第107話 宮廷三神の権限

 蒼子はいい意味で裏切りを受けた。


 白陽の自らを捧げる発言と蛇神の態度の軟化、これらを合わせて考えられることは生贄の対象の交換だった。


 せっかく誤解が解け、姉弟と叔父の三人での生活が叶うと思ったのに鳳珠を取り返しても結局誰かが傷付く。


 それでは意味がない。

 そう思ったからだ。


「ぼ、僕ですか⁉」


 蛇神に指名されたのは白陽である。


 白陽からは激しい動揺が見て取れた。


「ですが……僕では……」


 戸惑うのも無理はない。

 蛇神に直々にこの町の全権をゆだねられたも同然なのだから。


「おい! 馬鹿を言うな! この町の統治者はこの私だ!」


 黙っていなかったのは勿論呂鄭だ。

 目を吊り上げて蛇神と白陽を交互に睨みつける。


「子供は親に服従するのが当然の義務! 親である私の許しを得ずに勝手に決めるな! おい、白陽! 何をしている、さっさと私を助けろ!!」


呂鄭は滑稽にもまだ白陽を支配しようとする。

紅玉に後ろ手で押さえ付けられたままの呂鄭はやぐらの床から何とか視線を持ち上げて白陽に命じる。


白陽を人買に売ろうとしたくせに、血の繋がりを理由に助かろうとするなど、虫が良すぎる。


蒼子は腹立たしくて胃がムカムカしてくる。

どうしようもない嫌悪感と苛立ちが術として溢れ出そうになる。


しかし、蒼子が行動を起こす前に白陽が動いた。


呂鄭の前に立ち、父親である呂鄭を見下ろす。


「何をしているのろま! 早く助けないか!」


「僕はもうあなたの言いなりにはなりません」


その言葉に呂鄭は呆気に取られた顔をする。

聞き間違いかと、呂鄭は首を傾げた。


「今何と言った?」


 飼い犬に手を嚙まれたことが信じられないらしい。


「もうあなたの言いなりにはならない。呂家の罪は大きい。だからこそ、責任があると思う。僕はこの町を変えるためにこの町の長になる!」


声高らかに白陽は宣言する。

少し緊張気味に声を上擦らせながらも、その意思の強さは瞳に映っていた。


「ふざけたことを! お前にこの町を率いる能力などない!」


まだ少年である白陽に町を束ねるのは並大抵のことではない。

不安もあるだろう。


しかし、悪くはないと蒼子は思う。

少々気弱ではあるが、呂鄭を出し抜こうとする大胆さと、思いっきりの良さ、そして献身的で、弱者に寄り添える優しさがある。


彼ならば良き統治者になれるだろう。

神が選ぶ統治者は能力よりも人柄が重要なのだ。


「よく聞け! 私だからこの町を守ってこれたのだ! この町がこれ程までに栄えたのも偏に私の商才と人脈があってこそ! 何も持たないお前に何ができる!!」


確かに町を動かすという点に関しては白陽では知識も経験もなさすぎる。


「蛇神よ、私から一つ提案がある」


そう言って前に進み出たのは莉玖だ。


『申せ』


「私は硝莉玖。この国で工部尚書を務めている。この白陽は年若く、知識も経験も不足している。そこで、この男。呂鴈との二人体制での統治を提案したい」


 莉玖の言葉に呂鴈は驚き、目を丸くする。

 すると莉玖のことを蛇神はまじまじと見つめ、続きを促す。


「この男は誰よりもこの町の女達、子供達を想い、奮闘した。結果として町を離れなければならなくなったが、この男の訴えがあったからこそ、国の問題として国王陛下が動かれ、今に繋がる。そして、この者は古きを知る者。悲惨な過去を繰り返さない為にもこれからの時代を歩む若者達の良き指針となるだろう」


 未来ある若者達と協力してより良い町にするためにも呂鴈は必要だと莉玖は述べる。


『そなたの提案を受け入れよう』


 そう言って蛇神は呂鴈の方に顔を向けた。

 呂鴈ははっと弾かれたように頭を下げる。


「謹んでお受けいたします」


 呂鴈に習って白陽も勢いよく頭を下げて言う。


「この町の為に、精一杯努めて参ります」


 二人共、この町を変えたいと強く願っていることが伝わってくる。


 「しかし、神女よ。私の記憶では一つの土地を小神域地域とするには神と上位神官神女三名以上の推薦と立ち合いが必要だったはず」


 朱里が神殿に仕えていた頃の記憶を呼び起こしながら言う。


「上位神女であるあなたと言えど、あなたの一存で話を進めるには事が大きいと感じる。それに……神殿は足の引っ張り合いだ」


 神に仕えるとは聞こえはいいが、神殿内は朱里の言う通り、様々な派閥が存在していて、相手を蹴り落とすことに割と容赦がない。上位の神官神女となれば、待遇も良くなり、国からの褒賞も得られるからだ。


 朱里は今回のことが問題視され、蒼子が不利益を被ることを心配してくれているのだろう。


「はははっ! 聞いたか、小娘! この場所のどこに上位の神官神女が三人もいるんだ⁉」


 呂鄭は完全に馬鹿にしたような視線を蒼子に向ける。


「ガキのお遊びもここまでだ! この町は今も昔もこれからも変わらず私のものだ!」


 後ろ手で紅玉に拘束された状態でやぐらの床に膝をついたまま、呂鄭は宣言するように言った。


 呂鄭の不気味な高笑いが響くも、次の瞬間、蒼子の涼やかな言葉により遮られる。


「確かに、一つの土地を小神域地域として承認するには上位神官神女三名以上の推薦と立ち合いが必要だが、それ以外にも小神域地域を承認できる者はいる」


「…………何だって?」


「聞こえなかったか? 小神域地域を承認できる者はまだいると言ったんだ」


 蒼子の言葉を信じられないと言わんばかりの表情で呂鄭は見つめていた。


「それ以外とは……まさか……やはり……あなたは……」


 驚いて目を見開く朱里に蒼子は口元に薄く笑みを浮かべる。

 

 朱里は神殿に勤めていた頃の知識があるので知っている。

 しかし、朱里は小神域地域の承認の儀に立ち会ったことはなく、承認のための権限を行使した例も知らない。


 小神域地域とはこの国でも極わずかな数しかなく、そのほとんどが神が土地やその土地に住まう人々を愛し、信頼関係の元で出来上がった。


今回のように人が神に交渉を持ち掛け、小神域地域を作った例を朱里は知らない。


 小神域地域を作るにはその土地に据える神を人も慎重に見定める必要がある。

 でなければ、多くの人が命を危険に晒されることになる。

 神という人の理から外れた未知の存在に絶対の信用と信頼をおくのは多くの危険性を伴うからだ。


 故に神職としての知識、教養、神力の優れた上位神官神女複数名が熟考した上で、その神にその土地を託せるかどうかが決まるのだ。


 しかし、複数名の審議なしに小神域地域を作り出すことのできる人物が一人だけいる。


 全ての神官神女の頂点に立ち、皇族の命すらも退けることのできる者達。


「神よ、名を」


 蒼子は鈴のような涼し気で美しい声で問う。

 神に問い掛ける蒼子もまた神々しく、神のようである。


『妾は雪那。古よりこの地に住まう水を司る神である』


 「雪那か。良い名だ」


 蒼子は柔らかい表情で言う。

 そうして手に錫杖を掲げて高らかに宣言する。


「宮廷最高三神女、水を司るこの私、硝蒼子がこの土地を神、雪那が統治するものとして承認する」

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