13話
紗里の家は高級住宅街が立ち並ぶ閑静な一角に建っていた。
俺は2週間ほど前に温泉地で買ってきた手土産を手に、その家を訪れた。
外から見上げた2階の部屋の窓は、今日もカーテンが閉めきられたままだ。
やはり紗里の体調は芳しくないようだ。とはいっても、あの部屋の窓が開いているのを、ここ何年も見たことはないけれど。
紗里が俺の事務所へ来なくなってもうすぐ3週間が経とうとしている。
紗里が家から出られなくなるのは日常茶飯事で、長い時では2カ月近く姿を現さない時もあった。気持ちが上向いたり下がったり、彼女の心は一進一退を繰り返しているのだ。
ただ働きをしてもらっている身の上、無理に事務所に来いとも言えない。
焦りは禁物、紗里のペースを大事にしながら気の向くままに過ごすのが一番なのだから。
今回俺がここへ来たのは温泉土産を手渡すという口実があったからだ。
紗里に会いたい気持ちは募るが、どうやら今日は諦めたほうが良さそうだ。
俺は紗里がいるであろう部屋の窓を見上げ、大きくため息をついた。
あのウサギのようにつぶらな瞳を見て安心したかったが、家族に土産物を預けて退散することにしよう。
もしかして紗里が出るかもしれないという期待を込めてインターホンを押したが、聞こえてきたのは生気のない母親の声だった。
「あら椿君」
紗里の母親は嬉しそうに玄関扉を開けた。
「お久しぶりです。この前仕事でAに行ったんで、紗里にお土産です」
紙袋に入ったA温泉の名物せんべいを手渡す。
なんとなく紗里にはすぐに会えない気がしていたので、あえて日持ちのするものばかりを選んでいた。
「あらあら、いつもありがとう。紗里も喜ぶわ」
「いえ、ありがとうはこっちのセリフです。いつも紗里には仕事を手伝ってもらってるのにこんなお礼しかできなくて」
紗里の母親は小さく微笑んだ。
その顔を見てふと思う。彼女は俺の仕事をどう思っているのだろうかと。
お祓い屋なんてまっとうな商売じゃない。やってる俺本人が思うのに、常識的な大人がそれを疑問に思わないはずがない。
紗里の母親は俺の職業に関してこれといって反応を示さないが、呆れているだろうとは思う。紗里がこういう状況でなければ付き合いたくない類の人種だろうから。
風の噂で聞くところによると、紗里の事件がきっかけで彼女の両親は離婚したらしい。
確か父親は弁護士で、年の離れた兄は医学部を目指していたはずだ。
兄はその後、無事医師になれたのだろうか。
紗里本人にそういったプライベートの話は聞かないようにしているため、俺の情報がどこまで正しいかは分からない。
けれど、この家に活気が感じられないことから察して、おそらくここには紗里と母親しか住んでいないのだろう。
どうやら風の噂というものも、たまには当たることもあるらしい。
俺は改めて紗里の母親を見て、胸が苦しくなった。
昔はバラのように美しい人だったが、時の経過のせいでだいぶ老け込んで見える。
化粧もほとんどしておらず、顔に疲れが出ているようだ。着る服も無頓着で、セーターには染みが付いたままだ。
紗里は今でも若々しいままなのに、母親だけはその数倍の速さで年をとっているように感じる。
この家で紗里と2人で過ごしているのなら、紗里以上に母親の心も病み始めているのかもしれない。
俺はふと視線を感じ、道の向こうを見た。
男がさっと電柱の陰に身を隠したが、でっぷり肥え太ったその巨体を隠しきれていない。醜い姿が丸見えだ。
俺はため息をついた。
またあいつか……。
実は数年前から付きまといにあっている。
おそらく過去の仕事で関り合いのあった相手なのだろうが、俺自身、男に見覚えはなかった。
ひたすら俺の一挙一動を監視しているだけで、特別攻撃性は感じられないので放置しているが、なんとなく薄気味が悪い奴だった。
詐欺まがいのお祓い商法で本人ないし、本人の家族に金銭的被害があったのかもしれない。
だったら直接文句を言ってくれればいいのに、その勇気さえない薄のろ野郎だ。
今更、紗里の家がバレたと焦る必要もない。
この周辺であの男を何度か目撃している。紗里には注意喚起をしているが、特に危険な相手でもないので警察には相談していない。
ただ気持ち悪くてうっとうしい、それだけだ。
俺は紗里の母親に改めて挨拶をして、そこを去った。
男が後をつけてきている気配はなかった。
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