最終話 

〇  満華side


ど、どうして……彼がここにいるの?

せっかく、最近は思い出すことも少なくなってきたのに。

ようやく、乗り越えようと。

そうしようと必死に頑張っていたところだったのに。


どうして。


もう、許してよ。



〇 拓実side



夏休みのとある夜。

机に向かい参考書と睨めっこしているところで、スマホの着信音がなった。

友達はさほど多くはないが一定数はいる。L〇NEでやり取りしたりはするが電話をかけてくる奴は滅多にいない。家族間でさえあまり使用しないので着信音というのは耳が慣れてない。

アラームを変な時間に設定してしまったかと最初は思っていたが、スマホを覗くと愛奈さんから電話がかかってきていた。


え?こんな時間に?

いったい何用で?


言っておくが星野姉妹とはあの日以来一度も連絡をとっていない。

星野のお父さんが書類に記入事項を記載しに一度だけ事務所を訪れていたらしいが、それ以外で星野家との交流はなかった。


なにか、忘れ物があったりしたなんてことないよな…?


心当たりがない着信に頭を悩ませながら取り敢えず電話にでる。


「もしもし?」


「あー、やっとでた。おひさだね。たーくん」


「お久しぶりです。相変わらず、その呼び名変えてくれないんですね」


「えー?たーくんは変えてほしいのぉ?」


「いえ、もうなんとも思わなくなったんで問題ないですよ」


「え~?ほんとかな~?嬉しくて口元ゆるんだりない?」


「眠たくて緩みそうではありますね。ところでこんな時間にどうしたんですか?」


「ううっ…露骨な話題転換…お姉ちゃんとは喋りたくないの~?」


「喋るも喋らないも愛奈さんが連絡してくるなんて珍しいじゃないですか。もしかして、飲んでます?」


「ん~?飲んでらいよー?」


「クロですね。わかりました」


「ちょっとだけらってぇ」


「ちょっとでそんなに呂律怪しくなんないでしょ…」


「ほんとにちょっとらもん」


ほろ酔いだけど絶対わざとだなこれ。


「はいはい。わかりました。今日はどうしたんですか?」


「え~?それはねぇ……ちょっと寂しくなっちゃって……」


「……見え透いた嘘はやめてください」


「あれれ?バレちゃった?」


「そりゃバレますよ。だって、愛奈さんの場合、そういうのはあいつにやるのが大半じゃないですか」


「お~!せーかい!さすが、私のたーくんだ」


「あなたのものになった覚えはありません」


「えええ!!た、たーくんって私のものじゃないのぉ!?」


「なに当たりまえなこと言ってるんですか…もしかしてガチでダル絡みしに来ただけだったりします?」


「うんって言ったら?」


「即切ります」


「……つめたいなぁ」


「そういうことは俺じゃなくて、他の人にやってくださいよ」


「やーだ。だって、たーくんはイジリ甲斐があるし」


「人をおもちゃにして遊ばないでください」


「あはは、ごめんごめん。でもね?たーくんの声が聞きたくなったのはホントだよ?」


「――っ、そ、そうですか」


「あ?もしかして照れた?いま照れたでしょ?」


「…照れてないです」


「ウソだね」


「ほんとです。それより要件があるなら早く言ってください。ないなら切りますよ?」


「ちぇー…もうちょっと遊びたかったのに……しょうがないなぁ。たーくんったらほんとせっかちなんだから…」


「愛奈さん?」


「わかってるってば!!実はたーくんに頼みたいことがあって電話したの」


「頼みたいこと?」


「うん」


「それってなんですか?」


「それはねぇ…――」




「た、たくみ…?」


人々の喧騒に紛れて俺を呼ぶ声がする。

電話に集中していたため気のせいかと思ったが確かにその声は聞き覚えがあって、声のする方をゆっくり向いてみるとそこには彼女がいた。


「え……?ほしの?」


どうして、俺の目の前に星野がいるんだ?

