第85話 呪いの正体

「つまりは、この呪印はこの男が傷つけてきた者達全員の恨みが集約したもの……ということか?」


「そういうことだ。あなたが王印の力を使った時、その場にいたほとんど全ての者が倒れたと聞いた。この町に生まれた多くの者が微弱な神力を持っているのだろう。全く力を持たない者の方が珍しいのではないだろうか」


 鳳珠の問いに蒼子は答える。


「だが、そなたはこやつの呪印には蛇神の気も強く感じると言っていなかったか?」

 

「そうだ。この町に存在する蛇神もこの件に大きく関わっている。昔話を思い出して欲しい」


「荒ぶる蛇神を鎮めるために若い女を花嫁として捧げた云々の話しか?」


「呂鴈、間違いないな?」


「はい。文献にはそのように記されております。結局、蛇神が大人しくなることはなかったそうですが」


 何人もの娘を生贄に捧げても蛇神は荒ぶり、村を攻撃した。

 呂鴈はそれが何の関係があるのだろうか、と顔を顰める。


「この度、こちらの皇子を蛇神が所望し、求婚痣を付けられた」


「な…………な、なんですと⁉」


 呂鴈は驚嘆の声を上げる。

 これには呂鴈だけでなく、莉玖や紅玉をはじめとする多くのものが驚きを顕わにした。


 馬亮は必死に笑い声を殺し、腹を押さえて悶えている。


「蛇神が望んで皇子に求婚の御印を授けた。ということは、どういうことだと思う?」

「蛇神は男神ではなく、女神……ということですね」

  

 蒼子に視線で問われた紅玉が答える。


「その通り。蛇神は女神。何人娘を捧げられても嫁にはいらぬ」


 複数の伴侶を持つ神は存在するが、同性を伴侶に、しかも複数人を望む神は蒼子は聞いたことがない。


「蛇神はさぞ困ったことだろう。自分の怒りが伝わらないどころか、何人も若い娘を送られて頭を抱えただろうな」


「それが、呪いに関係あると?」


「女神は気性の荒い者が多いが、共感性の高い神が多い。人間の女も女の不幸話に同情するだろう?」


「なるほど……つまり、生贄に捧げられた女達に同情したのか」


 鳳珠の言葉に蒼子は頷く。


「蛇神は滝に飛び込む女子供の悲しみや苦しみ、復讐心に自分を重ねて同情した。社にあったあの履物の数……いや、それ以上の人数の負の感情を汲み上げた。一人一人神力は微々たるものでもそれが強い神力と結びつくことでより強力なものになる」


 鳳珠は蛟滝の社にあった沢山の履物を思い出す。

 悲しみや苦しみ、悔しさ、憎悪を抱えた者が何人もあの滝に身を投げたのだ。


 その憎悪が大きく太い束となり、呪いを生み出した。


「この町は呪いを生み出す構造が完成されている。微弱な神力を持つ者が生まれる中で行われる精神や肉体の支配や暴力、それにより生まれた被害者達の激しい憎悪、身投げするには持って来いの滝があり、被害者が飛び込む滝には共感性の強い神がいる」


神力を持ったたくさんの者達が恨みを抱えて滝に飛び込み、その負の感情を蛇神が汲み取り、呪いを形ある強固なものにする。


小さな力も沢山集まれば太く大きくなり、蛇神はその力を支える土台となる。


この町の在り方そのものを壊さなくては何度でも繰り返すことだろう。


「待ってくれ!」


 そこで声を上げたのは今まで無言を貫いていた翔隆という男だ。


「話を聞けば、恨まれているのは呂鄭殿だ! 私は関係ない!」

「翔隆っ……貴様……」


 呂鄭は突然仲間に裏切られたような顔をする。


「心当たりがないなら思い出させてやろう。蕗紀、こちらへ」


 蒼子は蕗紀を側に呼び寄せた。

 急に注目を集めることになった蕗紀は硬い表情のまま、だがしっかりと前を向いて蒼子の元へとやってきた。


「貴様、この娘を知っているな?」


「あ、あぁ……呂家の分家筋……末端に席を置く娘だ」


 たどたどしく翔隆は答えた。


「貴様、随分と蕗紀にご執心だったそうじゃないか。この娘はこの町では珍しいことに祖父に大切に守られながら育った。祖父は『花』の買い取りにも貸し借りにも決して応じず、孫娘を大切に守っていた。だが、祖父は亡くなった」


