15話:ウサギ

「本の中で何カ所か紗里さんのことをウサギに例えて表現する記述がありますね」


――つぶらな瞳はまるで小さなウサギを連想させ、庇護欲が湧いてくる


――紗里といるとまるでペットと生活している気分になる。


――あのウサギのようにつぶらな瞳を見て安心したかったが、家族に土産を預けて退散することにしよう


「あなたが<飼っていた>のはウサギではなく、紗里さんの事ではないですか?」


 本の内容が正確であるなら、椿の飼っていたウサギは、両親が死ぬ少し前に家に来たということだ。


 過去の記録を調べてみれば、椿の両親が事故で死亡する2年前に三宅紗里は行方不明になっている。


 三宅紗里の失踪と前後して、椿の家で飼われはじめたウサギ……時間軸としては符合する。


――ウサギは最初こそ俺に甘え媚びた仕草を見せていたが、俺の両親が死んだ後、徐々に弱り始めた。


――死ぬ間際、あれだけ可愛がっていたのに、反抗して俺に刃向かうようになった。可愛さ余って憎しみが募ったよ。今思えば、俺に体調の変化を伝えようとしていたのかもしれないけど、俺にはそれが分からなかった


 この記述部分は、誘拐された彼女が必死に椿に媚を売り逃げ出そうと模索したように思えてならない。

 けれど、その願いも叶わず、生きる気力をなくし徐々に憔悴していったとも読み取れる。


「私の推測ですが、あなたのご両親は交通事故に遭う前に、紗里さんを誘拐したのがあなただと気づいたんじゃないですか?」

「……………」


 おそらく多くの人間がそうであるように、両親は罪を犯した息子を非難した後、椿を説得して紗里を解放しようとしたのではないだろうか。


 けれど、それは椿が望んだことではなかった。


「あなたのご両親はあなたの罪を庇わず、紗里さんを逃がそうとしたのでは?」

「…………」

「寺の住職が満緒さんの罪を庇おうとした様子に、あなたは心から感動した様子でした。でも、あなたの両親はそうではなかったんですね」


――満緒さん、あなたの父親は素晴らしい人だ。これこそ究極の愛ですよ。息子の罪を庇って死んでいこうなんて、こんな親子の絆がどこにあるんです。


――俺は君が心の底から羨ましい。俺にはそんな両親がいないからね


「あなたの書いた文章からは住職が息子に向けた無償の愛に対する羨望が感じられます。それも異常なほどの」

「…………」 


 私の考えが違っていれば、否定すればいい。

 けれど、椿は何も言わない。否定もしなければ、肯定もしない。


「あなたのご両親の死因を調べさせてもらいました。雨の降る日、父親が運転する車で単独事故を起こして電柱に衝突し2人とも亡くなったそうです」

「…………」

「さらに詳しく調べると、2人の遺体からは睡眠薬の成分が検出されました。警察の見方としては、自殺だとされています」

「…………」


 息子がとんでもない犯罪を犯したことによる恐怖や自責の念から、2人そろって自殺を図ったのだろうか


 それとも……。


「薬は、あなたが飲ませたんでしょうか?」

「……バカを言うな! さっきから何なんだ、訳知り顔で。何様のつもりだ!」


 大人しく私の推理を聞いていた椿が、スイッチが入ったように突如顔を真っ赤に染めて怒鳴り出す。


「自業自得なんだ、あいつらは……さ…紗里を兄の元へ返そうとしていたんだ。そんなことすれば紗里がどんな目に遭うか分かるだろ。俺は紗里を守ったんだ!」

「椿さん、紗里さんが三宅さんのもとへ戻ったとしてどんな目に遭うというんです。少なくとも好きでもない男と暮らすよりは、よっぽど彼女のためになったのでは?」

「ふざけるな! 俺と紗里は愛し合っていた。心が通じ合っていたんだ」

「紗里さんが……あなたにそう言ったんですか? 愛していると……」

「……ああ、そう言ったさ。そう言ったのに、俺の両親が死んで2人きりになったことを喜びさえしない。それどころか、悲鳴を上げて俺に噛みついてきて暴れだして、手が付けられなくなってしまった」


 それはそうだろう。

 彼女にとって唯一の希望だった存在が、姿を消してしまったのだから。


「紗里さんはショックのあまりご飯も食べず憔悴して死んでしまった……それが真実ですね」

「……紗里は…紗里は死んでいない。いつも俺の側に……」


 椿はそう言って、ソファーの上に崩れ落ちるように倒れ込んだ。


 肩を小さく震わせながら「紗里……紗里…」と、うわごとのように繰り返している。

 彼の傷心に付き合っている余裕はない、肝心のことを聞く必要があった。時間はないかもしれない。


「三宅さんは……紗里さんのお兄さんはどこですか?」

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