今日は愛奈さんの付き合いで祭りにきたはずだったのに。

結局、昨日の電話は愛奈さんからの祭りのお誘いだった。

とは言っても、デートとかそんなものではなくて俺は単なる荷物持ち要因。

愛奈さんが祭りで買いたいものがたくさんあるらしく、それを持つのを手伝うために祭り会場の神社に来て待ち合わせ場所で待っていたのだが、そこにいたのは愛奈さんではなく星野満華。妹の方だった。


愛奈さんが待ち合わせ場所に一向に来ないことを不思議に思って連絡をしてみたところ急用で来れないとふざけたドタキャンを喰らっていたときだった。

電話越しでは、愛奈さんと繋がっていて、目の前には星野がいる。

俺には、もうなにがなんだかわからなった。


「んん?たーくん、どうしたのかな?」


俺が星野の名前を呼んだ瞬間、露骨に愛奈さんの声色が変わった。


「いやぁ……俺の目の前にあなたの妹がいるんですけど……これって一体どういうことですか?」


「それって、たーくんの目の前に満華がいるということで間違いない?」


「はいそうですけど…」


「そっか。なら、満華ちゃんにも話したいことがあるからスピーカー音声にしてくれない?」


祭り会場ということで人々が賑わいを見せている。

もう既に十分なくらい騒がしくはあったので迷惑にはならないと思い、俺は通話をスピーカー音声に切り替えた。



〇   満華side



「ほら、なんか愛奈さんがお前にも話があるってさ?」


「え?お姉ちゃんが?」


隣にいた拓実がスマホを近づけてくる。そこに表示されている名前は星野愛奈。

拓実の電話相手は、まさかのお姉ちゃんだった。

先程から拓実が来るの来ないの云々言っていたから、誰かと待ち合わせしているのはおおよそ察しがついたが、その相手がお姉ちゃんだったとは。

でも、どうして拓実とお姉ちゃんが一緒に祭りに?

私と行く話はどうなったの?


こちらとしてはまったく状況が呑み込めていなかったが、それは拓実も同じようだった。


「もしもし?お姉ちゃん?」


「あ!満華ちゃん?やっほー!」


「やっほーじゃないでしょ!?お姉ちゃん!祭りには私と来るんじゃなかったの?」


「え?星野も愛奈さんと来るつもりだったのか?」


「うん、屋台とか巡って夕食(誕生会の)買うつもりだった。拓実は?」


「俺は愛奈さんに荷物持ちとして助っ人を頼まれて…」


「ってことらしいですけど、お姉ちゃん?これって一体どういうこと?」


「あははは…」


私が問い詰めるとお姉ちゃんは観念したようで話の経緯を話し始めた。


「――つまり、三人で屋台を巡りたかったと?」


「うん、そうなの!私たちってあんな感じで別れちゃったけど、別に仲が悪くなったわけじゃないじゃん?それなら、友達同士でひと夏の思い出づくりなんてしてもいいんじゃないかなぁって」


「そしたら、当日になって愛奈さんの急用が入り、俺たち二人だけがこの場に集まったと」


「うん、そういうこと。」


「ど、どうして私に内緒にしてたの?」


「そ、そうですよ!別に隠しておく必要なくないですか?」


それならもっと、はやく。

先に教えてくれていたら、こんなに慌てることはなかった。

初めから気持ちを作っておけば。

同級生と屋台を回るだけだと自分に言い聞かせられてたら。

今の私はこんなにドキドキする必要なんてなかったのに。


「だって言ったら――サプライズが台無しになるでしょ?」


「「さぷらいず?」」


「そう!一度ここで二人の驚く姿が見たかったんだぁ~!まぁ、それは私の急用によって潰えちゃいましたが……てことで、せっかく集まったんだし、二人で屋台巡りしてきなよ?」


