第155話 我が母のパンチが強い

 気を取り直して、その日の夜。俺はクラスでやる劇の台本を読み込んでいた。

 内容は『美女と野獣』をベースとした永久先輩オリジナル。

 原作から崩すな! という原作厨が湧くこともなくとてもスムーズに進行中。


「ふ~ん、こんな感じなんだ。で、拓ちゃんは悪役ってこと?」


「そうなるね」


 リビングで椅子に座りながら読む俺の横には、洗い物を終えて横から覗き込む母さんの姿がある。

 どうにも俺達のクラスが演劇をやることを伝えてから興味津々のようだ。


「え~、どうせなら主役に立候補すれば良かったのに」


「さすがに主役は気が引けるよ。それに主役は言わばクラスの顔だよ? さすがに合わないって」


「そう? ほら、俳優の人で役作りのために体を仕上げてくる人いるじゃない?

 拓ちゃん、ダイエットで頑張ってるし、本番までに仕上げられるんじゃないかって思うんだけど」


 母さん、本職と比べちゃあかんよ。さすがに限度がある。

 それに俺はどうにも痩せずらい体質のようなのだ。

 学業で両立させるには筋トレ時間が短すぎる。


「この内容を考えたのって永久ちゃんなのよね?」


 永久ちゃんて。


「そうだね、先輩が協力してくれたおかげだよ。

 だから、演劇は是非とも成功させたいと思ってる」


 それにこの演劇には大地の恋路がかかっている。絶対に成功させたい。

 ただどうにも俺の周りで不穏な動きを見せる奴がいるから気をつけなければいけないが。

 ......本当になんでこんな展開になってるんだか。


 そんなことを母さんに言うと、何やら隣から猛烈な熱を感じた。

 何事かと思って見てみれば、まるで松岡〇造ばりの炎を宿した瞳をこっちに向けてる。

 おっと母さんの変なスイッチが入ったような気がするな、これ。


「拓ちゃん拓ちゃん!」


「はいはい、なんです母さん?」


「お母さんが拓ちゃんの練習に付き合ってあげるわ!」


 うん、絶対この流れになると思った。なんかもうね、流れってものがあるもの。

 さて、こんな時普通の思春期男子高校生ならまず断るシチュエーションだろう。

 親に自分が真面目に演劇の練習してるなんか恥ずかしくてしゃあないしな。

 というか、そもそも母さんの隣で台本なんて見せてないか。


 しかし、俺は母さんに負い目がある親不孝な息子であり、断るという選択肢がそもそも存在しない。

 それにこんな情熱的な目をした母さんを止められる気がしない。

 なぜそう思うかって? ならば、一つ試してみようか。


「母さん、流石にそれは恥ずかしいって」


「大丈夫、お母さんは恥ずかしくないわ! 真面目にやるもの!」


「いや、母さんの羞恥の心配してるわけじゃないのよ」


 といった具合にどうにもゴリ押し気味に圧強めで迫って来るところがあるのだ。

 もうすでにターゲットをロックオンしてる状態。

 後はこっちが折れるまでノンリロードで熱意の弾丸をぶっ放してくる。


 ホント二度目の人生やり直してから母さんってこんなんだっけ? って思うよ。

 まぁ、逆に言えば、こんな気づきを見落とすほどに思春期時代は関わりを絶っていたということだけど。


「ハァ、わかったよ。それじゃ、とりあえず読み合わせだけね」


「任せておきなさい。こう見えてもお母さん、白王高校水泳部のバタフライって呼ばれてたんだから」


「微塵も説得力無いよ、母さん」


 そして、いざ読み合わせを始めようと俺は自分の役のページを開く。

 すると、母さんはちょっと待ったと言わんばかりに俺の手を止めた。


「ど、どうしたの母さん?」


「拓ちゃん、確かに役を演じる時は自分の役のセリフしか読まないだろうけど、それでもその他の役のセリフも覚えた方がいいわよ」


 急に真面目な顔でアドバイスを送ってきた。

 なんだかまるで台本を読むことに経験があるような言い方だ。


「なんで?」


「単純な話よ。セリフには感情がこもってるから。

 誰がどうしてどういうことが起きてこんな境遇に至ったのか......その感情を知らないと本物の演技は出来ない――って、昔お父さんが言ってたの」


「父さんが?」


 こんな所で父さんの話題が出てくるとは......ぶっちゃけ父さんのことは微塵も知らない。

 というのも、俺が物心つく前に事故で亡くなってしまったらしいからなのだ。

