第86話 呂家の当主


「さて、呂鴈。そなたにも問う」


 呂鴈は緊張した面持ちで顔を上げた。


「この町はいつからこのような形になっている?」


 いつから呂家の一族が町を牛耳って女や子供を道具のように扱うようになったのかを蒼子は問う。


「はっきりとしたことは分かりませんが…………曾祖父の代からはもうこのような状態だったと聞いております」


「そなたは当主でありながらこの状況を何故放置した?」


 蒼子の咎めるような厳しい声音に呂雁は語り出す。


「ご存じの通り、この町は激しい男尊女卑で年長者が敬われ、家督は長子継承が常識です。私は亡くなった兄達の代わりに父から家督を譲り受けました。しかし、昔から私はこの町の常識が嫌いでした。泣き叫ぶ女性や子供の声があちこちで聞こえてくる……私はそんな町を変えていきたかった。ですが、私は弱過ぎた……」


 呂鴈は切なげな声で語り出す。


「私は子供達の将来のためにもこの町を変えなければと、自分のできることに専念しました。しかし私の考え方はこの町の男達と徹底的に相いれなかった。故に、私は次第に町から孤立し、当主でありながら誰からも見向きもされなくなりました。仕事が滞り、問題ばかり起こる。それが弟を筆頭とする町の者達からの嫌がらせだった」


 弟は古くからの風習を徹底し、町人の支持を受けて町をまとめるようになり、町の風習を真っ向から否定する兄との間には大きな溝ができた。


 世間的には兄の考え方は正しいが、町の風習を否定して排除しようとする兄は町の異物だった。


「嫌がらせは次第に酷くなり、こやつは…………白燕を知り合いにくれてやると言った。当時五十過ぎの妻帯者で八つの娘をやるには適切とは思えない。私は当然反対しました。するとこの男は私が当主としての利権を全て渡し、大人しくこの町を出て行くなら白燕と白陽にだけは手を出さないと……そう言ったのです」


後悔を滲ませて呂雁は告げる。

その声音と表情が彼の心の苦しみを物語っている。


「じゃあ……どうして!? どうして何も言ってくれなかったの!? どうして何も言わずにいなくなったの!? 手紙だって何度も書いたのに返事もくれなかったじゃない!!」


白燕がずっと抱えていた疑問をぶつける。

白陽は叔父が出て行ったのは自分達のためだったと知り、唖然としていた。


「何も言わなかったのは、別れが辛くなるからだ。最後に見るのが二人の笑顔ではなく、二人の泣き顔になるのが耐えられなかった」


「手紙はおそらくこの男の仕業だ。そなたらが書いた手紙は手元に届く前に握り潰されていたのだろう」


鳳珠はそう言って侮蔑の視線で呂鄭を見下ろす。


「そんな…………」


白燕は愕然とて膝から崩れ落ちる。

白燕の中には自分達を捨てた叔父への怒りのようなものがあったのだろう。


守らなくてはならない弟の存在と自分達を見捨て叔父へ憤りと父がいなけなれば帰ってきてくれるという希望を胸に戦ってきたに違いない。


しかし、叔父への怒りは全くの見当違いだったのだから驚いてしまうのも鳳珠は理解できる。


「私は……二人から返事がないのは何も言わずに出て行ったことを怒っているのだろうと思っていた。二人がこんな辛い目に遭っているとも思わなかった……二人は呂家直系の子供で約束をした限りは不当な扱いは受けないだろうと…………どおりで書いても書いても返事が来ないわけだ。弟にとって心境を伺う内容の手紙は都合が悪いものだからな」


 呂鴈は拳を強く握り締め、白燕と白陽に深々と頭を下げた。


「すまなかった、二人共……私が不甲斐ないばかりに、辛い思いをさせてしまった」


「叔父様…………!」

「うっ……………」


 白燕と白陽は堪らずに呂鴈の胸に飛び込む。


「叔父様、ずっと、ずっと会いたかった!」


 白陽の気持ちも白燕が代弁したのだろう。

 白燕の隣で白陽は泣きながら何度も大きく頷いている。


「二人共……本当にすまなかった…………私もずっとずっと寂しかった。会いたかったよ」


 そう言って呂鴈はあまり長くはない腕をめい一杯広げて二人を抱き締める。

 涙に濡れた三人の顔はこの上なく幸福に満ちていた。

 