 蒼子は鋭い眼光で翔隆を見下ろす。

 

「祖父が邪魔だったお前は足の悪い蕗紀の祖父を川へ突き落とした」


 蒼子の言葉に蕗紀は小刻みに震え出す。


「やっぱり……あなたの仕業だったんですね……」


 蕗紀は悔しさを滲ませた目で翔隆を睨む。


「ち、違う……私じゃない! 濡れ衣だ! 証拠はあるのか⁉ 私がやったという証拠が!」


 翔隆は薄ら笑いを浮かべて言った。


「証拠がなければこの拘束は不当なものだ! 直ちに縄を解き、謝罪を要求する!」


 この期に及んで強気な翔隆に蒼子は嘆息する。

 こちらが手ぶらだと思い込んでいるらしい。

 

「証人がいる。おい」


 莉玖が入り口付近にいた部下に命じると五人の男達が縄に繋がれた状態で連れてこられた。


「ん? こやつらは……」


 鳳珠は見覚えのある顔の男達に眉を顰める。


「そう、こいつらは蛟滝の帰り道に我々を襲った男達だ。こいつらは翔隆の手下で拉致誘拐の実行犯。そして蕗紀の祖父を川に突き落としたのも翔隆達の仕業だ」


「女子供の口は堅いが、男達の口は羽のように軽かったぞ」


 蒼子に続き、莉玖が呆れ声で言う。

 そして莉玖は続けた。


「貴様は目を付けた娘を自分のものにするには人殺しも厭わないようだな。手に入れた娘は店に出し、飽きれば捨て、余所へ売る。貴様、隣町の港に届け出ていない貨物船があるな? 頻繁に国外へと出ているようだが、貨物船には何を乗せている?」


 莉玖の目が鋭く光る。

 その鋭利な眼光に翔隆は愕然とした。

 そこまで調べられていないと高を括っていたようだが、莉玖に罪を暴かれ、絶句している。


「私は帝の命で人身売買の調査をしていた。貴様の所有する貨物船の中身については既に調べはついている。希望は持たぬことだ」


 莉玖の宣告に似た言葉に翔隆はがっくりと項垂れた。


 鳳珠達はすぐに察した。

 百合の件があるのですぐに気付くことができた。


 この男が人身売買の主犯なのだろう。


「貴様ら、命拾いしたな」


 蒼子は冷たく言い放つ。


「あと一人……あと一人、貴様らに恨みを持つ者が死んでいれば呪印は完成し、貴様らの首は確実に落ちていただろう」


 蒼子の冷ややかな言葉に二人は血の気を失う。

 その声があまりにも冷酷だったからだ。


「だから蕗紀殿を助けたのですか?」


 紅玉が蒼子に訊ねる。

 蕗紀は蒼子の守印で守られ、滝に身を投げたが奇跡的に助かり、川で倒れているのを紅玉と呂鴈が助けたのだ。


「こやつらのせいで蕗紀が命を散らす必要はないからな」


「蒼子様…………」


 蕗紀は蒼子の前で涙を零す。


「蕗紀、そなたの祖父は五人の男達に『大人しく翔隆に孫娘の所有権を渡せば命だけはたすけてやる』と脅された。だけど『死んでも渡すものか』と抵抗した。並大抵の勇気ではない。祖父を想うのなら自ら死を選ぶようなことはしてはいけないよ。特に、あんな奴らのために死ぬのは祖父の想いを殺すことと同じだ」


 蒼子に諭されながら蕗紀は涙を拭いながら何度も深く頷く。


「おじいちゃんっ…………」


 蒼子が水鏡で覗いた蕗紀の祖父は足が悪かった。

 五人もの男達に囲まれ、脅されれば逃げられない。

 要求に頷かなければ命はないと分かっていても、それでも大事な孫娘を守ろうと決して首を縦に振ることはなかった。


 両親のいない蕗紀を側でずっと守ってきた祖父は自分の命がないと分かっていても最後まで蕗紀を守ったのだ。


「親以上に親であり、愛がなければできないことだ。素晴らしい祖父の元で暮らせたことを誇るといい」


 ボロボロと大粒の涙が蕗紀の頬を濡らす。

 蕗紀は嗚咽を漏らしながら、ただひたすらに涙を拭い続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る