41.【マリアナ・オーシャン】お友達
夏季休暇までもうすぐとなった最後の休日、私は馬車に乗ってエーテル魔術学園へと向かっていた。
貴族区画に存在する学園の前まで馬車は行かないので、一番近くの停車場で降りて後は徒歩で移動する。
この通学路にも、もう慣れた。
最初の頃は怖かったが、学園の制服を着ていればジロジロと見られるようなこともない。
「むふふ、ついに二人の愛の巣ですか」
今までは怖かった道も今では少し楽しみな道だった。
休日に学園に行く理由、それは友達のアリシアから草刈りついでにお茶でも飲もうと招待されたから。
本当は彼女が裏庭の家庭菜園で育てている野菜を美味しくみんなで食べる予定だったのだけど、色々あってなしになった。
畑をダメにした害虫にプリプリ怒るアリシアの姿は可愛かった。
虫は苦手だけど、友達の畑をダメにするなんて虫さん許せまないので駆除を手伝いを頑張ろうと思う。
アリシアとラグナ。
この二人と私が出会ったのは、入学して4ヶ月経とうとしていたくらいの頃である。
真面目に授業を受けてはいるが、貴族に慣れずビクビクとした日々を送っていく中で、華やかさからは程遠く静かな図書館が私の唯一の居場所だった。
賢者の子弟として熱心に勉強していれば、貴族の方は身分を弁えてるとみなして嫌な言葉を使わない、嫌なものを見るような眼を向けない。
少し寂しかったけど、目標があったからジッと耐えて頑張っていた。
そんな中、ふと私の鼻先をよく知る匂いがくすぐった。
『――コーヒーの、匂い……』
貴族の通う学園には、紅茶しかなかった。
こっそり食堂や授業に必要なものを購入できる雑貨屋さんにも足を延ばしてみたが、コーヒーはなかった。
さすが貴族の通う学園、図書館にはお茶を淹れる場所もあったのだけど、勝手にコーヒーを持ち込んで使うのは憚られた。
私は入寮ではなく実家から通っているので、夕方まで我慢すればいいだけだと思っていたそんな中で、その匂いは無意識に体を動かした。
『クスクス、使用人もいなければ、もう紅茶すら飲めないのね』
『惨めね、惨め、私だったら学園に戻ってこれないわ』
彼女は、周りで囁かれる陰口なんて一切気にせず鼻歌まじりでコーヒーを淹れていた。
その立ち振る舞いは優雅で凛々しくて、威風堂々という言葉の意味を体現していた。
『ふわぁぁ……』
確か、私と同じような賢者の子弟がもう一人いると聞いていた。
きっと彼女がそうなんだと思った。
コーヒーを飲んでいるし。
同時に、陰で怯えて過ごしている自分自身が、道の端をこそこそと歩く自分自身が、とても惨めに見えた。
私でも友達になれるかな、と少し不安になったけど、コーヒーを飲む人に悪い人はいない。
だからこっそり彼女の後をつけて、意を決して話しかけた。
『あ、あああ、あのあの、それコーヒーですよね――?』
それが私の友達であるアリシアとの出会いである。
今思えば奇跡だった。
アリシアが公爵家の人だと聞いて取り乱して失神してしまったのは、もう過去の笑い話である。
「早く二人にこのコーヒーをおススメしたいなあ」
道を歩く足がだんだん速くなっていく。
一人でも生きていけると思っていたけど、やっぱり私は心のどこかで寂しさを感じていたんだな、とそう思う。
騙されてないよね?
騙されてないはず、だって二人には黒い虫がついてないんだから。
虫は苦手だ。
私が貴族を苦手になった原因は、小さい頃に馬車に轢かれてしまったこともあるが本当の理由は虫にある。
気付いたのはいつ頃だろう、嫌な人や不幸な人の近くには、かなりの確率で黒い虫がいることに。
その黒い虫は、特に貴族の方に多く、時には大量にまとわりついていることもある。
だからすごく苦手だった。
私の両親が病死してしまう直前にも、この黒い虫はたくさん家の中で蠢いて、いつ私にもくっ付いて来るか怖くて怖くて仕方なかった。
潰しても潰してもどこからか湧いてくる虫だが、アリシアとラグナには一切ついていなかった。
人には必ず一匹くらいはついてるものだと思っていたが、不思議なことにあの二人には一切ついていない。
学園での立場は、正直に言えば私よりひどい。
ラグナさんなんか、別に騒動を起こしているわけでもないのに、その家柄だけでみんなから酷いことを言われている。
なんで笑っていられるんだろう、と私は思った。
多分、これは予想だけど、この二人はこんな環境でも十分幸せを感じているからなんだなって……。
強いなあ、そう感じたエピソードがある。
以前、アリシアの左目の火傷の痕がどうしても痛ましく思って、何も考えずに治しましょうかと聞いてしまったことがある。
『気にしなくて大丈夫よ。この傷は私が戦った証で誇りみたいなものだから。ラグナはこれも含めて私のことを受け入れてくれてるの』
『す、すいません余計なことを……』
『良いのよ、気遣ってくれてありがとう。ブレイブ領だとこのくらい普通だし、誰も気にしてないから私は大丈夫』
今更ながら、気軽に彼女のトラウマに触れてしまったことを申し訳なくなるが、そんな私を笑って許してくれたアリシアは素直に強いと思った。
そりゃ虫だって寄り付かなくなるはずだ。
そんな二人が好きなブレイブ領に夏季休暇を利用して一緒に行こうと言ってもらえた。
本当に友達として見てくれているみたいで、感謝しかない。
周りでは捨て地と呼ばれているけど、それはただの噂の一人歩きで、本当に良いところなんじゃないかな?
「む……ちょっと寝不足ですかね……」
少しふら付いてしまった。
コーヒーの力を借りて夜遅くまで起きていたから仕方がない。
今日は二人の家にお泊りだ。
ぐっすり寝れるかな……?
大丈夫かな、なんかとんでもない場面に遭遇したりとか……?
さ、さすがに学生だからまだ早いですね! うん!
気を取り直して二人の住む家を目指す。
あの二人と一緒にいれば……。
幼い頃から私の後ろをずっとついてくる子供くらい大きくて黒い虫もいなくなるだろうか――。
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