17 外は雨だけど
「楽しんだもん勝ち……ですか」
裕太が、おずおずと、佐神に問う。
「オレはそう思う。少なくとも、今を楽しめなかったら、そこから先に、何もないよ。いつだって過去も未来もなくて、現在しかないんだからさ」
佐神の言うことは解るが……、なにか、耐えられなくなって、裕太は「あっ、学お兄さん……終電……」と、無理矢理話題を逸らした。
「えっ? あー……、もう、九時半か。しまった」
「もう、電車ないんですか? 駅前にタクっていなかった?」
拓海が佐神に問うと、「タクシーは、捕まらないと思う」と無情な返答が帰ってきた。
「なんで?」
「いや、さっき、お客さんお見送りしたらさ、雨が降ってたから」
「雨……?」
予報では、そんなことは言っていなかったような気がする。だが、佐神が言うならば、雨、なのだろう。
「外は……雨、か」
「あー……」
拓海が、何か、言いかけて、口ごもった。佐神と、拓海が何か目配せして居るようだが、裕太には、解らない。拓海ならば、過ごした時間は、裕太のほうが長いはずなのに、佐神とのほうが、親密に見える。桜町再生プロジェクトで、新しい人たちが桜町にやってきて、人間関係も、変わってしまった。
「あ。なんなら、隣町まで歩いて帰るから大丈夫だよ! ……タクシーの配車アプリとかは、使えない……よね?」
「無理、だと思いますね……」
佐神が苦笑する。配車アプリ、と聞いても、裕太には、ピンと来ない。タクシーを使うこともないから、当然だろう。
「学お兄さん。良かったら、うちに来ますか?」
「えっ?」
学が、素っ頓狂な声を上げた。
「いや、でも、お世話になりっぱなしだし……」
「大丈夫ですよ。うちの両親、あんまり気にしないタイプですから。ただ、ちょっと、もし、青汁とか、なんとかっていう身体に良い元素が発生されるとかいう装置の押し売りされる可能性がありますけど、本気で断ってくれて大丈夫ですから」
裕太の言葉を隣で聞いていた拓海が「なあ、おまえんち、そんなことになってんの? 大丈夫?」と心配そうに声を掛けてくる。拓海は、乾物屋には、用事がないだろう。例えあったとしても、電話一本で注文して届けるはずだ。だから、存外、町の人たちも、『乾物屋 山本屋』の店舗に足を踏み入れることは少ないだろう。
「まあ、拓海に心配されなくても、とりあえず、大丈夫だと思うよ……そんなわけで、空いてる部屋とかもないから、僕の部屋に一緒に寝て貰うことになるけど」
「……けど……」
学の視線が泳いでいる。葛藤があるらしい。その、葛藤の理由を、裕太には推し量ることは出来ないが、全く、いやというわけではないだろうとは、思う。だが、なにか、逡巡、している理由があるようだった。
「……あ、じゃあさ」
佐神がかるく手を上げて、提案する。
「少し、うちか、『クラブ・ラクーン』で呑んでから、帰ったら? 今の時間だと、まだ、時間が早いから、なんとなく気詰まりだったりするかも知れないし? 久しぶりに会って、二人だと、会話がなにかあるかなとか、余計な気も遣うでしょ?」
「ああ、それは良い考えだけど……『クラブ・ラクーン』って?」
「あ、時任さん、綺麗なお姉さんがお酌してくれるお店でも想像しました?」
「いやいやいやいや!! しないよっ!」
「あ、そうなんですか? ……そこの銭湯の二階に、こぢんまりしたクラブがあるんですよ。銭湯の店主さんが作ったんですけど。自分でDJもやってるんですよ。お酒は、缶でセルフサービスか、ここの居酒屋で作ったカクテルだけ持ち込み出来ますけど」
「へー……、凄いな……本当に、桜町を変えてるんだな……」
学は、心底感心したように言う。
確かに、桜町は、変わっていく。
そして、裕太は、どうして良いか、まだ解っていない。今の、この瞬間も。
だから、『クラブ・ラクーン』にも顔を出したことはない。クラブサウンドが、理解出来ないというのもあったし、ああいう所は、陽キャが行くところだとも思っていた。遠い世界のように感じていたのだった。
(遠い世界……?)
本当に、そうなんだろうか。
裕太は、初めて、そう思った。クラブを経営しているのは、裕太より年下の、銭湯の店主だ。一日中、働いているのも知っている。自分で言い出した、やりたいことだから、苦はない―――と言うのを、体現しているような姿だった。
けれど、裕太は違う。何もしていない。変わりゆく桜町ではなく、昔の桜町の、幻の中に立ち尽くしている。
(これではダメかもしれない)
「学お兄さん」
「ん?」
「一緒に、『クラブ・ラクーン』行ってみましょうよ。実は、僕も行ったことはないんです」
「外は……雨だけど……?」
ここで、この居酒屋で雨宿りをしつつ、時間を稼ぐという事も出来る。そう、学は言いたいようだった。
「……外は雨だけど、クラブに行ってみたいです」
拓海が、少し驚いた顔をしていたが「じゃ、カクテル、サービスするよ」と、支度を始めた。
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