に住むことにしたのさ」


 淡々と語ってくれるサーシャだったがいろいろと不可解な点が多くある。


「人間嫌いですか……」


「筋金入りのね。特に権力にまみれて地位にしがみつき欲望に溺れている人間なんかは即刻殴りたくなるだろうね。まあ、人を殴れる程立派な体つきはしていないけどね」


「だから、雲の中に」


「まったく困ったものだよ。人間に接したくないのなら湖の中にでも住みつけば比較的楽に会いに行けるというのに、上空となると話が変わってくる。無論、行けないわけじゃないけど手間が多くてね」


 残念そうに嘆息をつくと手に持っていたカップをコースターの上に置くと足を組んでギルの方を見る。


「それで、ギル。どうするつもりか教えてもらっていいかな」


 この間にもメイと何かを離していたギルはサーシャに話を振られて頭に手を添えて思考を巡らせた。


「アレン、お前の翼でルクスのところに行けるだろ」


「ええ、もちろんです。私は天空と地上を繋ぐ架け橋となる者です。空へ向かうための翼の一枚くらいありますとも」


 聖書を胸に抱いて直立不動で立っているアレンはギルの問いかけに目線を配らず言葉だけ返した。


「それを使ってルクスに会いに行けないか?」


「あぁ、……なんという愚策なのでしょうか。私の翼は咎人を裁き、その魂を天上界へお送りするために存在するのです。例え兄弟と言えどもこの翼が羽ばたくことはないのですよ、ギル」


「――」


 再び体をくねらせて言うアレン。真剣に聞いていたギルは額に『怒り』マークが出ていたが必死に飲み込む。


「意訳すると、飛んでいけなくもないけど自分以外は連れていけない、ということよ」


 助け舟を出したのはメイだった。


「何その解釈……」


「私はこれと長い時間過ごしているのよ。変な言葉の言い回しも何となく理解できるし、そもそもアレンの翼で何人も飛べるわけないわ。神獣化したのなら話は違ってくるけど、今使うのは本当に愚かとしか言えないわね」


 メイが代弁してくれている最中もアレンはずっと神に祈りをささげている。


「となるとやっぱり、あれしかないか」


「決まったのか、ギル」


「ほぼ択一の選択肢だったけどな」


 瞑目したまま言葉だけ向けてくるデューク。そんなデュークに一瞥するとギルは席を立って彼女の元へ行く。


「サーシャ、力を貸してもらうぞ」


「ん? またかい。別にかまわないが、ギルの支払う対価がさらに増えることになるけどいいのかい」


「この際、溜まり溜まった分全部払ってやるよ。だから、力を貸せ」


「殊勝な心がけじゃないか。それで、ボクに何をしてほしいのかな」


 正面に立つギルの目を見つめ、組んでいた足をもとに戻して、その代わりにテーブルの上に手を組んで、その手の上に顎を置く。


「ここまで来る道程の中で浮遊魔法を使っていただろう。あれの精度をもっと高めてルクスの雲まで飛んでいけないか」


「――ふっ、……また、面白い着眼点だ。ギルの言う通り、その計画は実行可能だ。だけど、この魔法はかなり精密なコントロールが必要になる。いくらボクが魔女と言えど得意、不得意は存在するからね。この前使った時は地上から僅かに浮かせただけだったし、人数もボクとリファだけだった。それに、リファは見た目通り軽いから実質人一人半の魔法で行けたんだ」


「つまり可能ではあるが、出来る限り負担は減らしたいということでいいのか」


「まあ、そんなところかな」


 サーシャの回答に長く息を吐くと、ギルは当たり見回り始める。


「なあ、デューク。ルクスの元には最低誰が行けばいいと思う」


 何かを探しながらでデュークに問いかける。


「そうだな……首謀者のギルと当事者のリファはいた方がいいだろう。それに加えてサーシャがいないと満足に空も飛べない。よって、最低人数をはじき出しならこの三人で事足りるだろう」


