夏季休暇、ひと夏の体験編

43.お忍びスケールアップし過ぎ殿下


「わわわ! 実は王都の外に出たのって初めてなんですよね!」


「危ないわよ?」


 汽車の窓から顔を出してはしゃぐマリアナと、その隣ではアリシアが座って静かにコーヒーを飲んでいる。


 そう、俺たちはついに始まった夏季休暇を利用して、ブレイブ領に向かっていたのだった。


 夏季休暇の間も学園の寮は空いていて、田舎の貴族は帰るのを面倒くさがって残ることも多いらしい。


 田舎と王都を比べれば、そりゃ遊びたい盛りの若者からすれば、帰るより仕送りだけもらって都会で過ごす方が有意義だろう。


 しかし、俺たちはブレイブ領のダンジョンでブレイブ式ブートキャンプをすると決めているので帰省するのだ。


 そっちの方が有意義だろ?


 王都で色んな奴らから狙われるよりもブレイブ領で過ごした方が安全だと踏んでいる。


 よそ者が来たって情報もすぐに集まるし、何より生半可な敵はブレイブ領を生き抜くことはできないからだ。


 まさに一石二鳥の名案である。


「あ、ちょっとトイレ」


「コーヒーの飲み過ぎじゃない?」


 少しは控えたら、とアリシアに言われるのだがそれは無理。


 カフェインがないと、もう生きてはいけないのさ。


 トイレは、この客室を抜けた別の車両にある。


 本当は車両ごとにトイレのある一等車両に乗せてあげたかったのだが、アリシアが一般車両で良いと言ったのでこうなった。


 貴族が苦手なマリアナもいるし仕方がない。


 テーブル付きのボックス席があるだけマシなのさ。


「で、あんたはどこの誰かな?」


「ふげっ」


 トイレに行くついでに、隣の車両にいた怪しい奴を捕まえる。


 首根っこを掴んでそのままトイレに連行した。


 連れションってやつだ。


 こいつがイグナイト家からの刺客なのか、はたまた暗部を自称する馬鹿集団なのか、もしくはそうじゃない誰かか。


 まだ判別つかないが、やることは一つである。


「んごごっ!? うわあああああああああああ!!」


 クエッション、やることとは何ですか?


 アンサー、トイレの小窓から外に捨てる。


 単純にアリシアとマリアナを見ていただけの一般人なのかもしれないが、こちらの命とそちらの命を天秤にかけた時、俺の中で軽いのはそっちの命なのだ。


 無情であるが、致し方なし。


 でも、どっちにしろ絡んでくる方々はよからぬことを考えてる方々なので、何も考えずに捨てても構わないのである。


 え?


 小窓は人を捨てれるほど大きくないって?


 実は頭が入るスペースさえあれば、あらゆる関節を外すことで無理やり身体を通すことができるんだぜ。


 敵兵に捕まった際、生き残りたければ関節を外すようになっておけ、それがブレイブ家の教えである。


 アリシアにコーヒー飲み過ぎでしょと言われていたのは、トイレを理由に露払いをし続けているからだった。


 トイレが近い男というレッテルを貼られてしまいかねないが、カフェインを理由に受け入れようと思う。


 でも実際は、かなり長時間我慢ができるように訓練しているぞ。


 なんならそのまま垂れ流しにしたとしても問題ないほどに、精神面を鍛えられていると言っても過言ではない。


「てめぇ、さすがは暗部を解体に追い込んだだけ――あっ、待て今日は別――べこらぁ」


 ゴキゴキバキバキ。


 ポイッ。


「トイレのドアの前で律儀に待機するなよな」


 暗部がどうとか知らんが、もはやギャグの領域だった。


 はあ……ごっこ遊びは他でしろよ……。


 露払いと言っておきながら、この作業感。


 もはや工場長と言っても過言ではなかった。死体の。


 汽車から捨てるだけで良いのは、まあ楽だな。


「つーか、こんな奴らもしっかり代金を払って乗り込んでるだよな」


 それを考えると少し笑えた。


 もはやイグナイト家に支援の請求をしても良いのでは?


 まあ刺客ごときが強請る材料になるとは到底思えないが。


「ああ、早くブレイブ領に着かないかな」


 汽車を降りたらそこから馬車での移動。


 いっそのことブレイブ領にも汽車を通してくれたらな、なんて思ってはいるのだが、魔物で壊れるし、戦争で使われることを考えるとどうしてもできないか。


 隣国との戦争を俺の代で終わらせることができれば話は変わってくるのかもしれないが、多勢に無勢か。


 王国の方針は、基本的には防衛のみだ。


 攻め入ったとして、協力してくれるはずもない。


 まあ、今は考えないようにしておこう。


 そんなことよりも屋敷のみんなに早く会いたい。


 お土産もそれなりに準備してあって、一番の土産はマリアナが持ってきてくれたコーヒーである。


 それを早くセバスに味わってもらって、坊っちゃんも中々やりますな、と言って欲しかった。


 たまに殺したいくらい憎い時もあるけど、幼少期から面倒を見てもらっているので、親の無い今は俺の親代わり。


 肉親に近い感情を抱いているのは、確かなことである。


「ただいまー」


 そんなことを考えながら呑気にアリシアたちのいる車両へ戻ってくると、何やら由々しき事態が起こっていた。


「ここが一般車両か! 一等車両、特別車両と比べるとすごく席が多いな!」


「殿下知ってたか? 特別車両と違って、一般車両って前もって席代を支払っておかないと座れないんだぜ?」


「問題ないさ、クライブ。実はこっそり席を買ってある」


 何故か隣の席にエドワードたちが座っていた。


 この狭さが良いとか、このテーブルの安さが良いとか、そんなことを語りながら愉快に談笑している。


「おかえりなさい、ラグナ」


「た、ただいま……」


「色々思うところはあるでしょうけど、とりあえず席に座りなさい」


「はい」


 アリシアの言葉が若干固い。


 これは俺やマリアナ以外に対して接する時の公爵令嬢モードだ。


 王族が隣の席に来たともあってマリアナはとっくに気絶している。


 こいつはこいつでなんでだよ。


「クライブ、これが一般車両だ。私は今そこに乗っている。これはすごいことだぞ。ふふ、前々から乗って見たかったんだが、ついにこの日が来たということだ」


「お忍びのスケールもグレードアップしてらぁ」


「パトリシアが教えてくれたんだ。やはり彼女は私の知らないことをたくさん知っている。はあ、あとから合流するらしいけど、できれば彼女と乗りたかった……」


「乗り飽きてんじゃねぇの? ま、一般車両にも乗ったことないのは恰好がつかないもんな? 人目を縫って出し抜くなんて、殿下はガキの頃からお忍び三昧してただけあるぜ」


「そうだろう? できれば特別車両に彼女を乗せてあげたかったが、それは父上と母上に絶対にやめろと言われてしまってな? だったら私が一般車両に乗ればいい。妙案だろう?」


「ナイスだぜ」


 お忍びのスケールもグレードアップって、車両的には地位の高い貴族や王族の使う特別車両からダウングレードしてるんだが……。


 なんという頭の悪い会話だろうか。


 つーか、なんで隣なんだよ殿下ァ。



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