9話 距離感
家族には「学お兄さんとご飯食べてくる」とだけ言い残して、家を出た。
学は、一度隣町のネカフェに帰っていたが、また、桜町へ出てくるらしい。
(終電、九時だったかな……)
電車は中々来ない。終電は早い。次の駅まで歩くという健康法をテレビで披露されるときに、裕太は、少し疑問を抱く。桜町と隣町の駅の間は、ゆうに七キロ以上ある。『毎日、一つ前の駅で降りなさい』。その指導は、都会の人間に向けたものだ。
学と一緒に居られる時間は、九時前まで。現在、六時半。十分過ぎる時間があるが、居酒屋だけで終わりそうだとは思った。
「ごめん、まった?」
駅前で待っていると、小走りに学が駆け寄ってきた。
「ううん、そんなに待ってないよ」
駅からは、まばらな人数が出てくる。六時半。学生や会社員たちが使う時間帯のはずだが、数名しか居ない。昔は、もっと、駅も利用者がいたし、混雑していたという。裕太には、その記憶はない。
「学お兄さん、じゃあ行きましょう。拓海には連絡を入れておいたから」
「あ、うん。……でも、なんか、不思議な感じがするよね。お互い、小さかったのにさ、お酒を飲みに行くなんてさ」
「そうですね」
たしかに、子供の頃、大人たちのような生活をすることが、全く信じられなかった。けれど、その一方で、なんとなく、朧気なイメージを持っていたこともある。きっと、一生、このま、桜町で生きていくのだと。家を継いで、そして、タイミングが来たら、所帯を持って。そういう生き方をするのだろうと思っていた。
「裕太くんは、お酒は得意?」
「あー……ビールとかなら、呑みますけど、焼酎とか、強いお酒は苦手かな。学お兄さんは? 海外だと、日本よりも呑むんですか?」
「俺も、そんなに得意じゃない。気持ち良く呑めれば良いかな。海外は……人に寄るんじゃないかな。ランチの時にワインを注文する人も居るけど、それは日本でもそうだと思うし」
「そうなんだ」
「ずっとワイン飲んでるようなイメージ?」
「……学お兄さんは、どこに行ってたんですか?」
狭い桜町を、ゆっくりと話しながら歩いていく。
「時計は、スイス。……それと、宝石の勉強をしたくて、イギリスのあと香港に行ったかな。バイヤーとかに興味があったわけじゃないけど、今は、多分、香港が一番、賑わっていると思うから。買い付けとかだったら、アメリカとかドイツとか、タイとかもあるんだけどね」
学は微苦笑する。なにやら、業界的な複雑な理由があるのだろうが、気楽な会話にはほど遠いものなのだろう。裕太には、詳しく話さなかった。
「学お兄さんも、『世界一周』じゃないですか」
ふふっと裕太は笑う。学が、一瞬、真顔になった。
「あー……もしかして、俺が勝手にやってたから、オヤジも、勝手にやるって感じになっちゃったのかな……。たしかに、ちょっと、七年は、長すぎたよな……」
「でも、あちこちで勉強していたんでしょう?」
「だけど、待ってる方としては、何の連絡もしないで、七年も遊び歩いているように見えるだろうし……俺も、ちゃんと、連絡くらいしてれば良かったんだな」
ただ、夢中だったし。と小さく呟いてから、学が空を仰ぐ。細い喉のラインが、桜町の街の、ぽつぽつとした灯りに照らされて、闇に浮かんでいる。喉仏が、一度、大きく動いた。涙を堪えているように見えて、とっさに、裕太は話題を変えた。
「そういえば、そこ。新しくラーメン屋さんが出来たんです。毎日……平日でも行列してるんですよ。俺も、週三回くらい通ってるけど、すっごく美味しいんです」
妖艶な店主の経営する、スタイリッシュなラーメン店だ。ラーメンは、人それぞれ好みが分かれやすい食事だろう。学が気に入るかどうかは解らなかったが、裕太は重ねて、「本当に美味しいんですよ。都心でお店出したら、絶対にガイドブックに載ると思うんですよ!」と力説している。
学が、裕太を見やった。少し、眉根が寄っていた。何を、考えて居るのか、よく解らない表情ではあった。だが、何かを堪えているような、致そうな、表情でもあった。
「ラーメンか……」
「フランスとかだと、凄く人気だって聞きましたけど」
「あー……確かに。でも、スープとして人気だったような気がするなあ」
学も、平静を取り繕おうとしているのが、よく解った。だが、それには触れなかった。お互い、必要以上の所に立ち入らない。それが、大人の距離感だ。だが、少し。
(物足りないけど……)
学が、いま、何を飲み込んだのか。裕太は知りたかった。
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