「デュークはいいのか」


「ルクスが駄々をこねる可能性は……十分に考えられるな」


「メイもアレンもお前が一枚噛んでいるから納得している部分もあるんだぞ」


「……そうだな。なら私の署名を入れた紙を渡そう。それがあればルクスも反故には

できないだろう」


 それだけ言うとデュークは早速行動に移して、メイに言って紙とサインペンを受け取ると手早く内容と名前を記入してギルに手渡した。


「それで、私の件は片付いた。後はギル達次第だ」


「ああ」


 デュークから手渡された紙をコートのポケットにしまい込むと部屋の捜索を再開した。


「……大きさ的にもこれでいいかな」


 ある程度、がさ入れをしたギルが手に取ったのは床に敷かれていた絨毯だった。


「メイ、この絨毯借りていくぞ」


「なに、それをどうしようというのかしら、ついに頭まで壊れてしまったのかしら」


 冷たく軽蔑する瞳に射抜かれつつも「そうじゃねえ」と反論して敷かれていた絨毯をロール状に巻いて壁に立てかける。


「サーシャ! これに浮遊魔法かけて俺とリファとお前を運ぶことは出来ないか?」

「なるほどね」


 口元で笑みを作ったサーシャは腰を上げて立て掛けてある絨毯に向かい、手を触れていろいろと確かめている。


「うん、これなら大丈夫そうかな。でも、ボクはこれの操作に神経を注ぐから不測の事態に陥ったらギルが対応するんだよ」


「任せとけ」


 自信に満ちたギルの顔色を窺ったサーシャは一息つくとリファを呼んだ。


「これをどうするんですか?」


「リファ、君も本で読んだことがあるだろう。人が一度は乗ってみたいと願う夢の乗り物、魔法の絨毯に誘おうじゃないか」


 サーシャの誘い文句にリファは目を丸くして魔法の絨毯と呼ばれたものを触りだす。


「別に特段変わった絨毯ってわけじゃないんですね」


「ああそうさ、これからボクが浮遊魔法をこの絨毯に掛ける。それで、勢いのままルクスの城に突入しようという作戦ってわけ」


 豊満な胸を大いに強調するかのように腰に手を当てて胸を張っているがステラの反応が薄い。


「本来はここで目が飛び出すくらいのリアクションをしないといけない場面かもですけど、いろいろと短時間に起こりすぎて吃驚しなくなった自分が怖いです」


「そんなものさ、人生なんて」


「いや、それは違うと思うぞ」


 うんうん、と深く頷いてリファの文言を肯定するサーシャに静かにツッコミを入れたギル。


                   ※

 

「この辺でいいか」


 肩にロール状の絨毯を担いで教会の外に移動したギルはサーシャの指示を仰ぎ、教会の入口より少し右にそれた場所に絨毯を降ろした。


「付与系の魔法はボクの専売特許じゃないからね。どこまでうまくいくかわからないけど、魔女の誇りにかけて頑張ってみようか」


 広げた絨毯は五から六メートル四方の大きさがあり、その上に乗ったサーシャは指先に魔力を集中させて絨毯に目には見えない文字を刻み始める。


「ねえ、ギル。今さら過ぎるかもしれないけど、大丈夫かな、こんな時って飛んでいる最中に墜落するのが相場って気がするけど」


「お前が何をもって相場と言っているのか知らんけど、確実にそれは間違っているから。後、安心しろ。サーシャが実験じゃないことで失敗したことはないから。今回は実験と銘打っていないから、九割方大丈夫だ」


 心配そうに胸の前で両手を固く塞ぐリファの頭をギルは優しく撫ぜる。


「それでも完璧じゃないんだね」


「あいつの場合、いつ実験が始めるかわからないから、もしかしたら飛行中に始めるかもな」


「最後まで安心させてよ!」


 文末に近づくにつれて声を低くして軽く驚かそうとしたギルだったが、リファにきつく睨まれたあげく、足を思いっきり踏まれるという返り討ちにあった。


「さて、準備終わったよ」


 絨毯から降りてギルに向けて言う。


「よし、行こうか、リファ」


「――はい」


 元気いっぱいの返事とはいかなかったものの返事をしてついてきてくれる辺り、まだ信頼関係は継続しているのだろう。


「ルクスを引っ張り出せたらいったんここへ帰ってこい」


「そうだね、うん。了解」


 絨毯の側、ギルを待つサーシャは彼女の元に現われたデュークと今後の打ち合わせを行っている。デュークの言うことは理に適っていることだったためサーシャは間をあけることなく了承した。


