14話
天堂家から帰り着いて2週間、いまだに紗里は姿を現さない。
久しぶりに手土産でも持って会いに行ってやろうか、そんなことを考えていると、ふと足元のカーペットに茶色い染みが付いていることに気付く。
「くそっ」
俺は思わず毒づいてしまう。
俺がコーヒーを零したのかもしれないが、おそらく紗里だろう。俺がいない間に、ここへ来ていたのだろうか。
だとしたら入れ違いになってしまい残念だ。
紗里は食べ物を零しても謝りもしないどころか、機嫌が悪いと一切に何も口にしようとしない。
あれこれ食べ物を買い込んで食べさせようと必死になるのだが、そうなった時の彼女の頑固さは憎たらしいくらいだ。
正直紗里の面倒で疲弊してしまう時もある。
長い間カーペットを取り換えていないため、だいぶ薄汚れている。
新しいものに変えたい気もするのだが、長い間カーペットを捲っていないため、その下がどうなっているか想像するだけで怖気が走る。
俺は再びパソコン画面に目を向ける。
ちょうど地方紙のコラムに天堂一志の最新記事が載っていた。
次世代を担う若手経営者という立ち位置で、意気揚々と日本の未来と今後の課題を語っている。
実はあの事件、俺は結末がどうなったのかを全く知らない。
車中で会話したのち、一志が気分が悪くなったと途中で車を降りてしまったからだ。
だから天堂家まで行って警察がどういう対応をとったのかまで見届けていない。
翌日にはきっちり報酬も振り込まれていたため、相手の家を訪問する口実もない。
結局、里佳子のことはそのままになってしまった。
ただ、もし何か問題が発覚していれば一志がこうやってインタビューに答えることも不可能だろう。
おそらく事件は発覚していない。
いや発覚していないどころか、一志が里佳子を監禁しているということ事態、俺の極端な妄想だったというわけだ。
その証拠に、記事に使用されている一志の近影は、俺が見た天堂一志とは全くの別人に見えた。
頬には艶があり、瞳は希望に満ち溢れ、顔全体に強気な笑みが貼り付いていた。どこをとっても生命力の塊だ。
あの屋敷で見たどこか頼りなげな、そして都筑家で見た狂人的な天堂一志の面影はどこにもなかった。
あの後、一志の身に何が起こったのだろう。
何が彼をここまで別人に変えるほど勇気づかせたのだろう。
『里佳子は何も言いませんよ、だって私のことを愛していますからね』
もしもあの言葉が真実なら、一志は里佳子が何も語らなかったことにより妹の愛を勝ち得たと確信したのだろうか。
それが彼の生命力の源となったのだろうか。
俺には何が真実か分からない。
里佳子が兄を愛しているのか、それともいまだに兄の呪縛から逃げられず怯えて暮らしているのか。
天堂家での出来事があって以来、俺は頻繁に自身の将来や紗里のことについて考えるようになった。
紗里をこのままにしておいていいのだろうか、と。
俺は紗里といて幸せで、紗里自身もそうだと信じていたが、誘拐事件から10年以上も経つというのに紗里の心は閉じたままだ。
このままここにいて、紗里は本当に幸せなのだろうか。日々自問自答を繰り返している。
それは俺自身にも言えることで、両親と暮らしたこの家でいつまでも暮らし続けるより、新しい場所へ向かった方が良いのではないかと考えている。
そうなったとき、紗里をどうすればいいのだろう。
彼女を置いたままここを去ってしまっていいのだろうか。
俺はふと気配を感じ窓の外を見た。
椿柄の浴衣を着た紗里が庭を横切りながら、トコトコと歩いてくるところだった。
紗里は俺の視線に気付いたのだろう、ついと足を止めて俺を見た後、小さく微笑んだ。
その顔を見た瞬間、俺は無性に紗里を抱きしめたくなった。
可愛くて、愛しくて、狂おしいほどに大切な紗里を、力いっぱいこの手で抱きしめ、その存在を確かめたかった。
俺は部屋を飛び出して紗里のもとへ走った。
紗里のためなら何でもしてやれる、紗里が望むことならば何だって。
この命だって、ちっとも惜しくない。
俺には紗里が必要だ。
ずっとずっと彼女の側にいたい――。
――THE END――
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