「ふ、ふたりで!?」


「うん。満華ちゃんはお使い。たーくんはそのまま荷物持ち兼満華ちゃんのボディーガードってことで。何か問題あるかな?」


「問題はないけど…でも……」


「別に俺はいいですよ」


「え?たくみ?ほんとにいいの?」


「もともと荷物持ちとして呼ばれてるからな。ここで俺が帰ったら星野が大変な思いするだろうし」


「おー、たーくんってば、おとこまえ~!さすが、私が見込んだだけはある」


「だれ目線なんですかそれは」


「まあまあ、なんだっていいじゃないか!それでは、たーくん!満華ちゃんのこと頼んだよ?」


それだけを言い残して、お姉ちゃんは一方的に電話を切ってしまった。

この場に私たちだけが取り残される。

こうして、二人きりというのはあの日以来だ。

余計なことは考えないようにしていたのに、無意識に浮かんできてしまう。

顔は朱くないだろうか。汗をかいていないだろうか。

今日のコーデは彼にとってどう見えているのか。

彼とちゃんとお話しできるだろうか。

普段ならこんなこと考えないのに。


速くなる鼓動。もう止め方なんてわかんない。

ただ、できるのは彼に悟られないようにするくらい。

この無言の時間をどうにか打開したい、だけどなんて言っていいかわかんない。

頭を悩ませているときだった。


「じゃ、適当に行くか?」


彼の方から、話しかけてくれた。


「う、うん」


私は一つ頷く。


「そう言えば、なにを買うとかまったく知らされてないんだけど。星野知ってるか?」


「えっとねぇ…確か—―」


よかった。ちゃんと普通に喋れてる。

これなら、きっと大丈夫なはず。


大丈夫だよね。




〇 拓実side




「うわ…こういうところって久々にきたけど、予想以上に人口密度えぐいな……」


「そうね…去年もきたけど、今年の方が多い気がする」


市内最大規模の祭りとはいえ、花火大会などの催し物などは一切なく、ただ屋台と山車があるだけだというのにこの賑わい具合はどう考えても以上だ。

屋台に並ぶ人々で神社の参道は混雑しており、数メートル進むのでさえ容易でない。


「屋台に並ぶのは、もう少し人が少なくなってからでもいいかもな…」


「確かに、この込み具合で並ぶのは避けた方がよさそうね」


この混雑具合だ。

いま仮に屋台に並んだとして一つ買うのにいったいどれぐらいの時間を費やしまうのだろうか。どうなるかは、想像に容易い。

無理に並んで時間を無駄に消費するくらいなら、人が減るのを待った方がよい。

もう少しで時刻は18時に差し掛かろうとしている。

小学生や中学生はこれ以降この場に留まると補導されてしまうため、帰らなくてはならない。

そうすれば、少しは混雑も解消するだろう。

問題は人が少なくなるまでなにをして時間を潰すかだ。

神社周辺が会場なので練り歩けばそうとう時間を潰すことができる。

しかし、進むのでさえ難儀しているのに果たして練り歩くことなんてできるのだろうか。

ああでもないこうでもないと頭を悩ませていると、


「ねえ、たくみ。神社の本殿に行ってお参りしてこない?」


「お参り?」


「うん。だって、ここは本来お参りしに来るところでしょ?」


「それはそうだが……混んでるんじゃないか?」


「最近はそうでもないみたい。今の若い人たちはあんまりお参りしないせいか、私が行った去年もそんなに混んでなかったわよ?」


「そうか。それなら、ちょうどいいし、お参りに行くか」


「うん!」


神社の本殿はここからそう離れてはいない。

多少なりと移動するのに難儀するだろうが、ここに留まっても仕方ないので足を動かすことにした。


「あっ、そうだ。星野」


「な、なに?」


「こんなに混んでると、はぐれるかもしれないからさ…その…手繋いでおくか?」


「――へっ!?」


「い、いや別に他意はなくて、その…はぐれると大変だと思って……要らないなら無理にとは言わないけど」


「い、いる!いります…」


「そ、そうか。じゃ、じゃあ繋ぐぞ」


「う、うん」


隣で並んで歩く、星野の手をゆっくりと握った。

星野も応えるように優しく握り返した。

変に意識しないように。

だって、これははぐれないようにするためのものなんだから。


「その…もっとちゃんと繋いでくれてもいいけど……」


隣の星野がポツリと呟いた。


「え?」


「ほ、ほら!こんな柔らかい繋ぎ方だとふとした瞬間にはぐれちゃうかもしれないじゃない…」