 そして、それを聞いたのも自分の家に父親がいないことに疑問に思った小学生の頃。


 その頃の俺はわんぱく坊主だったらしくて、その話を聞いても気にしてなかったらしい.....というのを一度目のどこかで聞いた覚えがある。

 にしても、こんな話題で父さんの話が出てくるなんて、もしかして父さんは――


「父さんは俳優だったの?」


「そうね、ただしあまり売れてない方のね」


 まさかの新事実。俺の父親が芸能関係で働いてたなんて。

 ただ、母さんの言う通りそこまでパッとしない人だったのだろう。

 仮に有名だったら恐らく今の俺のあり方はないだろうし。


「で、付き合ってた頃から何度か読み合わせの練習に付き合ってたの。

 それこそ二人でお代官様ごっこすら興じたものよ!」


「......」


 自信満々に言う母さんだが、正直親の惚気ほど子供にとって辛いことはない。

 つーか、お代官様ごっこって。あれだろ? “よいではないか”とか言って帯引っ張って“あ~れ~”するやつだろ? え、キチィ......。


「と、とりあえず、俺もまだセリフを覚えてるわけじゃないから、今は見ながら音読する形で」


「いいわよ、早速やりましょ!」


 いつになく母さんがやる気だ。隣からひしひしと熱量を感じる。

 だけどまぁ、そっか......仮に父親が生きてたならまだ同じようなことしてたかもしれないもんな。

 特に母さんならやりかねない。

 そういう意味では、こうやって一緒に何かを出来るのが懐かしいってことなのか。

 ならば、息子としては親孝行せねばなるまいて。


「じゃあ、とりあえずこの一番絡みのあるセリフを読もう......『グフグフフ、これで貴様は僕ちんのものなのだ! あんな薄汚い獣のそばにいるよりは僕ちんのそばの方が良いだろ?』」


「『嫌! 帰して! 私は一度もそんなこと望んでない!』」


「っ!?」


 母さんと劇のセリフの読み合わせという思春期ではありえないシチュエーションに多少ながらも羞恥心を抱えていた俺だったが、その気持ちは母さんのセリフでかき消された。


 たった一文を読んだだけというのになんという感情のぶん殴り。

 まるで恥ずかしがっていたこっちが恥ずかしいとでも言うように。

 確かに、せっかく頼んでるのに真面目にやらないと失礼だもんな。


「『グフフ、本当にそうか? ならば、なぜすぐに逃げ出さずにここにいる?

 それは僕ちんの申し出を嫌ってないからではないからじゃないのか?』」


 状況的には、捕まったヒロインが恐怖で足が竦んで動けないと言った感じだ。

 それを悪役が都合よく解釈したセリフが今である。

 しかし、ヒロインは心まで屈したわけじゃないのでやや雑な言葉で返す。


「そ、そんなはずじゃないでしょ......バカ」


 ん? あれ? そんなセリフ無いぞ?


「え、母さん――」


「私がそんな圧に屈する女と思ったら大間違いよ!

 確かに強引なのも嫌いじゃないけど、それはあくまで私の好きな人がすることであってあなたが擦ることじゃない!」


「母さん!?」


 突然ながれ変わったと思ったら、セリフに無いことばっか言ってる!

 つーか、母さん台本全っ然見てねぇ! なんか身をよじらせて感情的になってる!


「母さん、ちょっと落ち着――」


「あ、いや、ダメ......くっ、例えこの体が汚れようと王国騎士としての誇りだけは捨てないわ!」


「お、王国騎士!? 母さん、戻ってこい! なんか良くないものが憑りついてる!」


 俺は母さんの肩をガシッと掴み、強めに揺さぶって正気に戻していく。


「くっ、姫様、王国はまだ終わっていません。どうか諦め――はっ! 拓ちゃん、どうしたの?」


「百こっちのセリフだよ」


 無事にくっころ女騎士の悪霊は振り払えたのかいつもの母さんに戻ってきた。

 にしても、セリフ二言目で急に乗り移ったな。傍から見て怖かったんだが。

 そして、俺が母さんに真面目にやってと注意すれば、母さんは恥ずかしそうに答えた。


「ごめんね~、最近読んでる恋愛ものの小説に展開が近くってつい......あ、でも、この後寸でのところで助けに来るから大丈夫よ!」


「......母さん、しばらく俺は一人で練習するわ」


「え、なんで!?」


 そっちの方が効率がいいと思ったからだよ、母さん。

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