「メイ、これから運命はどのように流れていくのでしょうね」


「そんなこと私にはわからないわ。私の目に映る未来も確定した未来じゃない。あくまでも可能性が高いというだけで、これまでも見た予知が変わったことはあるのよね」


 慌ただしく準備が進んでいく中、教会の入り口のすぐ側で、ギル達とは離れた場所に並んで立つメイとアレンは遠くの景色を見るかの細く、そして、優しい目で兄弟の経緯を眺める。


「アレン、本当のいいの。また、あの時みたいな戦いになるかもしれないわよ」


「構いませんとも、戦いは出来れば避けたいのが本意ではありますが、降りかかる火の粉は振り払わなければなりませんからね。それに、保身のために兄弟を見捨てることがあった暁こそ私の命は神に奪われてしまうことでしょう。私が敬愛するただ二人の神によってね」


 落ち着いてメイの言葉に耳を傾けつつアレンは手にしている聖書を開く。そこにはただの一文字も書かれておらず真っ白なページが延々と続く『本』と分類してもいいのかと疑問を覚えさせる。しかし、アレンはそんな聖書を大切に扱い、今もまるで文字が見えているかのように慈しみをもってページを捲る。


「ルクスはギルに手を貸すと思いますか?」


「いつものルクスなら面倒くさがって貸さないだろうけど、ギルが関わってくると状況が変化するわ。私の予知もそうだけど、ギルが関わると途端に的中率が下がるのよね。多分、ギルは未来に向けた不確定要素。アレン、私たちは末の弟の行く末を見守ることにしましょうか」


 そこにはさっきのみたいな高圧的な姉の姿はなく慈愛に満ちた姉の姿がある。


「ええ、そうですね。それこそあの方の望みでもあるのですから」

 

 パチン!


 アレンとメイの話は一つの短い音によって打ち切られた。


「どうやら、始まるみたいですね。近づいてみますか?」


「仕方がないわね。きちんと見送りをするのはルールだから」


 嘆息をつきつつもどこか嬉しそうな表情をするメイは必死に隠そうと仏頂面に戻す努力をするが、隣でアレンが目撃していることを悟るとジト目を向けた後、あえて隠すことなく深く深呼吸をしてサーシャたちの元へ向かった。

 

「付与系はあまり使ったことが無かったから心配だったけど杞憂で終わりそうだね」


 両手を胸の前で組んで誇らしげに言うサーシャは満面のドヤ顔をしている。それも仕方がないかもしれない。なぜなら、サーシャの目の前にはふわふわと風に漂う風船のみたいに宙に浮く絨毯があったからだ。


「これ乗れるんですよね」


 目をぱちくりとさせてリファは恐る恐る絨毯に指先一つだけで突いてみる。


「そうだよ。魔女の実力をもってすればこの通り、ボクはボクの才能が怖いよ」


「はいはい、それよりも早く乗ってしまおうぜ」


 不安感を拭いきれていないステラの後ろから現れたギルは頭を掻きながらサーシャに行ってくる。そんなギルの態度に眉を吊り上げるサーシャ。


「昔からギルってばボクの開発に称賛の言葉も送ってくれないんだから、お姉ちゃん悲しい。……シクシク」


 これまた棒読みの言葉と素人臭が蔓延する泣き芸を見せられたギルは「またか」と

サーシャの扱いにくさを実感する。


「あ~、すごいすごい」


 拍手とともに送られた建前過ぎる称賛は不思議とサーシャの琴線を刺激するものだったらしく、両手で顔を隠していてはっきりとは見えないものの口元が笑っている。


「くっ……お世辞だと分かっていても心のどこかで喜んでいる自分がいて悲しいな」


 ぶつぶつと周りに聞こえない程度に調整した声量で呟く。


「ねえねえ、サーシャさん! 私早速乗ってみたいです」


 つい数分前までは絨毯に不安しか感じられないと言っていた人と同一人物とは思えない適応力を披露するリファ。


「うん、そうだね。まずはボクが最初に乗るから次についてきて」


「はい」


 サーシャはその場でジャンプして宙に漂う絨毯に伸び乗る。通常、魔導士は魔力の行使に体が長けていることで体力的に、筋力的に常人より劣る場合が覆い。しかし、サーシャには当てはまらず、さすがに近衛騎士級に身体能力が高い訳ではないが、この程度の事なら難なくこなすことが出来る。