「そ、そうだな。確かにその通りだ」


先程よりも強く握ると星野も同じように握ってくる。

そして、ピタリと肩を寄せてきた。


「ほ、ほしの?」


「……はぐれないようにするためだから」


「そ、そうだよな」


俯いているから、表情はわからない。

だけど、おそらく平常心ではないのだろう。

だって、少なくとも俺はこんなにドキドキしているのだから。


〇  満華side


そっと握られた手。彼の温度が私に伝わる。

視線を向けずとも感じる手先の感覚。

口ではそんな素振りを見せないが相手をそっと気遣う。

そんな触れ方。

出会ったばかりのあの日もそうだった。

懐かしさも覚えるが、この胸の高鳴りはあの頃にはなかったものだ。

当然、こんな状態では彼の顔をまともに見る事なんて出来やしない。


もう気づかれたくないの。終わりにしたいの。だって私たちは友人。

さっきは誘惑に負けちゃったけど、もう贅沢は言わないから。

お願いだから、この瞬間がずっと早く続き終わりますように。



「そう言えば、さっきのお参りの時かなりの時間手を合わせてたけどあれってなにお願いしてたんだ?」


二人で本殿でお参りした後、屋台巡りのため参道を練り歩いていたが、ふとした時拓実が尋ねてきた。


「へっ?お願い?」


「そうだけど、なんでそんなに動揺しているんだよ?」


「…べ、別になんでもない。それにお願いだって私の普通のお願い」


ウソである。

本当は質、量ともに過去一欲張ったお願いをしたかもしれない。

だけど、本当のことなんて本人が目の前にいることもあって正直に言えるわけもなく。

咄嗟に私は誤魔化した。動揺していたのは彼に見抜かれていたようだが、彼は「ふーん」と言ってこれ以上追及してくることはなかった。


「逆にたくみはどんなお願いしてたの?一瞬でいなくなったわよね?」


ずっと手を合わせてた私とは異なり拓実が手を合わせている時間はとても短かった。


「こういうところでは一つだけしかお願いしないからな。家族と一緒に行くときもいつも俺が一番早い」


「へぇ…そうなんだ。わたしは逆ね、あれもこれも願っちゃう」


今回は不在のお姉ちゃんの分もやってしまった。

きっと神様はメモ帳片手に私の話を聞いてたに違いない。


「欲張るといま自分が叶えたい願いが叶わなくなるかもしれないしな」


「え?そういう説って実際あったりするのかしら」


だとしたら、戻って訂正してきたいけど。


「完全に持論だ。どこかにはそういうのもあるかも知れないが、少なくとも身近では聞いたことがない」


「…それならよかったけど」


「なんだよ、後悔するほどお願いしたのか?」


「わるい?悩める女子高生なんだから仕方ないでしょ?」


「お前からそんな自虐が出るなんて珍しいな、どうした?どっか悪いのか?」


「し、失礼ねっ。わたしだって冗談のひとつやふたつ普通に言うわよ」


「覚えてるかぎり一回もないけど……」


「う、うるさいっ……もうわたしのことはいいから、たくみはなにお願いしたの?さっきから露骨に話題逸らそうとしてるの知ってるんだから」


「バレてたか……」


「当たり前でしょ……どれだけいると思ってるの」


我ながら恥ずかしいことを言ったと後悔した。

でも、拓実は


「こうやって話すようになってからは半年だな……」


まるであの頃を懐かしむかのようにどこか遠くを見てポツリと呟く。


「――っ」


「結構長く続いたもんだよな」


「うん」


それは、私も同じ思いだった。

最初の頃の私に半年後まだ彼を家事代行として雇って、そのうえ彼のことを好きになっていたなんて言っても全然信じてもらえないだろう。

おそらく、私なら「アイツを好きになるとか頭おかしくなったんじゃないの?」とか普通に言いそうだ。


だけど、それが真実。

なるべくしてなった結果。

後悔なんて微塵もない。


「あのさ……」


「なんだよ……」


「あの日、たくみはここが一番楽しかったって言ってくれたわよね」


「ああ…そうだな」


あれは、私にとって忘れがたい日。

きっと、これからも鮮明に残り続けるだろう。

ツラいことの方が多かったけど、嬉しいことだってたくさんあった。

彼は伝えてくれたのに私は言えてないこともあった。

だから、今ここで。これだけは。


「わたしも楽しかったわよ。たくみと一緒にいるの」


「――っ、そ、そっか」


「うん……」


「――――」


「—―――」