 少しすると、呂鴈は二人からそっと身体を離した。


「二人だけでなく、この町の被害者全てに謝罪する。一族をまとめ上げる者として至らなかったこと、許してもらえるとは思わないが……本当に申し訳ない」


 呂鴈は一族の者達に見える位置に移動し、膝をついて頭を下げた。

 

「兄上! 我ら一族の直系が下の者に頭を下げるなど、権威が失墜する愚行ですぞ!」


「お前はこの期に及んでまだ守るべき権威があると思っているのか‼」


 頭を上げた呂鴈は弟を怒鳴りつける。


「呂家が守らなければならなかったのは子供達の未来と女性達の自由が脅かされることなく安全生活できる環境だった! 男達は子を成し、育ててくれる性の者達を 脅かし、苦痛を強い、 宝として扱われるべき子供達を支配し、自由を奪った。 弱き者達の苦痛を塗り固めてできたこの町と彼らを支配してきたこの一族に誇るべき権威などありはしない!」


 呂鴈の感情的な声が広間に響き渡った。

 その言葉に蒼子は鳳珠と無言で頷き合う。


「今後、呂家は貴族名簿から名前を消され、この町は犯罪を風習化していたことを世間に公表される。貴様ら大規模犯罪の主犯として緋王の前に引き摺り出されることになる」


「な……なんだと⁉」

「そ、そんな……」


 呂鄭と翔隆は鳳珠の宣言に愕然とする。


「この町は貴族の間でも知る者ぞ知る桃源郷だったようだな。関りのある貴族も芋づる式に罪を問われることだろう」


 町が桃源郷などと呼ばれ、大きくなったのは客がいるからだ。

 需要がなければ供給はおきない。

 茶屋で店主が柊に向けて言った『花買いかい?』という言葉は女を買う目的でこの町を訪れる客がいることを意味している。

 客の中に女子供を買い取る余裕のある金持ち貴族が必ずいるはずだ。


「我らは夢を与える仕事をしていたのです! 遊郭と同じです! 遊郭だって男の欲望のために女を金で買う。彼らと同じだ! 我らが違法だというのであれば彼らとて同じのはずだ!」


 呂鄭が苦し紛れの言い訳をはじめた。

 その様子に皆が呆れ声で溜息を漏らす。



 花街の妓楼は同じように女を商品として女の身体と時間を買う。


 店は女を商品として扱うが、衣食住を保障し、怪我や病気をしないように衛星管理を徹底し、知識や教養を身に付けさせ、商品として価値ある存在になるように投資を行わなければならない。商品であり、稼ぎ手となる女達を大切に扱わなければならず、悪質な客から守る義務も発生する。


 しかしこの町は『花買い』のために、女子供から教育の機会を奪い、所有者を裏切らないように精神的にも肉体的にも苦痛を与えて支配する。

 

 そして所有者の言いなりになる商品を作り、道具として、奴隷として売り捌くのだ。


「やっていることは妓楼と変わらないように思えるが、女達が守られ、尊重される妓楼と女達の人権や尊厳を奪い、無視するこの町では大きく違う。一緒にするな」


「各妓楼では店の規模や妓女の人数に応じて税を課している。この町を一つの妓楼と考え、女と子供の人数から税金を計算すると年間相当な額になる。それが数十年分未払いということになる。どちらにせよ、貴様らは重い罪から逃れられない」


 蒼子の言葉に続き、莉玖が役人らしい観点から攻めた。

 すると呂鄭は苦渋を飲んだような表情で驚くべきことを口にする。


「私は当主じゃない! ただの代理だ!」


 突然、自分が当主代理であると主張し始めたのである。


「当主は兄だ! 責任は兄が取るべきだ! 私は当主の指示に従っただけ! 私に罪はないっ!」


 見苦しくも、呂鴈に罪を押し付けて責任を逃れようとしている。

 呂鴈は既に自分が至らなかったことに対して酷く責任を感じているというのに、弟は何もしていないのに罪の意識を感じている兄に更に自分が犯した罪をなすりつけようとしているのだから、蒼子は呆れを通り越して感心した。


 これだけ図々しくいられなければ、悪行に手を染めることはできないということか。


 しかし、感心するのもここまでだ。


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