47.黒竜との対話


「――オニクス!」


 ユーダイナ山脈の奥地、ブレイブ領の冒険者すらも並みの者なら到達が困難な未開の場所で俺はドラゴンの名前を呼んだ。


 羽ばたく音が聞こえて、ハゲ山に巨大な影ができる。


 俺の目の前に黒く巨大な竜が姿を現した。


 竜の名は【オニクス】、オニックスドラゴンと呼ばれる竜種である。


「何用だ、ラグナ・ヴェル・ブレイブ」


「久しぶりにお前の顔を見たくてね」


「我は貴様の顔なんぞ見たくない」


「そんなこと言うなよ」


 竜種の驕りと言うべきか、基本こんな感じのドラゴンだ。


 人の常識の外にいる存在だから仕方ない。


 彼らからすれば、人間なんて下等な生物に他ならないのだから。


「で、何処に行っていた?」


 でも、こうして気にしてくれているので、俺は心の中でツンデレドラゴンと呼んでいる。


 略してツンドラだ、ツンドラ。


 竜が俺を認めてくれているのは素直に嬉しいもんだ。


「王都だよ。学園に通ってた」


「あの忌々しい守護障壁に守られた聖域か。ふん、わざわざ遠方から子供を集めて共同生活とは人間とはつくづく面倒な生き物よ」


「そうだね」


「誓いは守られているのか?」


 俺の目の前に巨大な顔を寄せながら、オニクスは黒い眼で射貫く。


「この我の前で誓ったのだ、もし果たされなければ、今ここで貴様を喰らってやろうか」


「問題ないよ」


「つまらんな」


 むしろ、弱過ぎて話にならない。


 あの障壁の内側にいると弱くなると、本気でそう思った。


「だからお前に会いに来た」


「我は貴様のストレスの捌け口か? ふん、貴様くらいだな、竜をそのように扱う愚か者は」


「そういうつもりじゃないよ、でも鈍る」


 人生で本当に死ぬかもしれないと思ったのは二度ある。


 一度目は3歳の頃で、二度目はオニクスと出会った時。


 一度目に感じたものは恐怖。


 忙しない闘いの日々を生きていくうちに、それは自ずと克服できた。


 二度目は熱。


 血が滾るとでも表現すればいいのだろうか?


 目の前の竜と対峙した時、死闘を繰り広げた時、認められた時、全身の隅々まで熱い何かが駆け抜けていくような気がした。


 俺は未だにそれを忘れられずにいる。


 大切にしている。


 なのに平穏の中にいると、それをときたま忘れてしまいそうになる。


 それが少し恐怖だった。


「貴様ら人間は、平穏を求めて聖域を作り出したのだろう? 竜の業火すらも防ぎうる絶対の守護障壁を」


 それなら鈍ってしかるべきだろう、とオニクスは言う。


「確かに平穏は悪いことじゃないけど、それで指先が腐り落ちて、何かあった時に誰かを守れないのは嫌なんだ」


「……そうか」


 いつもなら「下等な生物はわざわざ話を拗らせて下らない」と皮肉を言いそうなもんだが、今回ばかりは素直に受け止めていた。


 久しぶりに会ったから懐かしく思ったのだろう。


 まったく可愛いツンデレドラゴンめ。


「そんなに死にたいのなら相手をしてやろう。誇りに思え、竜と2度も牙を交える人間など数百年ほど存在しなかった」


「数百年なんだ? まだ誰もいないとかなら恰好良かったのに」


「我からすれば貴様なんぞ生まれたばかりの赤子同然。井の中の蛙であることを思い知るが良い」


「それでいいよ」


 本気で殺しに来てくれた方が、それだけ熱を感じることができる。


「貴様は人間の世界に置いて狂人と呼ばれてもおかしくないぞ」


「まあ、仕方ないよ」


 自分でも狂ってるな、とは良く思う。


 環境がそうだったのだから仕方がない話だった、それが普通だった。


 だから今が普通なのか、おかしいのか、正直よくわからない。


 それでも彼女は好きだし、楽しく過ごしていることには変わりない。


 感情が上手いこと共存できてるのは、周りの人のおかげか。


 アリシアとか、セバスとか、マリアナとか、オニクスとか。


 使用人だって、領民だって、冒険者だって。


 少しでも揺らいでしまうとどうしようもなくおかしくなってしまうんだろう、家族を失ってしまった時みたいに。


 命を落とすことは怖い、熱を忘れてしまうことはもっと怖い、でもそれ以上に誰かを失ってしまうことが一番の恐怖である。


「だから強くならないと」


「竜は練習台か……だがまあ、腹ごなしの暇潰しには丁度良い」


 オニクスが両翼を大きく広げる。


 巨大な翼をはためかせるだけで、戦術級の魔術師が用いる風以上の力を秘めていた。


 竜ってすごい、本当にすごい。


 強大な魔力の塊で、底が一切見えなくて、にじみ出る魔力自体が俺の障壁のような役目を果たしている。


 生まれながらの強者を目の前に、全身の血が熱く滾って全身を駆け巡る感覚がした。


 オラ、わくわくすっぞ、みたいな感覚ね。


 こんな存在を従えた御伽噺に出てくる勇者っていったいどんな奴だったのだろうか。


「オニクス、世の中にはオニクスみたいな存在ってたくさんいるの? 例えば白い竜とか?」


「引き分けではなく倒せたら教えてやる、貴様には無理だが」


「残念だ」


 オニクスの言う通り、今は無理。


 持久力が圧倒的に足りていない。


「では、どこからでもかかってくるが良い。竜に挑みし愚かな人間よ」


 オニクスは笑っていた。


 ぶっちゃけこいつ人間のことをくさすけどさ、意外と好きなんじゃないかと思っている。


 だって、そうじゃなければ俺はとっくに死んでいるのだから。


 うーん、ツンデレだ。







 戦いが行われたのは、ほんの1時間程度。


 それだけで俺の魔力はかなりギリギリまで消耗させられていた。


 岩肌が焼け焦げたハゲ山の地面に仰向けになり息を吐く。


「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」


「竜を前にして1時間、ふん、誇るがいい」


「これを誇れと言われてもなあ……?」


 四肢がもげそうにならなかっただけでもまだマシか。


 いつかは勝ちたいと思いながらも辿り着けない境地感。


 敗北感は心地の良いスパイスで、世界が一層広く見えた。


「そうだオニクス、一人連れてくるから会ってほしい」


「何度我に願い出れば気が済む、貴様」


 露骨に嫌な顔をするが、頼めば近くまで来てくれる良い奴である。


「次は聖女の生まれ変わりというか、多分そんな感じの女性」


「……また特殊な人間を、まあよかろう、一人も二人も変わらん」


 やったぜ。


「で、貴様はどちらを嫁とするのだ?」


「はあ? いや別に守ると誓うわけじゃないよ。合わせるだけ」


 オニクスの匂いをつけとけば、変なものが寄ってこないからな。


 竜とは本当に不思議な存在である。


「そうか。まあ我にはどうでもいい。指定の場所に果実を砂糖で煮詰めた物を持ってくるよう髭に伝えておけ」


「はいはい」


「他にはもうないのか。ならば我は行くぞ」


「そうだ、ずっと気になってたんだけど、オニクスって白い横縞が薄っすら入ってるけど、ただの黒竜とは違うの?」


「ふん、答える義理はない。――さらばだ」



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