「あついな」


「あついわね」


「屋台に並ぶか。人も少なくなってきた」


「うん」


ゆっくりと彼が歩き出す。つないだ手にひかれるように私も一歩を踏みだした。

結局のところ、彼の願いは聞けずじまいだったけど。


横目に見た彼のあの顔でいまは充分。

これ以上は贅沢だ。


〇  拓実side



「荷物持ちって言われたからどんなものかと思ってきてみたら片手に収まるほどか……荷物持ちっていったい……」


愛奈さんから頼まれたものを購入するため、あれから星野と何件か屋台を回ったがジャンクフードがほとんどで、持ってきたマイバック一つにすべて入ってしまった。


「わたしにはボディーガードって言ってたからお姉ちゃんからしてみたら、荷物持ちは誘い出す口実でしかなかったんじゃない?」


確かに、二人で祭りに行こうと誘われていたら丁重にお断りしていただろうから、愛奈さんの目論見通りだったろう。


「みごとに掌の上てで転がされてたわね」


「屈辱的なほどにな」


「ふふん…同士ができる案外っていいものね」


そういう星野は何故だか楽しそうだ。


「てか、愛奈さん明日誕生日だったんだな。俺、愛奈さんと喋ってるときおめでとうの一つも言ってなかったけどひょっとしてマズいかこれ」


これは、屋台巡りの時に星野から教えてもらったことだ。

どうして焼きそばなどのB級グルメ、フライドポテトなどのジャンクフードなんて買い込むのか疑問に思っていたが、ちゃんとしたわけがあったらしい。


「別にそんなことお姉ちゃんは気にしないわよ寧ろ言ってたら

『え~?たーくんってば、わたしが誕生日教えてないのにどうして知ってるのぉ?まさか、気になって調べちゃったとか?もぉー、ほんとにたーくんはお姉ちゃんのこと好きなんだからぁ』って言うわよ?」


「無駄に解像度高いのやめてくれ、ほんとに言いそう…ってか絶対言うわ」


「おもちゃ判定受けててよかったわね。わたしと同じであの人から一生逃げられないから」


「だから、同じ境遇の奴見つけて悪い顔するのやめろ。断固として俺は認めないからな?」


あんなの愛奈さんに毎日のようにいじられる?

冗談じゃない。


強く抗議していたが隣の星野は「ふふ、いつまでそう言っていられるかしらね」と何故か諦観と同情の眼差しで悪役じみた台詞を吐いていた。


それから、しばらく歩くと見覚えのある景色が目の前に現れてきた。

ここに来たのは、あの日以来だ。

もう、すでに懐かしささえ覚える。


「ありがと、ここまででいいわ」


マンションの下についたとき、立ち止まって星野が言った。


「そうか。じゃあ、これよろしくな」


と言って肩にかけていた荷物を星野に渡そうとした時だった。


「ほしの?」


どういうわけか、星野はまったく動かない。

石化した人のようにただその場に立っているだけだ。

隣にいたため、俺からでは少し俯いている彼女の表情はわからない。


「どうしよう――」


「ほしの?」


一瞬、彼女が呟いたかに思えた。

だが、それはあまりにも小さい声で空耳だったのかもしれない。

すこしの静寂が俺たちの間で流れた。

その間、星野は震えていた。なにかを必死に抑えているように見えた。

心配して何度か声を掛けたが彼女からの応答はない。


だが、少し経つとポツリと…


「ねぇ、たくみ」


「ん?」


「あの日さ、電話越しに私にこう言ったわよね『どんな悩みでも解決してやる』って」


「ああ」


すると、星野は顔を上げて俺にこう言った。


「――いまさ、わたし。

どうしてもこの繋いだ手が離せないんだけど、どうしたらいい?」


必死に作り笑う星野。

その彼女の瞳は真っ赤に染まり大量の涙が溢れだしていた。


〇 満華side



感情の制御は幼い頃より得意だった。

昔ながらの家に生まれ、親は歯科医と元国家公務員。

由緒ある家の娘だからと幼少期から沢山の習い事を掛け持ちしていた。

マナーや他人に対しての立ち振る舞いも厳しく指導された。

星野家の人間として恥じない人へ。

他人の理想を壊さないために完璧を演じ、自我を抑え込むのは得意だった。

それは、今でも変わってない。

変わってないはずなのに。


わたしはいま、どうして声を震わせているの?


今のこの関係を受け入れたはずなのに。

もう贅沢は言わないと決めたはずなのに。


我慢することだって得意だったはずなのに。


どうしてわたしは、彼に言い逃れのできないようなことを言ってしまうの?


