13話 『当事者』
「手首……どうしたの?」
手首を押さえた裕太を見て、学が声を掛ける。裕太が、ハッとしたような顔を上げて、「あ、……いえ、クセで」と慌てて左手を引く。だが、学は、めざとく、裕太の手を見ていた。
「時計……止まってるんじゃないの?」
「あっ……」
観念したのか、裕太は、手を差し出した。
「以前に、時任時計店で、買って貰ったんです。高校生に上がるときだったかな……。入学祝いに。それで、……」
あっ、と言って裕太が笑顔を作る。「これ、選んでくれたの、学お兄さんなんだけど……覚えてないですよね。あの頃、ちょこっと、お店の手伝いしてたのかも。休日だけかも」
「ああ……その頃なら、多分。たまに、店に出て接客だけやってたね」
裕太は、大切にしている時計。けれど、そのことを、学は覚えていなかった。それが、申し訳なくなる。
「……ごめん、覚えてないや」
「うん。覚えてなくても当然ですよ、だって、十年以上昔の事ですから。……文字盤、この色が良いだろうって、素材的にも、これが良いって。長く使えるからって……」
「……でも、文字盤にも、傷が入ってるし……、止まっちゃってる。うちが扱ってた時計だったら、ちゃんとメンテして居たら長く持つと思うんだけど……」 いや、メンテナンスをして居ないという意味じゃなくて、と学は慌てて付け足す。
メンテナンス、という言葉を聞いた裕太の瞳が翳った。すこし、目を伏せたのだった。
「メンテナンスは、しなくていいんです」
「えっ?」
「時間を見るなら、スマホで十分だし、これは、お守りみたいなもんなんです。たしかに、動かない時計なんですけど……これも、思い出だから……」
裕太が静かに語る。
居酒屋の店内は、妙に静かだった。常連客がいつの間にか去っていたようだ。
「はいよ、鶏の半身揚げ」
丁度、拓海が鶏の半身揚げを、学と裕太の間に置いた。熱々の鶏は、まだ、油がぱちぱちぱちとはねる音がしている。香ばしい薫りが、漂ってきた。
「あ、凄い……鶏の半身って結構ボリュームがあるんだ」
裕太の表情に、学は気がつかないフリをして、鶏の半身揚げを無邪気に喜んで見せた。
「そりゃあ、ニワトリ半分ですから」
「そう考えると、結構凄いな」
「でも、ちょっと前に、鶏を丸々一羽焼いた料理とか、流行りましたよ」
「ふうん? なんか、外国の家庭料理みたいな?」
「ええ。……この辺では全く流行らなかったけど……、都心では流行ったんじゃないかな……」
「日本で、鶏一羽なんか食べきるのかな」
学は首をかしげつつ、鶏の半身揚げに手を伸ばす。ギザギザの刃が付いた、肉を切る為のナイフが添えられていたので、それを使ってほぐしていく。こういうのは、外国暮らしで何度かやっているので、慣れている。綺麗に取り分けて、美味しそうな身を、裕太の皿にのせてやる。
「あっ、学お兄さん。僕、自分でやるのに」
慌てて手を出そうとした裕太を、手で制した。
「いや、大丈夫だよ。こういうのは慣れてるから……ほら」
あっという間に骨から肉を外して、食べやすい大きさに切り分ける。学は自分の皿にも、肉をのせた。まだ湯気が立ち上っている。熱々だった。
「熱々のほうが美味しいんだから、早く食べないと」
「あ、はい……うん。美味しい」
「うん、シンプルに美味しいよね。ビールに合う。……もう一杯くらい飲む?」
学は、裕太のジョッキを見て、声を掛ける。すでに、半分以上、ビールはなくなっている。
「うん、もう一杯呑みます」
「じゃあ、すみません。もう一杯ずつ、お願いします」
「すぐお持ちしますね」
答えたのは、バイトでもなく、拓海でもなく、佐神だった。実に、自然な態度で、この店に馴染んでいる。なんとなく、不思議な感じがした。恋人同士、の独得な雰囲気。親密さがあるが、それが、妙に、さらりとしている。息をするように、自然な態度だった。
(この二人、きっと、恋人同士だろうけど……)
しかし、あまりにも自然だから、どれも、何も言わないのだろう。二人で居ることが、あまりにも、当たり前なのだろう。佐神がこの町に来て、一年、と聞いた。
「一年……」
「え、どうしたんですか? 学お兄さん」
「あー……いや、一年で、そんなに、桜町ってかわったの? えっと、再生プロジェクトだった?」
「あー……それなら、佐神さんのほうが詳しいんじゃないかな。当事者なわけだし」
裕太は、苦笑しながら言う。その言葉を聞いた学は、(おや?)と少しだけ引っかかった。
『当事者』という言い方を、裕太はした。
だが、『当事者』というなら、裕太も『当事者』ではないか。
しかし、裕太は、自分は関係ないような口振りで言う。拓海や、佐神も聞いているだろうが、全く、それに反応しない。
温度差。
――のようなものを、学は感じる。それは、『桜町再生プロジェクト』が、順風満帆ではないという意味なのか。それとも、全員が、大手を振って歓迎しているわけではないと言うことなのか。それは、計りかねた。
「とにかく、ちょっと聞いてみたら良いんじゃないですか? ……佐神さーん」
裕太が、佐神を呼ぶ。
学は、裕太が、何を考えて居るのか、推し量ることは出来なかったが、ただ、この『桜町再生プロジェクト』という言葉を、裕太が、良くも悪くも意識している、という事だけは感じていた。
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