「ほら、リファ」


「あ、ありがとうございます」


 絨毯の上に乗ったサーシャから地上にいるリファに向かって手が差し出される。遠慮すること無くつかんだ手に引っ張られて、まるで、一本釣りの魚の要領でリファの華奢な体は軽々しく宙に浮かび絨毯に着地した。


「わあ~、すごい」


 見た目は高級品でもない見栄を張りたい庶民が手を出す程度の絨毯ではあるが、ひとたび宙に浮かんでいるだけでその価値は一変する。その場でぴょんぴょんと跳ねて高まった興奮を表現するステラ。


「少し落ち着いたらどうかな」


 苦言を言いたげなサーシャの顔がリファに瞳に映る。途端に顔を真っ赤にして瞬時に正座をする。


「ご、ごめんなさい。ついはしゃいじゃって……」


「別にかまわないけど、また次の機会にしてくれないかな。今はしないといけないことがあるからね」


「はい、そうします」


 心なしか小さくなっている気がするステラをサーシャは「どんな時でもはしゃげるのはある意味君の美徳と言えるから、そのままでもいいよ」と得意でもない励ましを送った。

 その効果があったのか俯いてはいるが、その顔は俯いてサーシャから視認できないが真っ赤に染まっている。しかし、さっきのみたいに興奮して染まったのではなく、照れによって染まったのだった。


「なあ、サーシャ。俺も早く乗りたいんだけど」


 あくびが出た口を手で塞ぎつつギルが言ってくる。


「いつでもどうぞ、……それとも、ギルもボクのサポートを所望するのかな」


「いや、いらね」


「そうだね、いつまでたっても姉離れできないのは心配だけど、ギルが言うなら仕方がないよね」


 得意げな顔を出しつつサーシャは再び絨毯の上からギルに向けて手を差し出す。


「聞け! こら! いらねえって言ってんだろ!」


 それでも聞く耳を持たないサーシャが手を引っ込めることをしない。


「――ったく」


 一瞥もせず無視してギルは絨毯の上に飛び乗る。ちらっと横目でサーシャを見てみると口を尖がらせて不機嫌さをアピールしている。


「健闘を祈るよ」


 声をかけてきたデュークの後ろにはメイとアレンもいる。


「リファ、これを持っていきなさい」


 デュークを追い越してメイがリファに手渡したのは厚手のコートだった。


「そこの二人はある程度魔力を使って寒さから身を守ることが出来るわ。でも、あなたは違うから着ていた方が身のためよ」


「ありがとうございます」


 メイの厚意に甘え、すぐにコートに腕を通す。見た目からして暑いので、もこもことしていてとっても温かいというよりも暑い。

 ファーガルニの気候は一年を通じて安定していて多少の寒暖差は生じるものの熱中症で倒れることも凍傷で凍えることもない国だ。故に、本格的な寒さをリファは知らない。

 ここまで厚くする必要があるのかと疑問に思っていたが、自分の常識で計っていると確実に痛い目を見ると、この旅路で痛いほど実感したのもまた事実。

 文句一つ言うことなくコートに身を包む。


「それじゃあいくよ!」


「行ってきます」


「ルクス、引っ張ってでも連れてくるから」


 三者三様の言葉を残して「飛べ!」とサーシャの合図と同時に急加速をして空に舞い上がった。


                    ※


「は、は、速いです!!」


 ほとんど垂直にロケットの発射時を彷彿とさせる軌跡を絨毯は描いている。角度もさることながら速度も尋常ではなく体にかかる重力もすさまじく呼吸もままならない。


「サーシャ、さん。私、限界……かも、です」


 音すらも置いて行っている感覚に襲われている超速にステラの言葉も列車から落とした小物が如く僅かに耳に届く程度で本質は捉えられていない。


「どう、どう」


 リファに刻々と限界が迫っている中サーシャは魔力を集中させた指で絨毯に文字を書くような動作をして操縦しようと試みている。

 グ、……グ、グ、グググ。

 急に重力が発生した感覚があったかと思ったら絨毯の速度はいきなり落ちた。


「ごほ、ごほ、あー、治った!」


 いきなり重力による肺への圧迫が軽減されたことによって呼吸が比べ物にならないほど楽になった。


「ふ~、何とか制御できたみたい」


「時間がかかったな、魔女を名乗るくせに」


「ギ~ル、今の状況はボクが圧倒的に優位になっているんだよ、ボクの魔力を変換して君の体をこの絨毯のくっ付けているんだから、その気になったら落してあげてもいいんだよ」