どうして、涙を流し彼を見つめる事しかできないの?


そして、どうしてあなたも

――そんなに悲しそうな笑みを浮かべているの?


〇  拓実side


「――いまさ、わたし。

どうしてもこの繋いだ手が離せないんだけど、どうしたらいい?」


街灯に照らし出される彼女の小さな顔。

そこから、無数の涙がぽたぽたと零れ落ちていく。

やがて、その涙は頬から流れ落ち地面を濡らした。

その刹那の俺はというと彼女から一瞬も目が離せなかった。




どういう意図で彼女がこの言葉を使ったのか。

俺にどう言ってほしいのか。

ここまでくれば、おのずと気づいてしまう。

彼女がいまどんな気持ちなのか。


おそらく、俺が彼女に抱いている気持ちと同じだ。

ここで別れるのが心の奥底では惜しくて惜しくてたまらない。

できるならば。叶うならば。一緒に居たい。

願わくば、もっとちゃんとした関係で。


二人の間に在った気持ちはなに一つとして違っていない。

現象としてその場に現れたのは、

ただ、蓄積された時間、想いの差でしかなかった。


不意に漏れたその想いが堰を切ったかのように溢れ出す。

それに共鳴するかのように、こみ上げてくるものがあった。


今度は自分の意志で彼女を見つめ返す。


前々から考えていた。

どんなシチュエーションでどんな言葉を紡ぎ。

どうやってこの想いを伝えたらいいのか。


この状況は、俺が当初立てていた計画とは異なる。

だけど、それでいい。これがいい。

きっと、考えられて練り上げられた言葉なんて。

機械的にしかならないんだから。


「別に離す必要なんてないだろ」


「―――え?」


「俺だってできるなら離したくなんてなかった」


「それってどういう―――」


彼女がすべて言ってしまう前に。

この気持ちの正体を初めて口にする。


「お前が好きってことだ」


〇  満華side


それは、わたしにとってあまりにも都合のいい言葉だった。

思わず幻聴を疑いたくなってしまうほどの。


もうとっくに脳は理解し、身体は反応を見せているというのに。

わたしだけが未だに信じられていない。


スキ?たくみが?わたしのことを?


感情が芽生えたロボットのように心の奥底で呟く。


どういうこと、わかんない。

取り敢えず、この曇った視界を何とかしないと。

そうしないと、拓実の真意が分からない。

滲んで朧げな視界を無理やりクリアにすることにした。

なにもかも真っ白になり私は本能で動いていた。

彼に抱き着くという手段で。


「おわっ…いきなりなにすんだよ」


彼は横から飛び込んできたわたしを驚きつつもしっかりと受け止めた。


「なにって……」


どうして彼の胸にわたしは収まっているんだろう。

いや、もうそんなことわかってる。とうの昔にわかってた。

ここが一番好きな場所だからだ。


「――ごめんなさい、嬉しくて涙が止まらないからたくみの服で拭こうと思って」


「ふざけんな、俺の服はお前のハンカチじゃない」


そう言いつつも引き離そうとしない拓実に俯きながらも笑みを零す。

そして、ゆっくりと彼の背中に手を回した。


「もうすこしこのままいていい?」


「ああ」


「ありがとう」


彼の洋服に私の涙滴がついてしまわないように気をつけながらこつんと彼の胸に頭をつけた。

この現実をゆっくりと噛みしめる。

また涙が溢れてきたが今度は、彼が背中を摩ってくれた。

もう、大丈夫だと言わんばかりに。


「わたし、たくみとはお友達でいなきゃって思ってた」


「俺もだ」


「どうしてかしらね。最初会ったときはこうなるなんて微塵も思ってなかったのに」


「全くの同意見だ。ほんとに意味がわからん。だけど、俺の本音はさっき言ったとおりだ。その…なんだ、お前に関しては別にもう反応でわかるし、恥ずかしいなら無理しなくていいぞ」


恥ずかしい?そんなの当たり前だ。

彼の腕の中にいるいまだってとっても恥ずかしい。


でもそれ以上に、わたしだって言いたいことがある。


「たくみ?」


「なんだ?」


俯いていた顔をあげると、すぐ目の前に拓実がいた。

どうせんだ。わたしは、今も拓実の腕の中にいる。


「そのままじっとしてて…」


「わ、わかった…」


わたしは彼の肩に手を乗せ、かかとを浮かせた。

そのまま―――


街灯に照らされたふたつの影がようやく離れると、私はなにが起きたのかまだ理解していない表情で立ち尽くしている拓実に向かって泣き笑いしたひどい顔でこう言うのだ。


「――わたしもあなたのことが好き」


――と。



〇 last episode


夏休みというのは一見長いように見えて実際には一瞬だということをみんなは知っているだろうか?

