第88話 再登場

「様子が変です」


 紅玉が呂鄭に視線を向けたまま、蒼子に言う。

 蒼子も呂鄭に視線を向けると、呂鄭がブツブツと何かを呟いていた。


 そして建物の中であるはずなのに、服の裾が舞い上がった。

 室内に風が起こり、呂鄭を中心に風が吹き出している。

 

「何をする気だ、呂鄭!」


 声を上げたのは異変に気付いた鳳珠である。


「うあっ!!」

「ぐはっ」


 鳳珠が声を上げたのと同時に、呂鄭の両脇を固めていた莉玖の部下達が何かに弾かれたかのように壁に向かって吹き飛ばされる。

 壁に身体を打ち付けた二人から呻き声が漏れ、そのまま床に倒れ込んだ。


 広間内は騒然として身の危険を感じた者達が一斉に慌てて動き出す。

 あちこちから小さな悲鳴が上がり、広間内は混乱していた。


「どうだ! 見たか!!」


 騒然とする広間の中心で呂鄭は血走った眼で叫んだ。

 

「これが私の風の神力!! 貴様ら如きが縄をかけていい者ではないっ! 今すぐ縄を解かぬか!」


 まるで自分が貴重品のような言い方だ。

 自分がそれほどまでに価値ある人間だと思っているのだろうか。


「この程度の神力で何を偉そうに……」


 いつもこうやって町の者達を脅してきたのだろう。

 大した神力ではないが、力を持たない者からすれば脅威であるし、自分を大きく見せるのは得意そうだ。


 それにしても往生際が悪いのにも程がある。 

 蒼子は頭が痛くなってきた。


 まだ解決しなければならない問題が残っているというのに、こんな奴にこれ以上時間を割きたくないというのが正直な気持ちである。


 痛くなってきたこめかみを揉みほぐしている蒼子に呂鄭は睨んだ。


「この……この程度だと……⁉ ならば私の真の力をみせてくれるわ……!!」


 蒼子の馬鹿にした態度が怒髪天をついたらしい。

 広間の中で再び風が起こり、服の裾や髪を揺らす。

 呂鄭を中心に巻き込むような風の流れが渦のようなものに変わった。


 ガタガタと風が建物を揺らし、埃を巻き上げ、作り出した渦の中に集まっていく。

 そしてその渦が蒼子に向かって動き出す。


「女の身でありながらこの私を侮辱したことを後悔させてやる!」


 呂鄭はなお女を見下す発言をしながら、蒼子に向かって渦を放つ。

 

 蒼子は往生際の悪さと治る気配のない呂鄭の固定概念に呆れながらも痛い目を見てもらういい機会だと思った。


 このまま蒼子の神力をぶつけて、渦を自尊心ごと打ち砕いてしまおう。


 しかしその時、バァン! と何が破裂するような音が轟いた。

 そして先ほどよりもずっと強い風が建物内に入り込む。

 

「きゃあっ」

「うわぁ」


 嵐のような突風が吹き抜け、白燕と白陽が足を取られてよろめいた。


「二人共! 私に掴まりなさい!」


 呂鄭は二人の腕を掴み、自分の元へと引き寄せる。

 踏ん張っていなければ宙に舞い上がってしまうような強力な風はその勢いでバキバキと建物を破壊していく。


「これが、呂鄭の力なのか……?」


 鳳珠は目を丸くして言った。

 鳳珠だけでなく、この場にいる者がみな驚き顔で呂鄭を見た。


 しかし、最も驚いているのは呂鄭本人である。


「そ、そうだ! これが私の力だ!」


 激しく動揺しながら、壊れていく邸を血走った目で追い掛ける。

 

「蒼子様……この気配は」


 紅玉がある一点に視線を向ける。

 蒼子の脇に立ち、警戒しながら腰に差した剣の柄に手を添えた。


「隠れていないで出てこい。これが自分に秘められた真の力だと、目の前の男が痛い勘違いしている」


 蒼子は鼻で笑いながら気配の主に言う。

 するとその言葉に呂鄭は顔を真っ赤にする。


「このガキが!! どこまでこの私を愚弄するつも――――――」


 呂鄭が顔を真っ赤にして蒼子を怒鳴った時、ひゅんっと風を切る音がした。


「ひいっ!!」


 その風はとても鋭利な刃となり、呂鄭の首元を掠めた。


「な……これは……私の、血……血なのか……⁉」


 切れた皮膚に触れ、指先についた血液を凝視した。

 たらりと赤い雫が呪印の側から流れ落ち、呂鄭は自分の血が流れる感触に顔を青する。


 バタン。


 そして失神した。

 あまりにも情けないその様に皆は心の中で嘆息する。

 

 自分よりも弱い者相手にしか強く出れない臆病者なのだ。

 現に話を始めてから呂鄭が噛みつくのは決まって蒼子と見下している兄に対してだけで、鳳珠や莉玖に対しては何も言っていない。

 

 本能的に鳳珠や莉玖には勝てないと理解していたのだろう。

 だからこの中で最も弱そうな蒼子にばかり噛みつき、怒鳴り、虚勢を張って見せたのだ。


 こんな矮小な男に長年苦しめられてきたと女達のことを思うと悔しくてならない。


 床に転がった呂鄭を前に思うことが多い蒼子だが、今はそんな場合ではないと気持ちを切り替える。


 こんなことを考えている間にも邸の壁が崩れ落ち、随分と見通しが良くなってしまった。


「あぁ~、惜しかったなぁ。もう少しだったのに」


 張り詰めた空気の中に能天気な声が響いた。

 その声に皆の視線が集中する。


 長身の頬に傷のある男はまるで散歩でもしに来たかのような軽い足取りで広間の中心まで歩いてくる。


「呪印ももうちょいで完成だったのによ。邪魔してくれたなぁ、神女」


 そう言って白い歯を見せて笑ったのは舞優だった。




 




 

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