第111話 目が覚めて

 

 目を開けて一番に視界に飛び込んできたのは双子の従者達だった。

 

「気がつかれましたか?」

「もう三日も眠っていらしたのですよ」


 椋と柊が安堵の表情を浮かべて言う。


「三日もか?」


 鳳珠はまだ重たい身体をゆっくりと起こす。

 ふと、自然に額に手が伸びた。

 何だが柔らかい感触があった気がしたが、気のせいかもしれない。


「大丈夫ですか?」


 心配そうな顔で椋が言う。


 そう言えば…………。

鳳珠はふと思い出す。

死神を見たのだ。

 危うく三途の川を渡り、あの世へ行くところだったのだから、あまり大丈夫ではない。



 それも酷く魅力的な死神だったというのは心の中にしまっておく。


しかし、あの死神女から蒼子と同じ香の匂いを感じたのは何故か。


ふと、蒼子がいないことに気づく。


 一度訪れているので、自分がいる場所が呂家の本家であることは理解した。


 そしてキョロキョロと辺りを見渡し、蒼子の姿を探すもこの部屋にはいないようだ。


「蒼子は? 紅玉と一緒か?」



 早く、あの小さな身体を抱き締めて癒されたいというのに肝心な時に側にいない。


鳳珠の中に小さな不満が生まれる。


「そ……そうですね……ご一緒かと」

「えぇ……ご一緒です。今頃馬車で移動中かと」


 言いにくそうに視線を逸らして椋と柊は告げる。


 その言葉の意味を理解するのに鳳珠は少し時間を要した。


「…………何だって? 馬車でどこへ行ったと?」


 まさか、いつぞやと同じく私が寝ている間に王都へ帰ったと言うのではないだろうな?


 既視感に襲われた鳳珠は二人に問う。


「「………………」」


 鳳珠の問い掛けを正確に読み取っ双子は視線を逸らせたまま沈黙する。


「おい⁉ まさか、本当に帰ったのか⁉ 私を置いて⁉」


 鳳珠は信じられず、思わず声を荒げる。


 以前も同じようなことがあった。

 しかし、今は色々と状況が違う。

 帝の命を受けて共にこの地へ来たのだから、倒れた自分を慮って側にいて然るべきだろう。


 いや、神女としての火急の事情があるのかもしれぬ。


 決して自分だけさっさと帰ったわけではないと思いたい。

 いや、そう信じたい。


「蒼子様は『あとは二人で事足りる』と言って先に帰られました」


 鳳珠の淡い期待は椋の言葉で打ち砕かれる。


 もう少し私の身を案じる素振りはなかったのか。

 何故、そんなにも素っ気なく私を置いていけるんだ、あの娘は。


 悲しさと憤りが交じり、虚しさが広がっていく。

 そして気付いた。


「これが『娘につれなくされる父親』の気分か……」


 何て世知辛いのだろうか。

 世の中の娘を持つ父親達は皆がこんなにも切ない思いをしているのだろうか。


 娘の為に死ぬつもりで戦地に赴いたというのに、何て素っ気ないのだろうか。


「いつまでその設定を引き摺っているんです?」


 柊は憐れむような目で鳳珠を見つめるがそんな柊の言葉は耳に残らない。

 


「蒼子様もお忙しいのですよ。この町はこれから大きく変わります。その件ですぐに皇帝と神殿に報告に行かねばならないと仰ってました」


「私が起きてからでもいいだろう」


 椋の言葉に鳳珠は不貞腐れたように言う。


「蒼子様は『帝への報告は済ませておくので、ゆっくり養生してから王都へ戻られよ』とも仰ってましたよ」


「本当か⁉」


 柊の言葉に先ほどまで沈んでいた心が一気に浮上する。

 少年のようにキラキラと表情を輝かせて、あからさまに機嫌を良くした主に双子は無言になる。


 女一人にここまで振り回されてどうするのか、と内心思う。

 しかしそれが蒼子であるならば仕方がないような気もしている。


「そう言えば、あれからどうなった?」


 思い出したように鳳珠が言うので双子は小さく息をつく。

 普通であればそれを一番に訊ねるだろうに、と。


「全く……本当に危なかったんですよ。命の危機でした。蛇神様は鳳様を喰らうことで今まで蓄積した穢れを払おうとしていたそうです。蒼子様が交渉を持ち掛け、その交渉は成功しました。腕をご覧ください」


 柊は鳳珠の腕に視線を向ける。

 鳳珠は自分で服の袖を捲るとそこには何もなかった。


「求婚痣が、ない……」


 確かに刻まれていた求婚痣が消えていた。

 それは蛇神が鳳珠を諦めたことを意味する。



「一体、どんな手を使ったんだ? 蛇は執念深く、交渉は難儀すると言っていたようだが……」


 大人の鳳珠を簡単に捕らえ、苦しめた蛇神をあの小さな神女は一体どうやって説き伏せたのか。


 心底不思議そうな顔をする鳳珠に椋は言う。


「蒼子様が蛇神に差し出したのはこの町です」


「何だって?」


 そこで聞かされたのは鳳珠が意識を失った後の出来事だ。

 蒼子は蛇神にこの町の土地神になる利益を説き、蛇神は統治者として白陽と呂鴈を選び、互いに協力関係になることで交渉を成功させたと言う。


「あんな恐ろしい蛇を土地神にしてこの町は大丈夫なのか?」


 蛇神、雪那に直接苛烈な憎悪をぶつけられ、尚且つ殺されかけた鳳珠はげんなりした顔で言う。


「蒼子様はあの方は弱き者達の心に寄り添える優しい神であり、負の感情を一手に引き受けてしまうくらいお人好しな神だと。この神以上にこの地の神として相応しい神はいないと」


 蒼子は断言したらしい。


 確かに、誤解こそあったが悪い神ではないことは鳳珠にも分かっている。


行き場のない娘たちに居場所を作っていた優しい神だ。


自分を喰らおうとさえしなければ、もっと素直に優しいと思えたが。


人違いをしていた点に関しても紅玉の調査により、蛇神の誤解を解くことができたようだ。



 何はともあれ、もう蛇に付き纏われずに済むことを心底嬉しく思った。


 そして心配事が消え、心が軽くなる。

 そうなれば、すべきことは分かっている。


「おい、私が寝ている間の報告を。することを済ませたらすぐにここを発つ」


 早急に仕事を済ませ、この町を発つ。

 

 何が、『神は伴侶を喰ったりしない』だ。

 危うく喰われるところだったではないか。


 絶対に文句を言ってやる。


 そして自分が寝ている間に勝手に帰ったことに関しても追及してやるつもりでいる。

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