「はいはい、自重します」


 ただの皮肉を交えた冗談のつもりだったがサーシャから向けられた瞳には温かみはなく冷気しか感じられない。

 それから雑談を交えつつ魔法の絨毯は高度をひたすら上げていく。


「ひ~、高い!」


 気になって下を見たリファは力いっぱいに瞼を閉じて上空を見つめなおした。それにつられてギルも下を覗いてみる。確かに高かった。ついさっきまでいた教会が豆粒のように小さくなっている。

 町が小さくなっていくということは同時に目的地点が近づいていることを示唆していて、気づけば目の前にルクスがいる大きな雲があった。


「到着だね」


 垂直にしていた絨毯の角度を平行に戻して徐行運転的な微速で絨毯を慎重にコントロールして雲に近づく。

 教会の窓からのぞいた時には、それこそ豆粒程度の大きさしかないと思っていたルクスの根城だが、こうしてぎりぎりまで近づくとその大きさがよくわかる。その姿はまるで天空に聳え立つ城でしかない。

 大きな雲と言えば入道雲を連想するかもしれないが、まったく比にならない。真っ白な衣に包まれた城は一切の外界との接触を拒み、悠然とその存在をアピールしている。


「う……寒い」


 ここまで寒さを感じる以前の問題が多発していたことから忘れていたが、ここは地上から遥か高く気温は低く、教会にいたリファのワンピースでは到底敵わない温度だ。

 メイからコートを渡されて着ているものの体は寒さを感じて震えだしている。対してギルとサーシャは身震い一つしていない。


「リファ、よかっただろ、ボク等の言う通りにしていて、じゃなかったら今ごろ冷凍リファの完成だ」


「冗談に聞こえないんでやめてください」


 リファの状況を悟ったサーシャが冗談交じりで話しかけてくる。


「それで、雲まで来たのはいいんですけど、どこから侵入すればいいんですか」


 当然の疑問を口にする。球体の形をした雲には入り口らしい入り口は見つからない。雲の感じを見る限り反対側が見えないためかなり分厚い。


「そこはギルに頑張ってもらおうかな」


「ああ」


 流し目で見るサーシャの期待に応えるように絨毯の上で立ったギルはアルグラードを顕現して正面に構える。


「何をするの」


「この雲を突き破る」


「…………」


 あまりにも単純な作戦で固まったが、一番確実な方法でもあるとサーシャが悟った。


「リファが作った雲は別に鋼の耐久力があるわけじゃない、普通よりちょっと固いだけ、例えるなら雲の上に乗って走り回るくらいしかできないよ」


「雲の上に乗れる時点で世の子供は憧れます」


 十五歳のリファも子供に分類されるのでは……という疑問は置いておく。


「でも大丈夫なんですか? とんでもなく分厚くてギルが途中で挟まって迷子になるとは嫌ですよ」


「安心しなよ、ギルの数少ない長所を生かせる機会なんだからね」


「別にここで強さをアピールしなくても」


「ふふっ、ギルは弱いよ、それこそ兄弟の中で最強のソフィアに比べれば天と地以上に差があるから」


 可笑しそうに笑うサーシャに文句を言いたそうに静かに怒りを溜め込むギルだったが、言って言いることが正論である以上言い返せない状況だ。


「じゃあ、ギルの長所って?」


「突破力さ。雷系魔力をアルグラードに纏わせての一点突破に関しては誰に引けもとらない。ただそれだけなんだけどね」


「おいこらサーシャ。さっきから微妙に棘を入れて来るのやめろ!」


「嫌なら早く突き破ってしまってよ。雲の中に入れば落下する心配もないから思い切って行っちゃって!」


 楽観視して片眼を瞑り、腕を振るって意気揚々とギルの門出を盛り上げている。そんな様子に溜息を吐きつつも神経を集中させて光速をもって、その体を一本の槍と化してルクスの城を崩しにかかる。