仮にこんな記事をネットとかで見つけたりしていたらきっと現実逃避だなとか鼻で笑っていただろうが、今日だけは首を全力で縦に振らせて頂きたい。

生活習慣の乱れというものは本当に恐ろしい。


それを俺はいま身をもって体験している。


「二学期初日から遅刻しそうとかどうなってんだよ俺ぇぇぇぇ!」


自転車で通学路をかっ飛ばす。

法定速度?知らないな。

俺の通学路にそんなものは存在しない。

けど、いま立て込んでるからお巡りさんはちょっと勘弁ね?



そんな感じで新学期早々自転車競技しながらの登校だったが結果で言えば、ギリギリ間に合った。

汗だくになりながらも席について午前の授業を受け、今は昼休みだ。


俺は、友人の滝路からの飯の誘いをひらりと軽やかに交わして誰も使っていない空き教室で彼女とお弁当を食べていた。


「どう?朝から早起きして頑張って作ってみたんだけど……」


「うん。普通にうまい…なんか涙出てきた」


「そこまで!?」


「うん…星野が順当に成長してくれて俺はうれしいよ」


「そっち!?わたしのお弁当を食べられたことじゃなくて?」


「あ…。こほん、当然だけどそっちの意味でも涙が出てたんだよ。言うまでもないことかと思って言わなかっただけだ。うん。そうだ」


「絶対うそでしょ」


「うそなわけあるか、見てみろよこの純粋無垢な目を」


「どうやったらこうなるのか知りたいくらいの真っ黒具合よ」


星野は頭を押さえて深くため息を吐く。

どうやら呆れられているようだ。心外だな。


「それと、さっきからずっと思ってたけどわたしのこと星野っていうのやめて」


「えっ……?言ってたか?」


「言ってたわよ。ちゃんと下の名前で呼び合うってことにしたんだからちゃんとしなさい」


「わるい、長い間名字呼びだったからまだ慣れなくてな、気を付けるよ


「――っ、と、とうぜんでしょ」


「お?まさか、照れてんのか?」


「て、照れてるわけないでしょ!ばかじゃないの!?」


「そうか……照れてないのか。かわいいって言おうと思ったのに……」


「そ、それは、その――言いなさいよ」


「なんか言ったか?」


「な、なんでもないっ!今日はバツとして夜ご飯作ってもらうから!」


「よるごはん!?満華の家でか?」


「あたりまえでしょ?」


「でも……」


関係ができた今でもあれ以来、満華の家には足を踏み入れていなかった。

しかし、そんな懸念を吹き飛ばすように彼女はこう言う。


「わたしは、家事代行じゃなくてを家に招待するだけなの。そこに何も問題なんてないでしょ?」


――と。


―――――――――――――――――――――――――

これにて一旦完結となります。

まずは、一年という長い間お付き合い頂きありがとうございました。

初めはブランク解消程度の軽い気持ちで始めたものでしたが、読者の皆様に支えられここまで来ることができました。

改めてお礼を述べさせて頂きたいと思います。

作風的にも人を選ぶ作品だというのは投稿前から理解しておりましたし、自分の力不足が原因で後悔した箇所も多々あります。

ここで出た課題は次回への教訓としていきます。

投稿再開のときに軽く触れましたが、新作を書く気ではいます。

しかし、まとまった時間がとれるかは未だに不透明なのでこの作品の後日談を書くのが優先されるかもしれません。(現時点では完結表記にしておりますが、後日談を投稿するとき元に戻します)

一応、新作は候補がふたつあります。どちらもヒロイン一強系です。

もし投稿しているのを見かけたら読んでやってください。(作者が喜びます)

コメント欄を解放するので、コメント、評価など諸々お待ちしております。
























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