 確かに雲と言えば水蒸気の塊で本来硬さという概念が存在しないが、この雲は例外らしくまるですごく硬くしたプリンみたいな感触になっている。しかし、突破力に優れたギルにかかれば達人の瓦割りの如く止まることを知らず突き抜けていく。


「さて、ボク等もそろそろ行こうか」


 それはギルが単身雲の中に入ってから一分が経過したころだった。ギルが突入した場所には大きな穴が開いていて、さながら洞窟に入ると言って方が表現としては近い気がする。


「ドキドキします」


 胸を押さえつつ緊張にからか、寒さからなのか指先が震えている。そんな心情とは関係なくサーシャは絨毯を操り低速で雲の中に入っていく。

 そこは本当に洞窟だった。ギルがあけた穴と言うことで横幅は丁度絨毯が収まるギリギリを極めている。低速で進んでいることもあってリファは絨毯に端に移動すると粗く削られた雲の端に手を触れてみる。

 何度触っても固く、リファの握力をフル動員してもその形に変化を与えることは出来ない。だけど、サーシャも同じように時折触っていることがあるが、その時は、僅かに雲はへこんでいるため印象としては雲を固めた感じであると判断した。

 雲の洞窟を進み続けて早数分、道中で「ギルが力尽きて倒れているかもしれないね」なんてサーシャが言うから神経質になって見渡していたが、そんなことはなく分厚い雲に覆われて暗かった洞窟に一筋の光が差し込んだ。


「出口ですね」


 人は光を求める習性でもあるのか、暗い場所に閉じ込められるよりも、明るい場所にいたいと願うし、暗い場所をさまよっていたときに巡り合った光は奇跡とも揶揄される。


「これで終わったのか、始まったのか微妙なところだけど」


 意味深なことを言いつつも慎重に絨毯は進んでいき、ついに洞窟を攻略して光の向こう側へと突き抜ける。


「う、……眩しい」


 洞窟が終えた先は奇妙な場所だった。周りは同じ雲で覆われているにもかかわらずこの場所は異様に明るい。それに、ドーム状になった一面の雲海が広がっている。その規模も計り知れず、地平線、水平線ならぬ雲平線が見えている。

 サーシャは絨毯から降りて、ステラにも降りるように促す。最初にサーシャが下りたことによって地面に垂直落下する恐れはないと断言できるが、正直それでも怖かった。

 絨毯にしがみつき片足だけまず雲につけた。ちょんちょんと足先で安全かどうかを確認して固い感触が確かめられると片足だけぺったりと雲につける。そこまですれば後は簡単だ。流れに任せて体全体を雲に委ねる。


「おぉ……」


 思わず、感嘆の言葉が漏れ出してしまった。それだけ雲の上に立つということは感慨深いのだろう。


「絨毯もお疲れさま」


 そういうとサーシャは絨毯を自分が作った別の時空間に放り込んだ。終焉の森の入ったギル達に仕掛けた悪戯の極小版である。さすがに質量が大きすぎるものは無理だがこの程度のならしまって置ける。


「次はっと」


 真っ白い雲は光を嫌と言う程に反射させて目の平衡感覚が失われそうだが、なんとか維持して辺りを見渡してみると一つの影があった。


「ギル見っけ」


 リファと共に駆けつけてみると疲れ切ったのか寝そべっているギルの姿がある。近づいて行くと向こうも感づいたのか手を挙げて反応した。しかし、起き上がるそぶりを見せない、寒さは魔力をカバーできるがここは地上からはるか上空、薄まる酸素にさすがにギルも音を上げている様子だった。


「先にルクスの話をつけに言ってくれていた方がボクとしては嬉しかったかな」


「もし今あいつが不機嫌だったら確実に交渉が決裂する自信があった。それに脳に酸素が足りない」


「もっと修行が必要なんじゃない」


「この広い雲のどこにいるんですか?」


 話がここままだと進まない気がしたリファが課題を変える。


「あそこ」


「――あ」


 リファの問いかけに答えたサーシャはある一か所を指さす。そこには神秘的な雲の上のはずだが、場違いな建築物、そう、家があった。それも、原材料百パーセント雲で構成されたお菓子の家ならぬ雲の家がそこにあった。

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